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私が描く最愛  作者: 鬼灯
5/5

近すぎた太陽

《夢見》



 薄れゆく、意識の中で。



「おいていかないで!」



 悲痛に歪められた彼女の顔が。

 世界の終りのように暗く染まりながら、それでも星のように輝く涙を溜めた、彼女の瞳が。


 瞼に、焼き付いた。





 目が覚めた時。

 私の体は、私の体ではないように重たくて。

 目の前には、彼女がいた。


 彼女だけがいた。


 そして。

 泣き出しそうな笑みで、私に言った。



『私が、傍にいてあげる』



 自分が、なにを言おうとしたのか、わからない。

 ただ。


「……あ」


 私の喉は震えなくて、唇から言葉は紡ぎ出されなかった。





 お父さんとお母さんは、死んだらしい。

 私は、一緒に死ぬはずだったらしい。

 実感が湧かない。

 なにせ、意識がなかったのだから。

 だけど。

 彼女だけ、おいてきぼりをくらったのだと。

 それだけは、すんなりと理解出来た。





 昼さがり。

 ベッドの上。

 上体だけ起こし、窓の外、燃え盛る太陽を見てから、視線を逸らした瞬間、思った。


 彼女は私達にとって、太陽だったのだ、と。


 自分のもう動かない足に手をやる。

 つねってみたけど、痛みを感じなかった。

 再び太陽に視線を戻す。

 左目を閉じて、右目だけを開いた。


 なんにも見えなかった。

 真っ黒い、闇だった。





 入院生活が続いていくうち、本当にお父さんとお母さんはもういないのだな、と実感した。

 だって、一度も見舞いにこないのだから。

 だけど、そのかわり。

 毎日、毎日、彼女は来た。

 ベッドの隣の椅子に腰掛けて、本を読んだりしていた。

 私が話すことが出来ないことは知っているから、返事を求めているわけではないようだったけど、今日は天気がいいね、だとか、そんなことを、合間に話しかけてきた。

 実際のところ。

 私は口がきけている頃から、彼女とまともに会話したことなどほとんどない。

 ずっと、同じ家で暮らしてきたのに。

 ――物心ついた頃から、人と話すのが苦手だった。

 私は、馬鹿だから。

 伝えたい言葉が上手くまとめられなくて、口にした瞬間、意味のない雑音に成り下がる気がした。

 その結果、相手にどう思われるのかを考えて、いつも出掛かった言葉を飲み込んだ。

 でも、今になって思うのだ。

 あの家で。


 どんなに拙い言葉でも、彼女は会話を欲していたのではないか、と。


 私は、それに思い至ってから、胸の痛みを感じるようになった。

 どうにか。

 どうにか、その痛みを体の外に放り投げたかった。

 だから。


「……あ、あ……り」


 不完全に、お礼を口にした。

 私には、もうわかっていた。

 その言葉を、彼女が喜んだりしないこと。

 その言葉で、彼女が深く、傷付くこと。

 全部、理解していた。


 理解していて、言った。


「……」


 彼女はその日、ただ俯いて、面会終了時間まで椅子に腰掛けたまま、じっとしていた。





 彼女が帰った後。

 私は拳を握り締めて、動かない自分の足を殴りつけた。

 何度も、何度も。


「さ……ぃッ」


 最低だ、と。

 自分を罵ることさえ、出来なかった。





 小学生の頃から。

 よく彼女と比べられた。


「お前が馬鹿なのは、きっとお前の姉ちゃんが、お前の分まで脳みそ持っていっちゃったからだな!」


 そんなふうに嗤われた。

 悔しかったけど。

 言い返す言葉は持っていなかった。

 確かに、その通りかもしれないと思った。


 私は彼女と違って、なんにも出来なかったから。


 努力しなかったわけじゃない。

 でも、どんなに頑張っても、勉強も運動も、本当になんにも、出来なかったんだ。

 私には、せめて泣かないようにするしかなかった。


 彼女が嫌いだったわけじゃない。

 嫌いなわけがない。

 だけど。


 怖かった。





 いじめられて家に帰ると、また職場をクビになって仕事情報誌を読んでいるお父さんがいた。

 お父さんは、私の顔を見ると、瞬時になにか悟ったらしい。

 眉をハの字にして、悲しそうに微笑んで、私の頭を撫でてくれた。

 今なら、わかる。

 お父さんは、劣等感の塊だった。


 私と、同じだった。


 だから、

 私には共感を、

 彼女には、恐怖を感じていた。



 彼女は、太陽だった。

 近すぎる、太陽だった。



 幼い頃から、ずっと見詰めていた。

 なんでも出来る、完璧な人。

 私達とは、違う人。


 私とは、違う人。


 ずっと見詰めていた。

 その後ろ姿を。

 視線が絡まったことは、ほとんどなかった。

 私はいつも、彼女の瞳から視線を逸らした。

 そうしないと私なんて、燃えて、朽ちて、死んでしまうと思っていた。

 だけど。



『おいていかないで!』



 少なくとも、あの瞬間。

 彼女の瞳は、悲しみで凍えていた。

 怖れていた熱は、どこにもなかった。


 どこで間違えた?


 いや、きっと、初めから全部。

 全部、間違っていたんだ。





 毎日、毎日、彼女は来た。

 それなのに。

 長い昼寝から目覚めると、もう陽が暮れていた。

 病室には、私一人で。

 彼女の姿は、どこにもなかった。



 世界が壊れてしまった、気がした。



 動かない足を掴む。

 度重なる自傷のせいで、痣だらけの足を掴む。

 砕けてしまえ、と力を込めて、足を掴む。


 動かない。

 動けない。

 どこにもいけない。


 こんな足、なんの意味がある?


 いらない、

 いらない、

 いらない。


 私なんて、なんの価値がある?


 いらない、

 いらない、

 いらない。


 きっと、彼女は私が、いらなくなってしまったんだ。


 いやだ。


「ぃ……ぁ」


 そんなのは、いやだ。


「あ、あ……ッ」


 切ない。

 切なくて、息が。

 息が、出来ない。

 目眩がして。


 体が、傾いた。


「ぅあッ!」


 入院生活で痩せ細った私の体は、ベッドから、音をたてて落下した。

 堅い床にぶつかる。


 痛かった。

 そしてすごく、冷たかった。

 凍えてしまうと、思った。


 でも。

 次の瞬間。


「夢見ッ!」


 彼女が、そこにいた。


「なにやってるの!」


 駆け寄ってきた彼女に、抱き起こされる。

 触れたところから、温もりが伝わってきた。


 離したく、なかった。

 離れないでほしかった。


 私には、彼女しか。

 もう、彼女しか、いない――……。





「お……ね……」


 そういえば。

 私は、彼女のこと、物心ついてから一度も、そう呼んだことないんだ。


「ぉね……ちゃ」


 ああ、なんで。

 今、呼びたいのに。

 どうしようもなく、呼びたいのに。



 ……――お姉ちゃん!



「なに、ゆめ……ッ」


 言葉にならなかった呼びかけに、答えようとしてくれた『お姉ちゃん』の腕を、今出せる精一杯の力で、握り締める。


 泣かないと、決めていたのに。

 ボロボロと、涙がこぼれた。


「……か……ぃで」


 涙で、お姉ちゃんの顔が見えない。

 もう中学生なのに、今の私は幼い子供のように泣きじゃくることしか、できなくて。

 ただ、怖くて。

 独りになりたくなくて。


「お、ってか、で!」


 言葉にならない声を、絞り出して。

 縋り付いて、懇願した。



『おいていかないで』



 私が、その言葉を選んだのは。


「……ッ!」


 私がどうしようもない、卑怯者だからだ。


「……おいていかない」


 その言葉を言えば。

 お姉ちゃんが自分と私を重ねると。

 そう知っていて、言ったのだから。



「おいていったり、しない!」



 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 心の中で、何回も謝ったけど。

 一度も、口に出そうとはしなかった。


 卑怯でも、汚くても。

 今は。


「おいてなんか、いかないから……」


 この温もりを手放せない。



「傍にいて」



 お姉ちゃんの、腕の中。

 やっと、息が出来た。


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