樹を手土産に
「ハルが……異世界の住人だって?」
「……」
「なんと……」
目を見開いたウェサマーが聞き返す。
無言で頷くカイルに、執務室に居合わせたディストもまた驚きを隠せなかった。
カイルが初めて会ったばかりのハルに口づけを落とした翌日、警戒するウェサマーを嗤うようにあっさりと、カイルは何故か一旦、王都へと帰っていった。
しかしなんの前触れもなくふらりと城館に戻ると、話がある、と突然ウェサマーの執務室に押し掛けてきたのだった。
その手にある一度目にはなかった大荷物を見て、ウェサマーはいつかのように嫌な予感に襲われた。
そして同じく平然を装ったが、その為に退室しようとするディストを止めるくらいには動揺していた。
ディストがいようとお構いなしにカイルが口にしたのは、ハルの事だったからだ。
告げられる事実は、おとぎ話だと思っていた異世界が現実にあり、ハルが魔術を通してこちらの住人になったという事。
俄かには信じがたい話に、しかしウェサマー達はすんなりと受け入れた。
「やはり魔術が関連していたか……。それならば門番を掻い潜り突然庭園に現れた事も説明がつく」
「ハル殿はどこからやって来たのかと思っていましたが、まさか異なる世界とは。ふぉっふぉっ。長生きはしてみるものですなあ」
「あの珍しい黒い髪も瞳も、言葉の事も、異なる世界の者だとすれば、なるほどと思える。だが……」
「はて。しかしカイル殿も珍しい黒髪ですな。もしやハル殿とご同郷なのですかな?」
一人思案に暮れるウェサマーの傍ら、ディストがあくまでも自然に素朴な疑問を投げかける。
カイルは無表情のまま肩を竦めるとゆっくりと口を開いた。
「違う」
「そうでしたか。いやはや、不躾な事をお聞きして本当に申し訳ない」
「……」
「カイル。お前の言う、彼女が異世界からの迷い人だという事は疑ってはいない。だが、お前は何故それを確信した? 魔術師であれば誰もが分かるものなのか?」
「……」
「カイル?」
「……シロクロ」
ウェサマーの問いに、カイルは一言だけ呟くと、ぱちん、と指を鳴らした。
突然、ぶわっと執務室に風が舞う。
ウェサマーとディストが思わず瞬くと、いつの間にか、白と黒のまるくふわふわした毛玉がひとつずつ、カイルの両肩に乗っていた。毛玉には円らな瞳が付いていて、ほよほよと動きながらカイルと話を始めた。
「カイルサマ! マタ、メンドウ二ナッタ?」
「カイル様。いい加減、私達を代わりに喋らせる為だけに呼ぶのはどうかと思います」
「……」
「ム! タシカ二、オレタチ、タノシイ」
「もう……仕方ないですね」
毛玉が向き直り呆気にとられる二人の前で、球体なのになぜかそうと分かるお辞儀をしてきた。
「カイルサマ、シャベルノ、メンドウ。オレタチ、カワリ。オレタチ、ハナシズキ!」
「カイル様の使役魔をしております。切り離されたカイル様の魔力の一部でもあります。私はクロ。こちらはシロです」
「あ、ああ。私は……」
「ウェサマーサマ、シッテル! コノアタリノ、リョウシュサマ!」
「ああ。知っていたとは、光栄だ」
「ふぉっふぉっ。これはこれは、可愛らしいですなあ」
二匹の礼儀正しい毛玉が話す傍ら、カイルはといえば、窓の外をぼんやりと眺めている。
ウェサマーは突然目の前で見慣れない魔術を見せられ、前後の話が一瞬飛びかけていたが、ハルに関わる事を聞き逃しはしない。
ウェサマーの質問に答えてくれる二匹の毛玉に耳を傾ける。
「話は聞いていました。見た目はともかく、魔力でハル様が異世界の人間だと判断できるのは、おそらくカイル様とカイル様のお師匠様くらいでしょう。一部の本来の高い魔力を持つ王族は分かりませんが、今は王族でも、他者どころか自身の魔力にさえ気づかない方もいます」
「マジュツシデモ、カイルサマ、トクベツ。ダカラ、カクシン、デキルコト、デキタ」
「……? どういう事だ?」
眉を寄せて問うウェサマーに、シロは爆弾を投げつけた。
「ハルサマ、コノセカイ二、ヨバレタ。ヨンダノハ、カイルサマ」
「何……?」
「……」
爆弾をもろに受けたウェサマーはしばらく息をするのも忘れてカイルを振り返った。
カイルはちらりと見ただけで、無表情のまま何も言わない。
「おかげでカイル様は一時魔力を使い果たしました。魔力を持つ者はひかれ合います。だからハル様はカイル様のところではなく、この城館へあらわれました」
「魔術とは実に興味深いのう。それはまたどうしてですかの? 王都にこそ、魔術師の方がたくさんおられると聞きますぞ。魔力というものに、引かれなかったのですかな?」
「誰彼かまわずひかれ合いはしません。魔力の他にも、庭園の花や、澄んだ泉。ここはハル様がこちらへこられる条件が揃っていました」
「ソノトキ、ジュツシャノカイルサマ、マリョク、カラッポ! ズット、ネテタ」
「今も魔力はやっと回復してきている途中で、初めてここへ来た頃は、ハル様の気配を探る事すらできませんでした。私達がいなければ命を落としていてもおかしくなかった状態です」
「なんと……。ハル殿は良くご無事で……」
「……何故、彼女を?」
ウェサマーはシロとクロではなく、しっかりとカイルを見据えて問いかけた。
その強い視線を受けて、カイルは初めて無表情を崩し、笑みを見せた。
しかしそれは、ハルのような誰もがほっとする温かなものではない。
おそらく、伝承の魔王と呼ばれるものが笑うとこんな顏になるのだろう、意地の悪さを前面に出した醜悪な笑みだった。なまじ顏が綺麗な分、より酷薄に見える。
そして、ウェサマーは再び爆弾を投げつけられた。
「昔から、ハルを知っていた。喚んだのは……恋焦がれていたからだ」
「っ! ほう……?」
投げられた爆弾はまたもウェサマーを直撃したが、今度は息を止める事なく笑みすら浮かべた。
口元だけを歪ませるその笑顔はカイルと瓜二つであった。
「実際に触れたハルは……やわらかかったな」
「……」
それまでに比べ、格段に饒舌になるカイルの言葉を聞いたウェサマーの背中に、ゆらり、と黒い炎が立ち上る。脳裏に、顏を可愛らしく真っ赤に染め上げたハルの顔が浮かんでいた。
何時か見たものはただの老眼ではなかったのかと、ディストは目を丸くした。
カイルとウェサマーの間に、バチバチ、と音がするような閃光が走った。
心なしか空気が震え、執務室の壁にぴし、ぴしと小さなヒビが入っているようだ。
いつの間にか、二匹の毛玉はいなくなっている。
ここに居るのがエリックなどであれば、じ、じーちゃん、じーちゃん! 魔王が! 魔王がいるよ! 二人も!! と恐怖に慄くであろう光景だ。
もっとも、その頃のエリックは、渦中のハルと一緒ににこにこと雑草を抜きながら、ほのぼの庭師ライフを満喫していたが。
「ふぉっふぉっふぉっ。ハル殿は大変ですなあ」
ディストの呑気な声が響き渡り、執務室の一触即発の空気は、あっという間に霧散した。
ウェサマーは、はっ、と力を抜き、一瞬我を忘れた感情はなんだったのか、思案する。
やはり、ディストに居て貰う事にして良かった。
「……ディスト、カイル、すまない。どうも最近、ハルに関わる事となると私はこうして我を忘れる」
「それこそが、恋の病というものですじゃ。ぞんぶんに、お楽しみなされよ。ふぉっふぉっ」
「こっ……!?」
一瞬で顏を真っ赤に染め上げたウェサマーを見て、ディストは朗らかに笑った。
執務室の背景はすっかり、どろどろした魔王城から桃色の花園へと変わっている。
カイルは顎に手を当てて、ウェサマーとディストをただじっと眺めていた。そして、ひとしきり照れたウェサマーが落ち着いてきた頃、ゆっくりと口を開いた。
「冗談だ」
「冗談、だと?」
「……あんた。余りにも、面白いからな。悪いな」
悪びれもせず表情ひとつ変える事なく言うカイルに、ウェサマーは思わず頭を抱えた。
これほど翻弄されるなど、愚の骨頂だ。
恋とは、こんなにも己の頭を弱くさせるものなのか。
「まあまあ、ウェサマー様。皆初めは、そんなものですぞ。お気に召されるな」
「ディスト……」
落ちこむ心に、ディストのやさしさが沁みた。
だがカイルは容赦なく塩を塗る。
「今日からここに滞在する。上には許可を取ってある」
「なっ……」
絶句するウェサマーに荷物の中から軽くぽん、と渡された許可証。
王都へ戻っていた僅かともいえる期間にどんな名目でもぎ取ったのであろう。ご丁寧にも国の最高幹部、王の署名が入っている。
救いがあったのは、基本的には領主であるウェサマーに従う事、その貴重な身が病などこちらで対応しきれない状況に置かれる前に、最適な処置を受けられる王都へと速やかに帰還する事など、いくつかの条件があった事だ。
「王は干渉しない。安心していい」
「そうか……」
ウェサマーは態度には出さないよう、心で大きなため息をつき、しぶしぶながら頷いた。
カイルはまたごそごそと荷物を漁ると、土が零れないよう透明のしゃぼん玉のような膜で覆われた小さな苗木を差し出した。
ウェサマーが受け取ると、膜ははじけて消えた。
「手土産だ。ドナッドの樹といって、ある程度大きくなる。その樹のある家の者の精神力を高めると言われている。庭園にでも植えてやるといい」
つまり、精神を鍛えろと言いたいのか。
ウェサマーは真摯に受け止め、微笑んで頷いた。
普通の貴族なら、憤慨し、刑に処するところだ。
「分かった。居室の案内はいるか? 必要以上にハルに近づかなければ、自由に過ごして構わない」
「……くくっ」
「……?」
「……面白い」
受け入れる精神力の高さがありながら、ハルの事をしっかりと釘をさしてくるウェサマーに、カイルは思わず、魔王ではない笑みを零した。
そのまま大きな荷物をふわふわと浮かせながら、悠々と執務室を去って行った。
「ウエサマ。平常心ですじゃ」
「ああ……」
敢えていつもハルが呼ぶ愛称で慰めてくれるディストに、ウェサマーは大いに感謝した。