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 その夜、帰宅した僕は制服のままベッドに身を投げた。


 今日はいつもより疲労感が凄い。眞鍋さんとご飯が食べられたのに、その感動すら消してしまう程に僕の悩みは深刻だった。


 母の日。


 店がどれだけ忙しくなろうと僕は平気だ。沙苗ママの機嫌取りしながら仕事なんて慣れっこだし、喧嘩が始まったとしても宥めるのは得意だし。

 

 僕が不安なのはそこじゃない。


 セミダブルのベッドは僕にはちょうどいいが大の字になるには少々狭い。仰向けになって出来る限り手足を開き、天井をぼんやりと見つめた。


 僕が出来ることなんてない。


 と、思いたかった。少しでも考えたら、答えなんて無限に出てくるのに。見えているはずの答えを手で隠して、無い無いと言い続けて…そうして母の日をやり過ごすつもりだった。


 起き上がることもせず、ポケットからくしゃくしゃになった煙草を出した。残っていた最後の1本に火をつけてゴミ箱へひょいと空き箱を投げ入れるが、空き箱はゴミ箱の淵に当たると此方へ転がった。


 煙草に火を付けて溜息のように煙をはぁっと吐き出す。気分は全く晴れない。口を(すぼ)めて煙で輪っかを作ってみたりもするけど、気を紛らすことは出来なかった。

 

 その時、足元で電子音が響いた。


 時間は既に21時を過ぎている。こんな時間に電話をかけて来るなんて…店か店長、ケンさんくらいだ。


 早めに退勤したのにまだ仕事の話をするのか…弾みをつけて起き上がり、半ばうんざりしながらケータイの画面を見た。


 そして、息を飲んだ。


 父さん


 白のゴシック体は意外な人物の名前を表示していた。


 嫌な予感が脳裏を過る。一瞬の間に、出るか出まいか悩んでしまった。


 きっとただの雑談だ。

 もしくは大学の書類でも届いたんだ。


 そう言い聞かせても、不安は拭い去れない。


 「も、もしもし」


 ついに通話ボタンを押して出てしまった。


 数秒の間を挟んで、久々に聴く低いダミ声が僕を呼んだ。


 「おう…航。父さんや」


 「うん、久しぶり…元気にしとった?」


 22年息子をしているのに父の声がこんな久しぶりに思うなんて、どうやら僕はかなりの連絡不精らしい。でも父の声は機嫌が悪い訳でも良い訳でもなく、普通だ。


 というか、そもそも父が怒ることはあまりない。母がガミガミと口煩く叱って父に説教をパスしても、いつもぽつりと「次からは気を付けや」とだけ言って終わっていた。


 「こっちは元気や。お前は病気してへんか?」


 「なんとか、って感じ」


 頻繁に体調を崩すことがあるとは流石に言えない。


 「…母さんの具合はどう?」


 「食事の量は相変わらずやけどな、薬もちゃんと飲んどるしこの間の検査も悪くない言われてな…ぼちぼちってとこや」


 母は一昨年病気で倒れ、今は通院と治療を繰り返している。家には父しかいないけど、なんとか上手くやっていけてるみたいだ。


 「そっか…で、何の用?」


 僕は些かの安堵もあって頬を緩めた。今日一番自然な笑みが零れて、胸に(つか)えたものが取れたような気がした。


 「あぁ…最近、忙しいんか?」


 「うん。この春からバイトリーダーやからさ、仕事が多くなって…」


 「仕事をするんもええけどな、学業がお前の本業なんやからな」


 珍しく説教を垂れる父に僕は思わず吹き出した。何や、と父がムッとするが、その声もやはり笑っていた。


 凄くホッとする。


 そんなやり取りも束の間、


 「…ほんでなぁ」


 急に父の声のトーンが下がった。それに僕の頬も引き攣る。


 「…母の日は、帰って来やんのか」


 ズキッと刺さる言葉に僕は口をつぐんだ。やっぱりか、と息をつくので精一杯だった。


 返事がないことを確認した父は溜息を此方に返してきた。それが余計に僕の胸を苦しい程に締め付ける。


 「まあ、しゃあないな。花屋が母の日に忙しくない訳が無いからな」


 …違う。


 「それに、ここまで帰って来るのも大変やろ」


 …違う。


 「ただなぁ」


 散々僕に言葉を叩きつけた父は、トドメの一発をお見舞いした。


 「お母さん…寂しがってんねや」


 僕は静かに目を伏せた。血が出そうな程唇を噛み締めて…


 そうしてやっと絞り出して出た一言が


 「ごめんって…伝えといて」


 しばらく無言が続いたものの、父は静かに「…わかった」と一言だけ残して電話を切った。


 無機質な電子音が小さく響くケータイを、僕は力なくベッドへ投げ付けた。ケータイは数回転がると、やがて電子音を発さなくなった。

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