ウェサマーの休日・中
運び鳥とも呼ばれる、ダ・チョーの鳴き声が聞こえて、ヴェルグはゆっくりと腰を上げ、玄関を開けた。
ぽっぽっぽー、と鳴くダ・チョーは珍しい。
そして、空を飛べる方のダ・チョーも、乗りこなす者も、そうは居ない。
確かめなくとも、誰が来たのかは分かっていた。
「突然、悪いな。腰は大丈夫か? ヴェルグ」
姿を見せた、片手を上げて朗らかに問いかけるウェサマーに。ヴェルグは、嫌そうに顏を顰めて、口を開いた。
「ちっ。また来やがったのか」
「……可愛らしく、『来ちゃいました! てへっ』と言った方が良かったか?」
上目使いで、おどけて小首を傾げるウェサマーは、確かに可愛らしい。
しかし、ヴェルグは、腹の底から低い声で言った。
「やめろ馬鹿気色わりい」
「すまん。私もやっていて鳥肌が立った」
「なら、やんな。……っと、なんだ、ハルまで連れてきやがったのか」
「ヴェルグ、こんにちは! 顏、見る、私、嬉しいです」
両腕を擦るウェサマーの後ろから、ヴェルグの顏を見て、喜色満面のハルが顏を出した。
すると。
「まあまあ! ウェサマー様、それに、とっても可愛らしいお嬢さん! ようこそいらっしゃいました」
ヴェルグの後ろから現れた老婦人もまた、嬉しそうな声を上げた。
「こんにちは! 私、ハルです」
「まあまあ。こんにちは、ハルさん。お二人共、どうぞ、ゆっくりしていって下さいね。さあさ、どうぞ中へ」
「ありがとう、マーサ。さあ、ハル」
「どうぞ……、〇△、家〇……。言葉、違う、ごめんなさい。家、入る、ありがとう」
「あら? ふふ、どういたしまして」
「けっ」
孤児院を後にしたウェサマーたちは、その足で、腰を悪くして退職した庭師、ヴェルグの元を訪れていた。
ヴェルグの傍らには、偏屈な彼が唯一愛した女性、マーサが寄り添っている。
マーサは、孫のエリックと共に王都に住んでいたが、今は、ウェサマーの城館のある街から少し離れた、この小さな村で。ふたり穏やかな時を満喫していた。
平和なこの国にも、賊は居る。
いかにも襲われそうなこの村は、ウェサマーの配備した屈強な警備兵から守られていた。
マーサがお茶を淹れると、ヴェルグはすぐに飲み干して、「不味い、もう一杯だ!」とおかわりを強請る。それを聞いたマーサは、「はいはい」と、嬉しそうに、お茶を注いだ。
ふたりの仲睦まじい姿を見て、ウェサマーもハルも、微笑みを浮かべるのだった。
「坊。仕事はどうした、仕事は。ヘマやらかして逃げ出してきたか? ついこの間、その見たくもねえツラ晒しにきたばかりじゃねえか」
「今日は休暇にしたんだ。お前たちの顏が見たいと思ってな」
「休暇だあ? 仕事の虫のてめえが? んな所来てねえで、さっさと帰って寝てろ!」
改めてマーサとハルの紹介をした四人は、卓を囲んでお茶を飲みながら、和やかに話始めた。
この小さな家には、孫のエリックはもちろん、ヴェルグが小さな庭で育てた薬草の茶を目当てに、村人たちも良くやって来ていた。
ヴェルグは相変わらず偏屈で無愛想、口を開けば悪態ばかりだが。マーサが傍にいるからか、その表情は、城館にいた頃よりも、どこか柔らかい。
悪態に、初めは面食らった村人たち。しかし、村の暮らしのように穏やかな彼らは、マーサの取り成しもあって、少しずつヴェルグとの接し方を学んでいった。
彼は、極度に不器用な男なのだ、と。
「こほん。え~、訳します。仕事の調子は如何ですか? 無理をせず、何かあれば此方へ来て、心身を休めていって下さいね。会わずとも、貴方が頑張っているのは分かっていますから。ただ、そう頻繁にいらっしゃると、其方で余程嫌な事があったのかと心配になってしまいます。と、言っています」
「てめ、コラ! マーサ、何言ってやがる!」
「あら、大方間違ってはいないでしょう? 後半は、そうね。いつも仕事ばかりのウェサマー様が、自ら休暇を取るなんて。もしや、体調を崩されたのでは? 早くお帰りになってお休み下さい。ね、ほら、合っているでしょう?」
からからと笑うマーサの笑顔に、ヴェルグはうっ、と息をつまらせると、舌打ちをしてそっぽを向いてしまった。
「ははっ。気遣ってくれてありがとう。正直に言えば、近頃は少々無理をしてしまっていたが、そのおかげもあって、こうしてお前たちに会いに来られた。今はもう大丈夫だから、安心してくれ」
「ふん。休暇ってんなら、何も、んな辺鄙な村になんざ来なくても、街にでも連れてきゃ良かったじゃねえか。逢引きだってのに、色気のねえ」
静かに、美味しそうにお茶を飲んでいるハルを見ながらヴェルグが言うと、話の内容が分からなかったハルは首を傾げて、何? と目だけでヴェルグに問いかけた。
ヴェルグが、それに手を振って何でもねえよ、と口に出さずに言うと、そのやり取りを少し羨ましそうに見ていたウェサマーが口を開く。
「ここがいいんだ。お前に会えたら、きっとハルも喜ぶと思ったからな。結果は、ご覧の通りだ」
「けっ」
ヴェルグの言葉に、ウェサマーが、ついさっきのハルの笑顔を思い出していると。どこかそわそわとしていたマーサが、瞳を輝かせて手を合わせながら、嬉しそうに立ち上がった。
「まあ! ウェサマー様ったら、逢引きなんて、まあ、まあ! 漸く、想う方が? と思ったら、やっぱり! あなた、どうして教えてくれなかったの? 大変、こうしてはいられないわ。お祝いに、とびきりのお菓子を作らなくっちゃ!」
きらきらとハルを見つめるマーサの瞳は、まるで少女の様に輝いていた。
突然そんな目を向けられたハルは困惑していたが、マーサが台所へ消えてしまうと、何か手伝える事はないかと席を立ち、その姿を追っていった。
「ちょ、待て、おいマーサ! ハル! ちっ。行っちまった……」
「ははっ。相変わらず元気だな、お前の奥方は。少し、ハルと似ている」
「言ってろ」
二人を追うように立ち上がっていたヴェルグは、椅子にどかっと座り直すと、頬杖をついた。無意識に、マーサの居る台所の方を向いている。
ウェサマーは、そんなヴェルグに気付いて、くすりと微笑んだ。
そして、思った。
あの穏やかな、庭園での一件がなければ。
きっと、こんな時間を過ごす事はなかっただろう、と。
本音を言えば。
あれだけ苦心し、ハルを遠ざけようとしていたウェサマーは、この日、ハルを誘いに行くだけでも当然、激しい葛藤があった。
けれど。
会ってしまえば、もう。抑えることなど、できない。
「少し、長くなるが。聞いて貰えるか? ヴェルグ」
「激しく嫌な予感しかしねえが、どうせ暇だ。菓子が来るまで聞いてやる」
「はは、ありがとう」
マーサのあの様子では、お菓子が出来るまでは、それなりの時間がかかる事が伺えた。
口では何だかんだ言いながら、きっちり最後まで聞くと言ってくれているヴェルグに、ウェサマーはふっと笑って、口を開いた。
ふたりからは見えない台所では、マーサとハルが笑い合い、本当の祖母と孫のように仲睦まじく、お菓子を作っている。