木漏れ日でお昼寝
木漏れ日の日。
多くの家臣たちが休日を満喫する中、ウェサマーは貯まっていた書類の処理を手早く終えた。
出来上がった書類の山を見て、ため息をひとつ、零す。今日はこれで一区切りだが、最近は、ほとんど休息を取れていない。
休日にも人々の為に身を粉にして働くのは、ハルが来る以前からの事ではあった。
しかし、ハルに言葉を教えたり、庭園に会いに行ったり。時間を作っていると、どうしても、自分の休息を削る他なかった。それでも会いたいのだから、どうしようもない。
そんなウェサマーの執務室に、街から戻ったマリアンヌが届け物に来ていた。
「はい、どうぞ~。ウェサマー様」
「ああ。ありがとう、マリアンヌ。助かった」
「いえいえ~。これっくらい、お安い御用よ~」
マリアンヌが手渡したのは、花の細工が施された、可愛らしい髪留めだった。
言わずもがな、ハルへの贈り物だ。
本当はウェサマーが自ら街に行って選びたかったのだが、ハルに会う時間を作りすぎた事が、裏目に出た。得意なはずの物事の先読みは、ハルに関わる事だけは、途端に感覚を狂わせる。
機会を待つつもりでいたが、馴染みで信頼のおけるマリアンヌが街に行くと言うので、買い物を頼んでいたのだった。
「ハルちゃん、きっと驚きますよ」
「ああ。喜んでくれるといいが」
これを渡す時が楽しみでならない。
髪留めを見ながらハルの笑顔を想い描き、ウェサマーは優しく微笑んだ。今まさに談話室でウェサマーについて語り合う女たちが見たら、その黄色い叫び声が城館じゅうに響き渡るような顏だ。
そんなウェサマーを穏やかに見つめ、マリアンヌはふと、ここへ来る前に立ち寄った談話室での話を思い出した。
「そうそう、ウェサマー様~? さっき、談話室でお話して来たんですけど~。この間辞めた男、もう噂になってますよ? ハルちゃんと会ってた事知ってて、ウェサマー様の嫉妬だって言ってる人もいたから~、ちゃんと、男が自分から辞めたんだって、広めておきましょうか~?」
「いや……いいさ」
「そうお~? まあ、放っておいても、そんなに悪い噂にはならないでしょうけど~」
ウェサマーは男の事を思い出す。仕事を怠けていたとはいえ、何も、辞めさせる程ではなかった。
だが、呼び出したウェサマーと対面すると。何故か怯えだした男が、自分から、辞めさせて欲しい、と懇願してきたのだ。承認したウェサマーが爽やかな笑顔を浮かべていた事は、その男しか知らない。
「談話室か……。今はみんな、どんな話をしているんだ?」
「ふふっ。そうですね~。女たちは、ウェサマー様たちの話がほとんどよ~。素敵だとか何とかね。男たちは~、ハルちゃんの事、気になって仕方ないみたい。さっきも、若い男がからかわれていたわ~」
「……」
たった今、ハルの笑顔を浮かべて幸せな気持ちになっていたのに。
瞼の裏に、辞めた男とハルが笑顔で見つめ合っていた光景が蘇り、ウェサマーは眉間に皺を寄せた。
特にカイルが来てからというもの。胸を燻る炎が、じりじりと勢いを増しているのを感じる。
ハルの事を考えると幸せなのに、どこか苦しい。
「ああ、ハルちゃんには言葉はいらないかもって話もしましたよ~」
「……そうなのか?」
マリアンヌの明るい声が、ウェサマーを引き戻した。
「頑張ってお勉強してるウェサマー様とハルちゃんには申し訳ないけれど~。みんな、目で会話できちゃうから~」
「目で会話……心が、つながっているという事か?」
ウェサマーは目を瞬かせ、顎に手をやり、考えを巡らせた。ころころと笑いながら、マリアンヌが答える。
「そういう事なのかしら? だから、あの子の傍は落ち着くのかもしれませんね~。もちろん、言葉を覚えるのは良い事ですけど~。あの舌足らずの喋り方、可愛いし~」
「っ。そうだな」
「あら? ウェサマー様、顏紅くないです~? ちょっと働きすぎですよ~。ほら、庭園にでも行って、ちょっと休憩しましょ~」
「お、おい。分かったから押すな」
ウェサマーとマリアンヌは、連れだって執務室を出た。
マリアンヌは、ウェサマーがハルを想って顏を紅潮させたのだと見抜き、ハルの居そうな庭園に向かったのだった。身分の差など、ウェサマーならどうにかしてしまうだろうと思っている。だから、背中を押してやりたくて仕方なかったのだ。休みなく働く、ウェサマーの身を案じたのも真実だったが。
「……!」
「ウェサマー様?」
だが、廊下に出て歩き出し。
ふと、窓の外を見たウェサマーが、足を止めた。その視線の先を一点にとらえ、目を限りなく見開いている。
窓から見える大きな木の下。気持ちよさそうに、昼寝をしている娘がひとり。風に黒い髪を遊ばせるその娘は、ハルだ。
「あんなところで……!」
ハルのあまりにも無防備な姿に、ウェサマーは、バビュンと一目散に、ハルの所へ駆けだした。呆気にとられるマリアンヌを残して。
「ふふっ。必死になっちゃって。まだまだ私たちにとっては、坊ちゃまですね~、ウェサマーさ・ま」
マリアンヌはふんふんと鼻歌を歌いながら、自分の居室へと戻って行った。
「ハル……っはあ」
「……すー」
全力で走りながらも息を乱す事なく、ウェサマーはハルのもとに辿り着いた。
姿を見た瞬間に、思わず、安堵の吐息がひとつだけ零れたが。同時に、とすん、と腰を落とした。
ウェサマーも大概だが、ハルもあちらこちらと顏を出し、少々働きすぎと言えるくらい、動き回っている。
暖かく穏やかな気温に、そよぐ風。ひと休みのつもりで木に背中を預けて。気持ち良くて、座ってそのまま眠ってしまったのだろう。
ウェサマーは、ハルをじっと眺めた。
その寝顔は、心なしか微笑んでいるようだ。
城館の敷地内とはいえ。こんな所で眠っていては、誰に触れられてもおかしくないのに。
さあっ、と風が流れた。
木漏れ日の揺れる光と影が、ゆらゆらとハルとウェサマーに降り注いでいる。
ウェサマーは、ほとんど無意識に、手を伸ばしていた。
その長く綺麗な指先が、ハルのやわらかそうな、そこに触れようか、という瞬間。
ふるり、ハルの艶やかな黒い睫毛が震えて。ゆっくりと、瞼が開かれた。
「ハル。起きたか」
「ウ、ン? ▽@? ……ぎょわっ!? っつ~……!」
目を開けた瞬間に、間近にあらわれた、美しい顏。ハルは、思わず勢い良く仰け反った。そのままごちん、と後頭部が木にぶつかる。頭を抱えるハルに、ウェサマーも、あちゃあ、と片手を自分の頭に置いた。
自分も痛そうに顏を歪めながらも、笑ってしまいそうになるのをなんとかこらえていた為、おかしな顏になっている。
「く。くくっ。だ、大丈夫か?」
「大丈夫……。ごめんなさい」
「いや、私こそすまない。立てるか?」
ウェサマーはハルに手を差し出すと、ハルはその手を素直に取って立ち上がった。
はずかしそうに唇を噛み、仄かに頬が紅く色づいている。
そこに触れたくなる気持ちを必死に抑えて、ウェサマーはハルの後頭部を撫でてやった。
「ウエサマ。私、大丈夫。ありがとう」
「そうか」
ハルがはにかんだ笑顔を向けてくれる。ウェサマーはまだ手を離す事はできなくて、頭を撫でた。
「ウエサマ! 私、大丈夫! 働く!」
「今日は、休日だぞ? ハル」
「きゅう、じつ……? ごめんなさい。何?」
「休み、だ」
ウェサマーは両手を合わせて顏の横に持っていき、目を閉じて眠る仕草をした。
はたしてそれはハルには伝わったようで、彼女はゆるゆると首を振った。
「ウエサマ。らめ」
「っ」
「働く。ない。食う。らめ」
ウェサマーがハルの言葉の意味を考えている間に、ハルは仕事を求めて、城館の中へと戻って行った。
後にぽつん、と残されたのはウェサマーひとり。
はっ、と我に返り、髪留めを取り出すが既に遅い。ウェサマーは大きくため息をついた。
主のもとへ行けなかった髪留めが、まあまあ、と慰めるように、木漏れ日を受けて、きらり、と光った。