四話
「さて、次は…。」
シルマーリアは顎に手を当て、ちらりと扉を見る。
(やれやれ、まだ何かあるっていうのか?)
ダンドがうんざりしながらため息をついた所で、部屋の扉にノックの音が響いた。
「シルマーリア様。マキシャ様をお連れ致しました。」
涼やかな女性の声にシルマーリアは部屋に入るよう伝えると、入ってきたのは侍女服の妙齢の女性と少女というより童女と言ったほうが相応しい女の子だった。
「案内ご苦労。マキシャ殿、ありがとう御座いました。」
マキシャ と呼ばれ反応したのは童女の方であった。
「なに、此れも私の生業にてな。報酬以外の礼は不要よ。」
何とも姿に合わない口調である。
しかし童女を良く見ればそのちぐはぐさが更に際立った。
童女の背はおおよそ100㎝ほどだろうか。立ったダンドの腰まで程度だろう。栗色の髪は長く、彼女の腰まで垂れている。
顔は丸みを帯びて大きな瞳がまさに可愛らしい童女といった所なのだが、雰囲気は全く違う。
大きな瞳は何処か色気を含んでいて、体つきは童女にしては肉感的だ。歩き方に至っては、まるで高級娼婦の動きのようにしながある。
衣装は刺繍の施されたローブを羽織ってはいるが肩と太ももの大きく開いた艶やかなものだった。
マキシャはダンドの目線に気づくと、色っぽく目を細め声をかけてきた。
「おぉ、これはいつぞに見たイチモツの大きい傭兵ではないか。」
彼女の思わぬ台詞にダンドは固まってしまった。彼の記憶では彼女とは初対面の筈なのに、何故自身の下半身事情まで伝わっているのか。ギギギと壊れた人形の様にシルマーリアを見ると彼女も疲れたようにため息を着いていた。
「マキシャ殿は魔術師だ。捕虜の検分も手伝って頂いているので、貴様の体を見たのは恐らくその際だろう」
捕虜の身体調査は兵士のほか、所属の魔術師も連れだって行う。これは捕虜の体に魔術の罠が掛かっているかどうか調べるためだ。聞いた話ではあるが、兵士に自爆の魔術をかけ、収容先で爆発させるという事件が過去にあったらしい。
自爆は流石に非人道的で非効率だが、兵士に何かしらの魔術をかけ、敵の内情を探るのはまだあり得る話だ。その検分を魔術師が立ち会うのもわかる。しかし……
「こんな子供が魔術師とは、驚きだ。」
そもそも魔術師自体が貴重な存在だ。一応オリステール国内にも魔術師は居たが、数は50人程度で大体は上級貴族の側付きだった。
遠目で見かけたのも大体は中年から高年の女性で、ダンドは魔術師とはそういうものなのだとばかりだと思っていた。
思わず溢れた台詞にクツクツと笑いが返される。
みるとマキシャが猫の様な笑みを浮かべ笑っていた。
ダンドの視線に気づくと、彼女は失礼 と一言置いてから問いかけてきた。
「お主はハーフリングを見るのは初めてかの?」
「ハーフリング?」
ダンドは聞き慣れない言葉に首をかしげた。
「まぁ、私らの種族は数が少ないからの。ハーフリングリングはエルフやドワーフと似た精霊種…人族の言葉でいえば亜人種と言うかのう。体は小さく旅好きの根なし草ばかりで、行く先々で路銀を稼いではまたふらり。私も今は此方で路銀を稼ぐ流れ者さね。」
まるで歌い上げる様な軽やかな声だ。
「そしてエルフ程出はないがハーフリングも長命種での。こう見えて私はお主の倍は生きておるよ?」
先程の会話が聞こえていたのだろうか。今度はダンドが歳で驚かされていた。
彼も大概若く見られるが、マキシャのそれは非ではない。ここまで来ると、流石異世界といった所である。
「あー…、なるほどな。しかも、その容姿で旅の魔術師と言うことは大した腕なのだろう?」
ダンドの問いにマキシャは頬に指をあて、うーん、と唸る。
「正確に言えば私は魔術師ではない。私の生業は精霊術師での。」
精霊術師という言葉には何処か聞き覚えがあった。確かに一年前かに護衛の仕事に入った村で、精霊術師を呼ぶとか呼ばないとか村人が話し合っていた様な記憶があるが、その程度だ。
「精霊術師はその名の通り、精霊の力を借りて奇跡を起こす。火の精に呼び掛け火を起こし、風の精に風を聞いて、土の精に作物の話をして、水の精に次の雨を見てもらう。他にもそうさの、草原に霧を流して貰うとか…の?少々苦労したがなあ。」
ダンドは先の戦いの霧を思いだし目を向いた。
マキシャはいたずら猫の様な笑みを浮かべていたが、その笑みをシルマーリアにも向ける。
「まさか戦事に駆り出されるとはおもわなんだがな。」
彼女の意味深な視線にダンドはあの戦いの作戦はシルマーリアのものであることに気付いた。
シルマーリアは博打の作戦ではなく、下地を固めたうえでのものだったのだ。
「マキシャ殿の協力は我が軍にとって、なくてはならないものでした。それで、兵の埋葬は終わりましたか?」
シルマーリアはマキシャに敬意を払っているのか、幾分か口調は丁寧だ。
「うむ。専門では無いから確実ではないが、地の精に亡骸を受け入れるよう頼んだから魔素が澱むこともなかろう。」
人の身には魔術を使えない者でも微量ながら流れている。村の墓地程度では影響はないが、戦場の様に屍体が大量に出た場合、屍体の魔力が溜まって淀み、屍鬼や幽霊を産み出す事がある。
それを防ぐために祈祷師や神官が死者の魂を送り、魔素の淀みが起きないようにするのだ。
話を聞く限りには精霊術師とやらも似たような事が出来るのだろう。
「さて、ではこの男の魔術の素養を見れば良いのかの?」
「はい。検分の時は時間が惜しく魔術罠の有無しかお願いしておりませんでしたので、この機会に遣ってしまおうかと。」
シルマーリアはダンドを見つめるが、ダンドの方にしてみれば寝耳に水だ。
「魔術の素養なんて計れるものなのか?」
どちらに聞けばいいものか悩んだが、とりあえずマキシャに問いかけてみる。
「もちろん子細に判る訳ではないが、術師の技法には魔力の量を計る物もある。では早速行うのか?」
マキシャの問いにシルマーリアが頷く。
ダンドは戸惑うと同時にもしかしたら魔法が使えるかもといった子供のような期待感を持たずにはいられなかった。
マキシャは両の手のひらを器のようにダンドの前に出すと何事か呟いた。恐らく呪文であろうそれはダンドの理解できる言葉では全くなかったが、彼女の顔は真剣そのものだ。
暫くの沈黙の後、器にした手をダンドの額につける。マキシャの小さな手は柔らかく、不思議な心地よさがあった。
しかし、なんら変わったことが起きる事もなくただただ沈黙の時が流れ、百を数える間が過ぎるとマキシャが口を開いた。
「魔術の素養は全くないのぉ。しかも、本来に人が持つべき微弱な魔力すらこの男は持っておらん。ついでに言えば精霊の姿も見えておらん様だ。」
ダンドの淡い期待もむなしく、マキシャの言葉はそう断言したのだった。
「生来もつ魔力すら無いとは…。よくお前はここまで生きてこれたな。」
唸るシルマーリアにダンドは首をかしげた。
「どうせ魔法が使えない程度の魔力だろう?何か問題があるのか?」
ダンドの問いに答えたのはマキシャであった。
「魔力の無い者は総じて体が弱く、短命なのだ。常人では死に至らない病でも、下手をすれば死んでしまったりの?」
魔力とは生命力に似た何かなのだろうか。魔法が使える使えないは置いておき、益々知的好奇心をくすぐられる。
「精霊には好かれておる様なのに、魔力がなく姿が見えんとはもったいない。お主は良い精霊師になれたかもしれんのにのう。」
からかう様なマキシャの声。しかしその瞳は本当に残念そうだった。
「そんなに精霊とやらに好かれているのか?」
見たこともないファンタジーな存在に好かれても、なんと返せばよいのかわかない。
「うむ。魔力量を計る為に手伝って貰った精霊達は、まるで灯りに誘われる夏の虫の様にお主の側に集まっておるぞ?」
あまり嬉しくないマキシャの例えに、羽虫が顔の回りをたかっている想像をしてしまいダンドは頭を振った。
「で、シルマーリア殿はこの男を如何するつもりかのう?」
マキシャのセリフにダンドはハッとしてシルマーリアを見る。
「この男は奴隷行きです。」
(やはりか…。)
元々予想の範疇だ。しかし魔力の無い者は体が弱いと聞いた後では録な買い手は望めない。労働奴隷として二束三文で買い叩かれるのはほぼ死刑宣告に近いだろう。
だが、シルマーリアの続いた言葉はソレとは微妙に違ったものだったのだ。
「そして、この男は私が買います。軍費ではなく、私費で。」
シルマーリアの言葉にいち早く反応したのは、それまで沈黙を通していたグレゴールだった。
「シルマーリア様、そのような男を買ってどうするのです?小間使いならば、侍女のミリアもおりますし兵もおります。わざわざ私費を無駄にする事もないでしょう?」
「無駄かどうかは私が決める事だ。千人長は上司の私費の使い方にまで忠言する気か?」
「しかしですな…!!」
シルマーリアとグレゴールのやり取りは次第に熱を帯びていく。
しかし、どちらにせよダンドの意思が反映されなさそうではある。元より敗戦の兵に決定権などないが。
「こうも女子に求められるとは男冥利に尽きるのではないかの?」
話の蚊帳から出されたマキシャが声を掛けてくる。
ダンドはどう返したら良いか分からずただただ苦笑いをするしかなかった。
「奴隷の用途など何でも良いではないか。無用であるなど、何かさせなければならん訳でもなしに。それこそ愛玩用で買われる奴隷などよくあることだ。」
「ご冗談を!貴族の娘ともあろう方が男の愛玩奴隷などと!」
「この男を買うのは既に決めていた事だ。それを変える気はない。」
グレゴールの顔は渋面もいいところだったが、遂には仕方ないとため息をついた。
「愛玩用か。流石イチモツの大きい男はよいのう?私にも味見させて欲しいものじゃ。」
羨ましそうに呟くマキシャ。この童女は何を言っているのか。
割りと色々な状況にダンドの思考は停止しかけている。
「わかりました。そこまで仰るのならばもう止めはしませぬ。」
「すまぬな、グレゴール。」
「しかし、条件がございます。この男と一度模擬戦をさせていただきたい。」
如何に貧弱そうに見えても、危険がないとは限らない。模擬戦でダンドの腕を見ておかねば護衛の観点から許可しかねる。というのがグレゴールの言葉だ。
それで気がすむのなら とシルマーリアはダンドに意見を求めるでもなく決めてしまった。
「グレゴール、模擬戦では刃落としの剣ではなく木剣を使え。ダンド、お前もだ。」
ダンドは戦場に立った事は何度もあるが、実際に切った張ったをしたのは一度か二度しかない。しかもその時ですら、重い剣に振り回され、ろくな活躍をしていない。
そんなダンドと模擬戦とはいえ戦うのは如何にも武人ぜんとしたグレゴールだ。勝てるヴィジョンなどまるで浮かばない。
ダンドはこの絶望的な状況に溜め息を付くぐらいでしか抗議の意思を示すことができなかった。