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(3)札幌地区第八特設警備隊

 悲鳴や赤ん坊の泣き声が満ちた道を、私と母は自家製の竹槍を持ってとぼとぼと歩いて行った。途中、桜子と母親に出会った。私たちは戦友として挨拶を交わした。


「どうもこのたびはご迷惑をおかけします」

「いえこちらこそ」


 桜子は私の竹槍を見て言った。


「それはやっぱり自家製?」

「そうよ。友枝のところも?」


「そう。新聞の『國民抗戰必携』という欄に載っていた通りに作ったのだけれど」


 私は桜子が竹槍をどう作ったのか気になって先を見せてもらった。


 長さ二メートルぐらいの青竹の尖端を、斜めに切る。先割れを防ぐために竹槍の尖端を切る時は節を残した形にすることが推奨されていた。そして尖端に種油を塗って火で炙り硬化処理をする。


桜子も私もその通りにやっていた。なので、竹槍の先端がまだらに黒く焦げていた。


「桜子と一緒なら安心」


「そういうものかな」


「そうよ。私より桜子の方がよっぽどしっかりしているもの」

 私は桜子の足元を見た。

「桜子も今日はズック靴なんだ」


 よく気づいたね、と桜子は言った。


「戦場へ行くのだから、走れるようにしておかないと。いつもは靴を使い潰さないために下駄で我慢していたけれど」

「今まで戦力温存で、ずっと下駄だったけど、今日は久しぶりに靴が履けて、ああ、靴ってこんなにいいんだって思った」


 桜子も私も笑った。


 それから少し先の十字路で、今度は敦子に出会った。敦子も今日はズック靴を履いて、同じく竹槍を持って来ていた。私は敦子も同じようなことを考えていたのかと思うと、なんだかうれしかった。


「ふふふふ」

「何がおかしいの?」


 声を揃えて敦子と桜子が咎める。


「みんな同じで、なんだかほっとしたの」


 敦子と桜子はどっちも気まずい表情を浮かべて、「お前もか」と言わんばかりにお互いの顔と靴を睨みあった。


 国民義勇戦闘隊員に軍服や武器は支給されない。全部、自腹である。だから、それぞれが国民服姿だったり、白いブラウスを着ていたり、モンペを履いていたり、ズボンを履いていたり、とバラバラだ。


 唯一揃っているのは、国民義勇戦闘隊員であることを証明する「戰」と書かれた縦六センチ、幅七センチの白い布だけだ。


 この布は右胸に縫い付けることになっていた。

 私もその通りに縫い付けた。


 軍に接収され、兵舎として使われていた国民学校が私たちの集合場所だった。


 校庭に集まった私たちはすぐに女子隊と男子隊とに分けられた。国民義勇戦闘隊は男子隊と女子隊に分けて編成する規則になっているからだが、男子隊の中には、自宅で保管していたらしい古いレミントンの猟銃を持っているおじさんもいて、みんな竹槍の女子隊に比べれば、かなりマシに見えて、羨ましかった。


 校庭の半分は芋畑になっていたが完全に掘り崩されてしまって、害虫に襲われた後のような荒れ果てた地肌を晒している。校舎の中に誰もいないことを見ると、ここを兵舎にしていた部隊は、移動するときに芋を全部持ち去ってしまったのだろう。


 集合が完了すると、予備役上がりの白髪頭の陸軍大尉が叫んだ。


「貴様らは、陸軍・札幌地区第八特設警備隊配置とする! 七生報国の信念で敵に当たるように! なお、自分は第八特設警備隊・隊長の白峯大尉である!」


 地区特設警備隊は地区防衛と義勇戦闘隊の指揮をするための陸軍部隊だ。


召集経験のある父が前に


「軍隊ではな、急ごしらえの臨時編成という裏の意味が“特設”という言葉のなかにはあるんだ。俺のいた師団も俺と同じ後備役で三十歳代や三十に近い老兵ばかりだったから“特設”師団と呼ばれていたんだぞ」


と「特設」という言葉に用心しろと教えてくれたことがある。


父の言った通りだった。


 地区特設警備隊はまだわずかに残っていた男たちで編成した寄せ集め部隊だった。共通の軍服は支給されていたものの、小銃が足りずに竹槍を担いでいる者、竹筒の水筒を腰に()わえた者、わらじを履いた者ばかりだった。


 隣にいた桜子の顔が曇る。いつも血気盛んな敦子でさえ、その貧弱さに度肝を抜かれたようだった。


白峯隊長は絶叫を飛ばした。

白い唾が宙に吐き出された。


「これよりー、我が札幌地区第八特設警備隊と札幌の国民義勇戦闘隊は、苫小牧にてソ連軍に備えている(たつ)部隊に合流し、これを援護する!」


――え?札幌を離れるの?


「苫小牧だって」

「札幌地区の防衛ではないのか」

 突如の苫小牧行きの命令に戸惑う声が聞こえた。


「騒ぐな!」

ざわめいた義勇戦闘隊の列に下士官が怒鳴りつける。しんとなってから白峯隊長がまた唾を飛ばした。


「諸君も突然のことで驚いたと思うがー、札幌地区の防衛は札幌地区第一ぃ、から第七ぁ特設警備隊と、その麾下にあるー、国民義勇戦闘隊がー担うことになった。我が部隊はー最終決戦場と想定される苫小牧平野へ向かいー、(たつ)部隊を掩護するのだ。皇土の防衛はー諸君のー双肩(そうけん)にかかっている。第五方面軍司令官からは『軍民共生共死』の命令が与えられているッ!これはぁー、文字通り、住民はみな軍隊と命運を共にするということである。軍隊が滅びる時は、住民すべてがそれに殉じてもらう。そういうことであるー。間違っても敵に降伏することは許されない。その場合は厳罰に処すー。女はー、いざというときには大和撫子としての節を全うするようにーぃぃぃ。以上ーぅ!」


女はいざという時にはというくだりは、おそらく敵兵から強姦されそうになったら、自決せよということだろうと私は思った。


私はひそかに奥歯を噛みしめた。


陣地構築に参加させられた時に、一緒に仕事していた兵士の一人から、親切そうな顔で「あんたは綺麗だから敵兵にやられるかもしれん。そういう時は自決しろよ」と言われた経験があった。あとで桜子に聞くと、桜子も同じような話を聞かされたらしい。どうやら支那戦線での従軍経験を持っている兵は、みんなそう私たちに諭したとのことだった。


先行きへの不安が私の心を覆い隠すと同時に、妙な後ろめたさが心の中の不安を色濃くしていく。


――お国のためにすべてを差し出す。それをみんなやって来た。支那大陸、南方戦線、満州、樺太、千島でもたくさんの日本人が命を捨ててしまった。私はそれに続かなければならない。彼ら、彼女らは後に続く人間がいると信じたから戦って死んでいったのではないのか。ここで不安を思うのは彼ら、彼女らに対する裏切りになるのではないのか?

 

まわりを見ると、誰もが暗い張り詰めた表情をしているようだった。特に警備隊長の「いざというときは自決せよ」の言葉を聞いてからは、女子隊の空気は一気に凍り付き、固く口を結んでいた周りの大人や隣にいる桜子、敦子などの同年代の子たちの顔も心なしか揺れ動いたように見えた。


 強姦。


 見知らぬ男に服を剥ぎ取られ、毛むくじゃらの手で肌をまさぐられる。そう考えただけで全身が粟立つ。殺されるよりも恐ろしい。


――どうやったらそうならないで済むのだろうか?


 その答えは自決。

 それ以外は用意されていないようだった。もう少しまともな選択肢は他にないのだろうか、と思った。

 命令が飛んだ。


「二列縦隊!女子隊前へ!」


 恐怖と不安を携えて、私たちは竹槍を連ねて、行軍を開始した。

私はとにかく無事に苫小牧に着いて、そこで三枝子と合流することを考えるようにした。


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