(1)闇からの急襲
私はコップに水道の水を満たすと、一気に飲み干した。
そして短く息を吐いた。
もう一度コップを蛇口にあてがうと、栓を思いっきりひねった。しかし建て付けの悪い粗悪なアパートの水道はちょろちょろとしか水が出てこない。空腹なはずだったが食欲は無いし、ご飯を作る気力もない。
戦争のことを思い出すといつもこうだ、何もできなくなってしまう。
桜子とのささやかな思い出も、戦争のことを思い出してしまうきっかけになるので、今ではほとんど思い出さないようにしている。
それなのに冬が近づいて空が灰色になり、乾いた冷たい風が吹くたびに、私の中であの戦争が今も痛みをともなってやって来る。
そのときドアがノックされた。
――こんな時間に?
時刻は9時を回っていた。出るのも面倒なので居留守を使おうと私は最初思ったが、相手は諦めることなく激しくスチールのドアを叩いている。
私は何が起きたのか悟った。コップの底に少しだけ溜まった水を飲み干すと、コップをその場に置いて玄関に向かった。
ドアを開けると、10人以上の茶色の制服を着た警官が外に立っていた。目の前にいた中年の軍曹が私に宣告した。
「国家保衛省だ。岩田友枝。国家反逆容疑で拘束する。……オイッ!」
軍曹は後ろにいた若い警官に怒鳴ると、2人の若い警官ががっしりとした大きな手で私の細腕を掴むと、手錠を嵌めた。
さっきから続いているめまいのせいか手錠が噛み合う金属音が妙に遠く聞こえた。
そのまま私は引きずり出された。私は少しだけ首をひねって遠ざかって行く部屋の方を見る。
早くも警官たちが白手袋を嵌めて家宅捜索を始めていた。
「とっとと歩け」
警官が5名、私を取り囲んで急な階段を物凄い速さで歩かせる。あまりの速さに私は何度か転びそうになって、視界ががくんがくんと揺れているような気さえした。しかし警官はそんな私をまるで物のように引きずり、待たせてあった護送車に私を押し込んだ。




