ウェサマーの休日・上
直接の描写はありませんが、終盤、不快な暴力の表現が一文入っています。申し訳ありませんが、予めご了承下さい。
ウェサマーは、知らない。
今は殆どの人間が失っている魔力を、王族が強く有しているのは。王族が、初代君主と、消えたとされる魔王との、子孫だからだという事。
今の魔術師たちは、何らかの負の感情を暴発させながらも、それを克服した、稀有な存在だという事。
克服できず、力に呑まれた者は。魔術師たちによって、――いるという事を。
「ウェ兄ちゃん! こっちこっち!」
「この声は、マルコだな。よし、捕まえるぞ! どこだ?」
「あはは! だから、こっちだってば!」
暖かな陽射しが照らす、孤児院の明るい庭で。ウェサマーと幼い子供たちの、楽しそうにはしゃぐ声が響き渡っていた。
遊ぶウェサマーたちを、普段子供たちを世話している使用人が、少し離れた所で腰を降ろして、微笑ましそうに眺めている。
この孤児院はウェサマーにとって、まだ幼い頃から足繁く訪れていた、温かく、第二の家とも言える場所でもあった。
目隠しをするウェサマーを囲んで、こっちこっち、と囃し立てる子供たち。捕まりそうになると、逃げようとウェサマーの体によじ登ったり、服や髪をひっぱったりと、全く遠慮がない。
身分も立場も忘れて、童心に返って遊ぶウェサマー。子供たちに何をされても楽しそうに笑う姿は、活き活きと輝いていた。
「おっ……と、よし! 捕まえたぞ~」
「ちぇー……」
「あはは! マルコがつかまったー! 次はマルコがオニさんだね!」
子供たちは皆、いつも分け隔てなく遊んでくれる、この優しいお兄さんが大好きで。来てくれるのを、とても楽しみにしていた。
そして、ウェサマーもまた、兄と呼ばれる事が嬉しかった。
ウェサマーと歳の変わらない年長の子供たちは、既にウェサマーの正体を理解し、何人かは、態度や名前の呼び方を改めている。
それは、純粋に敬意を払っての事であったし、それが自然の事だとも、ウェサマーは分かっていた。
ただ、正直な所は、どこか寂しい。
同じ「人」なのだと。
ウェサマーは、大切に想う領民たちにとって、自身も、近しい存在でありたい、と思っていた。
だから、何のてらいもない馴染みの者たちや孤児院の面々、そして、ハル。その存在は、ウェサマーを強く支えているのだった。
「へっへん。おれなんか、ウェ兄ちゃんより早くつかまえられるもんね! 見てろ、よっ、わあ!?」
「わっ! ウェサマー兄たいへん! マルコ転んじゃったよー。マルコ、だいじょうぶ?」
「……い。いたいよー! うわああん!」
「ああもう、目隠しをしてすぐに走り出すからだ。ほら、見せてみろ」
泣きだしたマルコをあやすウェサマーを、子供たちが囲む。
幸いにも傷はなく、マルコは突然の痛みに驚いて、泣き出してしまっただけであった。
思わず駆け寄っていた使用人も、ほっと胸を撫で下ろし、ゆっくりと元の場所へと戻って行った。
「よしよし。痛かったな、マルコ。大丈夫、怪我はないぞ」
ウェサマーがマルコを抱き寄せ、背中をぽんぽん、と優しく撫でてやると、マルコは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「良い経験をしたな、マルコ。痛みを知れば、その分、人を思いやれる。時に厳しい痛みもあるだろうが、そうして得る優しさは、誰かを守る為の、本当の強さになると私は思う。お前は、またひとつ、強くなったぞ」
「うっ。ふ、え、ひぐっ? うう……? 良く、わかんない……。おれ、ぐす、つよいってこと……?」
「ああ。少し大袈裟ではあるが、事実だ。それに、お前は大きくなったら、この国を守る、立派な兵士になるのだろう? さあ、どうしたらいいかな?」
マルコに目線を合わせて、優しく問うウェサマー。
安心させるように見つめると、マルコの涙は、ぴたり、と止まった。
「うう~? ひっく。……へーたいさん、つよい。ひっく。……おれ、泣かない」
「よし! 偉いぞ、マルコ」
「うぐ。ふ、ふん! ひっ、く。このっくらい、へっちゃらだ!」
鼻水を啜りながらも、すっと立ち上がったマルコを、ウェサマーが頭を撫でて褒めてやると。それを見た周りの子供たちが、僕も、私も、とウェサマーに群がった。
内気で自分からは言えず、もじもじしている子供には、ウェサマーが自ら、声をかけてやる。
「ほら、おいで」
「うん。えへへ……」
「よしよし」
ウェサマーが一人一人頭を撫でてやると、子供たちは皆、嬉しそうに頬を緩めた。
腰を落として子供たちの背丈に合わせているから、一生懸命に手をのばして、ウェサマーの頭を撫で返してくれる子もいた。
そんな温かい触れ合いが、一段落つく頃。
「さあ皆、そろそろ、お食事にしましょう?」
「わーい!」
いつの間にか現れ、使用人と一緒に、ウェサマーたちの様子を見守っていた壮齢の女性が、子供たちに声をかけた。
孤児院の制服を纏ったその女性は、子供たちから「お母さん」と親しまれ、優しく、時に厳しく深い愛情を注ぐ、この孤児院の院長だった。
彼女もまた、ウェサマーが幼い頃からの馴染みの人物であった。
そして、その傍らに。
エプロンを身に纏った、ハルの姿があった。
「ほらほら、まずは手を洗ってきなさい。それから、作ってくれたお姉さんに、お礼も忘れずにね」
「ありがとー、ハルちゃん!」
「ありがとう? 私、嬉しいです。ありがとう!」
ハルに群がるように集まる子供たちに、「手、洗う!」と慌てるハルの姿を見て、ウェサマーは微笑んだ。
あの、庭園での穏やかなひと時を経た、数日後。
ウェサマーはこの日休暇を取り、私的に、定期的に慰問に訪れているこの孤児院へと訪れていた。
すっかり厨房での仕事に慣れ、今では作るようになった料理が評判になりつつある、ハルを連れて。
「ウェサマー様。ハルさんはとても手際よく食事を作って下さいましたよ。初めて目にする料理でしたが、本当に美味しくて、驚いてしまいました。彼女は、魔術師なのですか?」
「魔術? 彼女の行動を見る限り、恐らく、使う事はできないようだが。何故だ?」
「ああ、いえ。鍋をかき混ぜる間、『こめ……みそ……しょーゆ……ぎょーざ!』と延々と呟いていましたので。きっと、美味しくなる呪文か何かなのかと……」
院長がハルから聞いた通りに呟くと、顎に手をかけたウェサマーは、ひとり深く頷いた。
「その言葉は、いくつか聞き覚えがある。何故か口にする時、それはそれは切なげな表情で、皿を見るんだ……。そうか、呪文なのか……?」
「ふふ。何にせよ、彼女をお連れになった理由が分かりました。子供たちはどんな食事でも喜んでくれますが、できるだけ、色々な献立にしてあげたいものですから。本当に助かりました」
「……」
子供たちの為に、ハルを連れてきたのだと思っている院長に。ウェサマーはこっそり、心の中で謝罪した。
もちろん、それもひとつの理由ではあったが。
元々訪れようとしていた孤児院へハルと一緒に来たのは、彼女の、子供が好きだと言う言葉に押された事と、単純に、一緒に居たかったからだった。
そして、その想いは結局、院長には見透かされる事になる。
「おなかいっぱ~い!」
「かれえもどき、美味しかったあ! お母さん、これ、また作ってね!」
「ええ。ハルさんに作り方を教えて頂いたから、また作ってあげるわね」
食事が始めると、子供たちは、皆あっという間に平らげてしまった。
だが、ウェサマーだけは。
「美・味・い……」
初めて口にする、ハルの一からの手料理。
感動し、一口一口、噛み締めながら食べていた。
その為。
「ウェサマーお兄ちゃん、まだ食べてるの?」
「そっとしておきましょう」
何と無しにウェサマーのハルへの想いを察した院長から、生暖かい視線を浴びながら、食事をする羽目になった。
もっとも、ウェサマーはそんな視線を気にせずに、ただ幸せを噛み締めていたが。
そんな中。
子供たちは、おなかがいっぱいになると。転寝を始める子や、遊び足りずに庭へ飛び出す子、食事の後片付けをするハル達を手伝う子など、それぞれ自由に過ごし始めた。
そして、漸く食事を終えてご満悦のウェサマーの元にも。
「お兄ちゃん、ご本読んで下さい」
本を手に、一人、また一人と子供たちが集まってくる。
「ガロン王国建国史? ……ああ、これは子供も読める方だな。だが、お前たちには、まだ良く分からない部分もあるんじゃないか?」
本をぱらぱらと捲り、ちらりと目線を下げれば。期待に輝く目がきらきらと、ウェサマーを見上げていた。
「はは。まあ、いいか。よし、そうだな……、庭で読むとするか!」
「わぁい!」
子供たちに囲まれて読み始められた本は、この国の伝承を一部纏めた、伝記だった。
遥か昔。
この時代、殆どの人間が魔術を使う事ができたが、まだ統一国家はなく、人々はいつも奪い合い、争っていた。
そんな荒れたこの地に、突如、魔王が現れた。
人々は争い合う事を止め、魔王に戦いを挑んだ。
ある者は剣を取り、ある者は命の火種をも、失った魔力の代わりにして。
しかし、誰も敵わなかった。
魔王は、挑んだ者たちの魔力を次々と奪い取って己の物にし、より強大になっていったのだった。
人々は力を合わせて、異世界に助けを求めた。
召喚は成功した。
現れた方こそ、後に君主となる、その方だった。
その方は、たったひとりで魔王を鎮めると、人々に説いた。
魔王は、人の負の感情によって生まれたのだと。
しかし、魔は純真であり、如何様にも姿を変える。
人を愛し、思いやり、慈しむのだ、と。
事実、魔王は、害意を持たない者には、一切の手だしをしなかった。
人々はその言葉に従い、やがて、優しく、温かな国ができた。
それが、今日のガロン王国である。
ウェサマーが本を閉じると、男の子は案の定「まおー、つえー!」「つえーのは、おーさまだろー!」と、木の棒で戦いごっこを始めた。
それを尻目に、女の子が、「今度はこっち!」と、灰をかぶった娘っこという、王道の下剋上恋愛物語をせがむ。
ウェサマーは、知っていた。
子供用の伝記には記されていない、また、一部の人間しか知る事のない伝承。
当時、人は憎悪、憤怒、嫉妬など、負の感情を持って生まれてくるとされていて、殆どの人間が、躾という大義名分で、虐待を受けて育っていた事。
少数の、その行為を受けずにいた者は、魔術はもちろん、魔力すら持たなかったという事。
魔王が、実は、争い合う人間が作り出した、人間兵器だという事。
同時期には魔物も作られていて、今もどこかに潜んでいるかも知れないという事。
どれも、子供たちが知る必要もない事だった。
ウェサマーは女の子に笑いかけると、優しい声で、本を読んでやった。せがまれるまま、次々と。
暫くして、院長の、おやつの時間を知らせる声が響くまで。
「美味しい~。ハルちゃん! 私、もっと食べたい!」
「ずるい! 僕ももっとちょうだい」
「お菓子、いっぱい! みんな、食うです」
ハルが作った焼き菓子は、これもまた好評で、次々と子供たちの口へ吸いこまれていった。
作った本人はひとつも食べていない。
「ハル。こっちを向いて?」
ウェサマーは焼き菓子をひとつ手に取って、子供たちの相手で忙しいハルに声をかけた。振り向いて何? と問いかけるその口に、焼き菓子をくわえさせる。
「美味しい?」
驚いて目を丸くするハルを見つめるウェサマーの美しい面は、極上の笑顔を浮かべている。
それを至近距離で直視したハルは、思わず頬を真っ赤に染めて、くわえた焼き菓子をかき込み、こくこくと頷くのだった。
読んで下さり、ありがとうございました。ご不快な思いをされた方がいましたら、申し訳ございません。