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小説『狭い器』 本土決戦の中で私と桜子は二人だけの世界を構築した。  作者: 居木井丈晴
第一章 北日本人民共和国の朝
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(4)大臣室にて


「失礼いたします。秘書課の岩田です」

「入れ」低い低音の大臣の声が返って来た。そっと扉を開けると、私は体を滑り込ませた。

 

一口に言えば、ここが大臣の執務室なのかと疑うほど、質素で飾り気の無い部屋だった。ベニヤの合板を貼った腰壁。壁には党書記長の肖像画。スチールフレームの簡素な椅子の並んだ会議用テーブル。実用本位の調度品。両袖机の右隅には押し込み式ボタンの並んだ電話のコンソールがある。


 私は扉をそっと閉めてから、大臣の前で直立不動の姿勢をとった。


「おはようございます。大臣。お呼びでしょうか?」

「おはよう、岩田同志」


黒い人民服に、党の高官であることを示す階層バッジを左胸に付けた大臣は、両袖机の上に党機関紙を広げていた。ロマンスグレーのややぼさぼさとした髪の毛。メタルフレームの老眼鏡の奥にある険しい目つき。分厚い口元に走っている幾重もの深い皺。知的ながらも、スパルタな大臣には、この殺風景なほど質素な部屋がよく似合っていた。


 この部屋の主の名前は津島(つしま) 道彦(みちひこ)


「岩田同志。書類を届けてくれ」

「わかりました」私はその封筒を両手で丁寧に受け取る。

――いつもの流れね。

 

電話で話すことの出来ない書類の運搬を、よく大臣は私に任せていた。

「どちらまでですか?」

「中規模機械製作省の中村次官にだ。RBMKの建設予定地と北日本各都市への送電線網の素案だ。部外秘だ。そしていつものことだが、課長の丸山には見せるな。あの男は信用できない」


「課長には見せないのですね。わかりました……。中規模機械製作省の中村次官宛て。心得ました」

私は深々とお辞儀してから機密書類の入った封筒を胸元に抱え込む。それから私はさきほど村野から渡された書類をおそるおそる提出する。


「あの、これは、石炭供給課と交通省から上がって来た書類です」

 大臣はざら紙の書類を手に取ると、老眼鏡を太い指で押し上げながら文字列を目で追う。みるみる不機嫌な皺が分厚い唇の周りに走った。大臣はチッ、チッという舌打ちの音を発しながら歯を軋ませた。その様子に私は首筋にぞわぞわとしたものを覚える。


「なんとかならんもんかね?」

 大臣は、せかせかと部屋の中をうろついた。相変わらずチッ……チッ……チッ……と口の中で舌を鳴らしている。具体策を何も持っていない人間がここで何か言っても、大臣の神経を逆撫でするばかりだと思ったので、私はただ直立不動の姿勢を取って、とげとげしい空気に耐えた。


 大臣は席に戻った。


「ところで、岩田同志。今日の党の機関紙を読んだかね?」


大臣は太い指で広げていた党機関紙の一面をトントンと叩いた。


「さっき来たところで。まだ最初のところしか読んでおりません」

「これを見たまえ、岩田同志」

「失礼いたします」


私はそっと大臣の手元を覗きこんだ。


『南日本・芙蓉重工業製“国民車”『アカツキ230』発売』


という見出しが太い指の下にあった。見出しの隣には車のカタログから転載したと思しき透視図や車の写真が掲載されていた。


私は上目づかいで大臣の顔を見る。

「南日本で画期的な性能を誇る小型自動車が発売されたという話ですか」

「そうだ」


大臣は苦り切った顔だった。

「芙蓉重工業と言えば、戦時中は中村飛行機の名前で、戦闘機や爆撃機を生産。無辜の人民殺傷の片棒を担いだ企業ではないか!それが“国民車”生産? 笑わせるな!」

 

 大臣は吐き捨てた。大臣の視線は手元に落とされたまま左右にさまよった。右手で左手をしきりに揉んでいる。

「この北日本同じく国土が戦災に見舞われた東独はもう立派に経済復興し、トラバントと言う優秀な国産車を作っているらしい。それに引き換え、我が北日本は国産車生産どころか食料増産やエネルギーの確保さえ上手くいかぬ」

 大臣は焦りに駆られてぶつぶつと口を動かした。


「……南日本は何だ。今の繁栄があるのも、もとをただせば北朝鮮の祖国解放戦争でアメリカ帝国主義の兵站基地となって、朝鮮半島の無辜の人民の虐殺に手を貸したからではないか。アメリカ軍から流れ込んだ大量の軍需物資の注文で破綻寸前だった経済を立て直した――隣国の朝鮮人民の塗炭の苦しみには目もくれずに……。これほど非人道的な振る舞いがあると思うか?表では『平和国家』などとほざいているようだが、南日本の実態は自国さえよければの独善的な米国の軍事植民地にすぎない。こんな国に負けているようでは北日本、いや社会主義の名が廃る……」


「大臣!」

私は大臣の耳元に口を寄せた。


 大臣はやっと我に返った。

 そして私に投げやりな口調で注意を促す。

「話がそれた。とにかく、私の公用車を使え。大臣の公用車でなら、身元が証明されているから製作省敷地内の厳重な警備も、いくらか手加減してくれるだろう。書類の輸送にはいつもどおり細心の注意で臨め」


「はい。お心遣い感謝します」

私は深々と一礼した。


「ところで、友枝。結婚するつもりはあるのか?」

 私は少し考えてから答えた。

「いえ。ありません。私は生涯独身を通そうと思っていますから」

「そうか」

 

大臣は少し残念そうな表情を浮かべた。


「失礼します」



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