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陸の孤島・上

 静かな執務室に、カリ、カリ。と、ペンを走らせる音だけが響く。

 机には、積み上げられた書類の山、山、山。

 ウェサマーは、領地内の視察を終えて、帰ったばかりだったが。まるで自らの体を痛めつけるように、一心不乱に、執務に身をやつしていた。

 取ろうと思えば、多忙すぎて不可能なはずの、長期休暇が取れてしまいそうな程だった。

 ウェサマーは、恐れていた。そうでもしていなければ。

 己の内で燃え盛る、黒い焔が吹き出して――他でもないハルを、燃やしてしまうのではないか、と。


 それは、すれ違う事も多い庭園を除くと、ハルとの唯一の接点ともいえる、言葉を教える時間でのことだった。

 あの、庭園での一件の後。

 心の中で、気合い、ひゃっぱつ! 砕けろ、煩悩! と、何度も念じ。根性を奮い立たせて、なんとか、一旦は平静を取り戻したかに思えたウェサマーだったが。

 勉強の間、ハルの居室には、ウェサマーとハルのふたりきり。

 ウェサマーは、何度消しても頭に浮かぶ、カイルに横抱きにされたハルの姿を振り払い。部屋のやわらかな寝台が目に入る度に、爆発してしまいそうな独占欲を、必死に抑えていた。

 今までの比ではなく、勉強どころではなかった。


 自分が、何をするか分からない。


 こんな気持ちになったのは初めてで、ウェサマーは、たった独り無人島に放り出されたように、途方に暮れた。

 それは、ハルだけではなく、大切な家臣たちに対しても同様で。

 とにかく、自身から守る為に。

 ウェサマーは止むに止まれず、ハルたちから距離を置き。ハルとの勉強時間は、断腸の思いで、他の者に託したのだった。


 その結果。

 より一層、彼女のことが頭を離れなくなるとは、思いもよらず。

 

 それは、己を蝕む業火と、闘う日々。

 業火は、いっそ、ハルをものにしてしまえ、と。ひどく凶暴で攻撃的な獣の姿で、今にも壊れそうな檻の中を暴れ回っていた。守る為には、ハルを、近くに感じる度、遠ざけなければならなかった。

 

 ハルに、会いたい。そう、想うほどに。会えない。


 ウェサマーは、切ない想いを、執務に没頭する事で、忘れようとした。

 表面上は穏やかに、いつも通りの自分を演じつつも。その度に、孤独になっていった。


 しかし、そんなウェサマーを救い上げるのもまた、ハルの笑顔と、家臣たちだった。

 諸刃の刃になることは分かっていたが。ウェサマーは耐えきれず、見るだけだ、と時々庭園に行っては、ハルの笑って働く姿を眺めた。

 感情を抑え込むその顏は、知らず、無表情になっている。

 けれど。

 ハルの変わらない、温かな笑顔は、いつでも、ウェサマーの心を癒してもくれるのだった。

 

 そして今、執務室のドアを叩く音に。ウェサマーは緩慢に顏を上げ、入室を許可した。

 入ってきたのは、ヴェルグと並んで最も馴染みの深い、ディスト医師だった。


「どうした? 何かあったか?」

「いやいや。何もありませんぞ。けろけろ。ただ、ウェサマー様の顏が見たくなりましてのう。けろろん、ですじゃ」

「ふっ、くく。はははっ。な、なんだ、それは」


 はじめ背に隠していたディストの手には、がばっ、と大きく口を開けた、緑色のぬいぐるみがはめられていた。

 ディストが中で手を動かしたのか、話すのに合わせて、口をぱくぱくと動かしている。

 初めて見るおもちゃの、その、なんとも間抜けな顏に。ウェサマーの疲労の濃い顏にも、思わず、笑顔が綻ぶ。

 それは、ディストが見る、久方ぶりの、ウェサマーの心からの笑顔だった。

 ディストはしてやったり、と心の中で、ぐっと拳をあげた。


「これは、ぱぺっと、というそうで。ハル殿がお作りになりましてな。あちらの世界の生き物のようですぞ。面白いので、ウェサマー様にもご覧になって頂こうかと思いましての」

「ハルが……。くくっ。確かに、その間抜けな顏は、なんとも言えないな。初めて見るから良く分からないが、それは顏、でいいんだろう?」

「ええ。かえる、と仰っていましたよ。けろけろと話すそうですじゃ。なんとも面白い生き物が居るようですなあ。ふぉっふぉっ」

「それで、けろけろ言ってたのか? ふふっ。それにしても、良く、できているな。見せて貰えるか?」

「ええ、どうぞ」


 ウェサマーにぬいぐるみを渡しながら。ディストは、ウェサマーの笑顔を引き出すぬいぐるみを作ったハルに、大いに感謝し、ハルとの会話を思い出していた。


「こんにちは、ハル殿。お元気ですかな?」

「ディスト! こんにちは! お元気です!」

「おや? それは、何ですかの?」


 ハルが異世界からやって来たことを知ったディストは、ハルの体調に変わりはないか、定期的にハルのもとへ訪れては、注意深く、様子を見ていた。

 幸い、いつでも元気いっぱいなハルは、この日は居室でまったりと、縫い物をしていたようだった。

 ハルの手には、完成したばかりの、初めて見る姿形のぬいぐるみ。


「これは、パペットです!」


 聞き取れる単語を拾って、ずいぶん会話がつながるようになってきたハルが、にこにこと笑いながら、ぬいぐるみの中に手を入れて、動かした。そのつくりも初めて見るもので、ディストの関心をひいた。


「ぱぺっと?」

「これは、カエルです。ケロロ~」

「かえる……? けろろ? はて。それは何ですか?」

「雨、好きです。虫、食うです。飛ぶです。ケロケロ言うます。色、いっぱいです」

「ほほう……」


 どちらかといえば地面にいそうだったが、この姿で空を飛ぶとは、異世界には面白い生き物がいるものだ、とディストは感心した。

 ぬいぐるみを作り上げた、ハルの裁縫の腕にも。


「ハル殿は、縫い物がお上手ですなあ。先生は、お母様ですかな?」


 普通ならば、取るに足らない質問。

 しかし、それまで楽しそうに、ケロケロと何やら歌っていたハルの顏が、一瞬、曇った。

 怪訝に思ったディストは、直後、しまった、と思わず口から零れた失言を、後悔した。

 ハルはいつも笑顔で過ごしているから、失念していたが。

 まだ少女ともいえるハルが、たった独りで異世界に喚ばれ。家族を恋しく想わない筈がない。


「ああ、ハル殿。申し訳ありません。浅はかでした」


 慌ててハルに謝るディストに、ハルは首を振って、ぽつりと言った。


「大丈夫です。ありがとう、ディスト。……私、お母さん、ないです」

「ない? ……まさか、いらっしゃらない、と?」

「……ない、です。お父さん、お母さん、私、ない、です」

「なんと……。ハル殿、貴女は、」


 いつも元気なハルが、小さくなって、俯いている。

 ディストは、言葉をかけようとした。

 すると。

 それを遮るように、ハルは弾けるように顏を上げると。ことさら明るく笑って、仕事です! と言い、ディストを置いて、飛び出すように、居室を出ていった。

 居室に残されたディストは、同じく残されたぬいぐるみを手に取って、じっと見つめたのだった。


カエルは雨好きどころか、実際は、雨に打たれるのを嫌がりそうですが、どうなんでしょうね。

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