泉に映るもの・上
その日。
ウェサマーはいつも通り時折ハルに想いを馳せ、人々の幸せ、もとい毎日庭園に顔を見せるというハルに会う時間を捻出する為、猛然と執務をこなしていた。
自身にとって仇敵とも言える人物と出会うとも知らず……。
そして、一人目の謁見の時間が訪れた。
「ヴェルグ。お前の孫が来たぞ」
「ちっ。来やがったか」
「やっほーじいちゃん。相変わらずだなー」
穏やかな陽の光が降り注ぐ午後、ウェサマーは一人の青年を伴って、庭園のベンチに腰を休めるヴェルグに声をかけた。
ヴェルグに手を振り悪態にも明るく応える青年は名をエリックといった。
若いながら庭師として良い腕を持ち、腰を悪くした祖父のヴェルグの代わりにこの庭園を管理する事になったのだった。
にこにこと屈託なく笑うエリックは、どこかハルと似た雰囲気を持っていた。
「これ、ばあちゃんからの土産。顔見るの楽しみにしてるってさ」
「ふん」
ヴェルグは顰め面をしながらも、妻マーサの手作りの焼き菓子を受け取ると仄かに頬を緩めた。人間嫌いで偏屈なこの男は、意外にも甘い物好きであった。
「庭出てて平気? 領主様の手紙には相当悪いってあったから心配してたんだ」
「……おい坊。どんな報せ方しやがった」
ウェサマーとてヴェルグの家族を不安がらせるつもりは毛頭ない。だが、無理をしかねない庭師を早く休ませてやる為、少し過剰に伝えてもいた。
そんなウェサマーの内心にヴェルグは大方の検討をつけていたが、家族を過剰に心配させる事を良しとしない為、己の主をじろりと睨み上げた。
そんな事をしてもウェサマーは咎めなどしない。むしろ、すまなそうに笑って己の非を認め、謝罪すらしてくるだろう。
しかし。
「事実だろう?」
肩を竦めて悪びれもせず応えるウェサマーの姿に、ヴェルグは思わす眉をひそめた。
どことなく不機嫌な様子で発する声の冷たさはヴェルグの良く知る普段のウェサマーからはかけ離れている。ましてや目の前に居るエリックの心配を煽るような事は決して言うはずがない。
「坊。お前……」
「ヴェルグ! ウエサマ!」
何かあったのか。ヴェルグの思案を、ハルの元気な声が遮った。
ぴくり、とウェサマーの肩が震える。
エリックが目を丸くしてハルのその明るい笑顔と、珍しい黒髪に見とれているのを目の端に捉え、ウェサマーは浮かんだ人物の姿に蓋をする様にきつく目を閉じた。
しかし容赦なく瞼に蘇る、ハルと同じ艶やかな、黒。
それと同時にじくじくとウェサマーの胸を焼く炎もまた、黒い炎であった。
初めて経験する痛みに、困惑し耐えるように深く眉間に皺を寄せてぎゅっと胸を掴む。
そんなウェサマーをヴェルグもまた眉間に皺を寄せて黙って見ていた。
それは、エリックが謁見に来るほんの数時間前。
その時点での書類の処理を終え、午前中に一人目の謁見を控えたウェサマーはすこぶる上機嫌だった。午後にエリックが来る事が分かっていたので、彼を伴えば堂々と執務としてハルの居る庭園に行けるからだった。
早くその時が来ればいい、と心待ちにしているウェサマーに、一人目の来訪を告げる声がかかる。
瞬時に頭を切り替えたウェサマーは姿勢を正してその人を迎え入れ。一瞬、言葉を失った。