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山を降りたとき、油を買う間に面白い話を聞いた。
鶴を助けた男の話。
助けた鶴が機織りをしてカネを稼がせてくれたという。
油屋からすれば、文字通り油を売る間の与太話だった。
俺は代々、炭焼をして暮らしている。
もちろん寒ければ炭を熾こすが、金物の手入れやらなんやら、油は入り用だ。
畑耕す工具も手入れが居るし、畑荒らしの禽獣を追い払うのに銃も使う。
ケチって道具を錆び付かせては面白くない。
竹筒一杯の油を懐に仕舞い、他の生活必需品の買い忘れがないことを肩に掛かる重さで確かめる。
ひとり分の荷は、独り身には不愉快に重い。
山の上の自宅に帰る頃には日も暮れているだろう。
風呂にも入りたいが、薪も残りが少なく集めるのも面倒だ。
両親が生きていたときより軽くなった買い物は、ただ不愉快に重い。
――疲れたな。
慣れた道だけあり草鞋越しに足の裏に木の根や土の起伏が馴染む。
だが、疲れるものは疲れるし、腹も減る。
帰ったら糠漬けの菜っ葉と干物で晩飯。
肉でも食いたいが備えはない。
肉でも落ちてないかな、にーくー。
――ガサリ。
音に引かれて首を向ければ、黒く光るものと目が合った。
鹿だ。仔鹿だ。
ピョンと驚いたように跳ねた。
次の瞬間、転んだ。
俺が、ではない。鹿が、である。
勝手に驚いた揚げ句、勝手に跳び跳ねて、着地で滑って盛大に横転した。
「……鹿って、転ぶんだなぁ」
しかも、である。
仔鹿は器用に残りの三本で立ち上がり林に消える……はずだったが、今度はつまずいた。藪の中で破壊的に。
しかも、両後ろ足には小枝が刺さり赤くなっている。
両足同時というのは、一周して器用な気はするが。
「……お前、肉付き良いなあ」
俺の心の籠った心ない言葉に仔鹿は凍り付いた。
だが見逃さず、俺は両腕を足の付け根に差し込んで抱えた。
ビクッとしてからバタバタと動き回る仔鹿が、それで離すわけはない。
荷物が増えて重くなったせいか、帰りついたた頃、気の早い星はピカピカと夜空で仕事をしていた。
「これで良し、と」
家に戻り、薬草を藁で巻き付けて手当てが終わった。
仔鹿も治療されたことはわかったらしい。
不思議そうに自分の傷と俺の顔を交互に見返している。
「……バカにドジだが、ツイてるぞお前。血抜きして皮剥いでバラすとか食うとか、今からじゃ面倒だわ」
戸を開けて鹿を外に押し出す。
鹿はきょとん、と俺を見つめており、走り去ろうとしない。
「ほら、さっさと行けよ。本格的に暗くなる前に寝床探さないと――」
ちょうどそのとき、狼の遠吠えが聞こえた。
仔鹿はやっと事態を理解したらしい。
しかし仔鹿は山林に寝床を捜すと思いきや、仔鹿は俺の家に上がり込んだ。
「……オイ。食っちまうぞ?」
仔鹿は俺から逃げるでなく、足元に犬猫のようにすり寄った。
それこそ犬猫なら山歩きの用心棒や鼠取りくらいはやらせるが、仔鹿なんて食べる以外で役立つわけもない。
「……明日食うか」
俺は糠味噌から大根を引きずり出し、丸かじりして夕食を終えることにした。