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私が描く最愛  作者: 鬼灯
4/5

抱きしめたのは

《風花》



 あれから半年近く経ち、季節も秋になった。

 放課後、私は登下校の為に毎日乗車している電車を途中下車して、病院へと向かった。

 叔父さんの家から通える大学の付属高校に転校手続きをとって、編入試験にも無事に合格し、私の新しい生活は、新鮮味を失い、慣れ親しんだ物に変わろうとしている。



 それでも、まだ。

 夢見は、病院から退院出来ていない。



「あら、今日も来てくださったんですね。妹さん、きっと喜びますよ」


 中年の優しそうな看護婦さんに、そう声をかけられた。


「今日は、学校帰りですか?」


 制服のブレザーを見て、感心した顔になる看護婦さん。

 この近辺では有数の名門校の制服だからだろう。


「はい、そうです」


「ああ、やっぱり偉いわ。とても妹さんを大切になさってるんですね。さすが、出来のいい人は違います」


 好意でそう言ってくれているのだろうけど。


「……」


 なんて返せばいいのかがわからなくて、小さく、会釈をした。

 看護婦さんに背を向けて廊下を進み、辿り着いたエレベーターの三階ボタンを押す。


 305号室。

 夢見の病室。


 状態が安定しても個室のままなのは、両親を一度に失い、自らの命も危険にさらされた夢見に対する、心のケアのひとつらしかった。


「……」


 コンコン、とノックして、ガラリと扉を開ける。

 夢見は、ベッドで上体だけを起こして、茜色の差し込む窓の外を眺めていた。


「……夢見」


 声をかけると、夢見はゆっくりと振り返り、私の顔に視線を移した。

 もともとは、伏し目がちで黒目がちな瞳を持った子だった。

 だけど今は、右目だけが色を失い、白濁としている。



 頭を強打した影響で、夢見は右目の視力を失った。



「なにしてたの?」


 問いかけながら扉を閉めてベッドの傍に寄り、椅子に腰かける。


「退屈だった? ……だったよね」


 なにせ、一人では散歩をすることすら困難なのだから。

 手を伸ばし、布団越しに夢見の足に触れた。

 すると夢見は、動かない足の代わりに、ビクッと肩を震わせる。



 夢見の足には麻痺が残り、もう思い通りに動かすことが出来ない。



 リハビリをしても、効果はほとんど期待できないらしい。


「暇つぶしに、なにかいい物があればいいんだけど」


 片目だけでは、読書をし続けるのにも限度があるし、テレビだって、日中ずっと面白い番組はやっていないだろう。


「とりあえず、これ」


 鞄からお土産を取り出して手渡す。

 小説が三冊と、漫画を二冊。


「……あ、あ……り」


 受け取った夢見は、唇を開き、懸命に言葉を紡ごうとするけれど、それは叶わなかった。

 失語症と違って、言葉を忘れてしまっているわけではない。


 上手く、話せなくなってしまっただけだ。


 だから、私には夢見が言いたかったであろう言葉が、きちんと理解出来たのだけど。

 だからこそ、なんて返せばいいのかがわからなくなってしまった。


「……」


 私はその日、ただ俯いて、面会終了時間まで椅子に腰かけたまま、じっとしていた。

 夢見も、ほとんど物音ひとつたてなかったけど。

 時折、こちらに視線を向けているのが、気配でわかった。





 小学生の頃。

 こたつで、みかんを食べていた。

 父さんの膝には夢見が座っていて、私はその正面に座っている。

 母さんは洗い物をしていて、居間には三人だけだった。


「あ、これで最後だな」


 籠の中のみかんは、あと一つ。

 父さんはそれを手に取ると、私の前に置いた。


「これは風花が食べなさい」


 嬉しかった。

 みかんを食べられることではなくて、最後の一つを私にくれるという、その行為が、私のことを思ってくれているという証のような気がして。

 大袈裟かもしれないけど、本当に嬉しかった。


「あ、ありが……」


 その気持ちのまま、お礼を言おうとした。

 だけど、


「夢見」


 父さんは、私の方は向いていなくて、話も、聞こうとはしていなくて。


「お前は、父さんのを半分こにしような。」


 そう言ってみかんを剥いて、夢見に食べさせてあげていた。

 私は、それが。


 どうしようもないほど、羨ましかった。


 だけど、そんなことは日常茶飯事で。

 そのたび、私は胸が痛くて。

 夢見になりたいと、思った。


 だからある時、わざとテストで悪い点をとった。


 これを見たら、父さんも母さんも、私を自分達と違う、なんて思わない。

 夢見みたいに頭を撫でてもらえると、そう考えると、期待で鼓動が速くなり、顔には笑みが浮かぶ。


 最低の点数がつけられた答案用紙を、宝物のように胸に抱いて、私は家路を急いだ。


 だけど。

 私のその行動は。


「なんだ、これは……」



 父さんを、ひどく傷付けた。



「馬鹿にするなっ!」


 父さんは、答案用紙をビリビリと引き裂いて床に叩きつけた。

 父さんに怒鳴られたのは、それが最初で最後だった。

 母さんは、消極的にではあるけれど父さんをなだめてくれて。

 でも、なんでこんなことをしたのかと、私に聞こうとはしなかった。

 夢見は。

 部屋の隅で、なにも言わずに、こちらを見詰めていて。


 私と視線が合うと、逸らした。





 電車の中。

 居眠りをしていたらしい。

 目を覚ますと、嫌な汗をびっしょりとかいていた。

 病院に寄る為に降りる駅は、とっくにすぎている。

 頭を抱えて、溜息をついた。

 ズキズキと、頭蓋骨の奥から痛みが押し寄せる。


「夢見……」


 今は、顔を見たくないと……見ることが出来ないと、そう思った。

 だから、病院には寄らず、叔父さんの家にまっすぐ帰ることにした。





 家に帰って、シャワーを浴びた。

 髪を乾かし、服を着替えて、宿題をする。

 宿題をし終えると、予習復習。

 優秀だから、という理由で引き取ってもらえたのなら、優秀でなければ必要ないということだ。

 成績を落とすわけにはいかない。

 もっとも、そんなことなどまずないと断言出来るけれど。


 私は、父さんや母さんと違って、優秀だから。


「……はあ」


 溜息。

 本日何度目だろうか。

 どうやら、電車の中での私の判断は、間違いだったらしい。



 ――……夢見は今頃、どうしているのだろう。



 時計を見る。

 病院の面会終了時間は八時だから、急げばまだ間に合う。


「……しかたない、か」


 このままでは、気になって今夜は眠れそうにもない。

 私は財布と携帯を鞄に突っ込み、スニーカーを引っかけると、家を後にした。


「……ついてない」


 電車を降りると、雨が降っていた。

 小降りなんて物じゃない。

 結構な量だった。

 傘を買おうかと、売店に目をやる。

 同じことを考えた人達で、列が出来ていた。


「……」


 売店に背を向け、歩き出す。

 何故だか、そうしなければならない気がした。

 雨が体を叩くのが、急げと急かす手のようで。


 私は、歩調を速め、ついには走り出し、病院へと急いだ。





 病院に着く頃には、私は全身ずぶ濡れだった。

 見かねた受付の看護婦さんが、タオルを持ってきてくれた。

 お礼を言い、頭と体を拭く。上着は乾かしておいてくれるとのことだったので預けた。

 その間も、気持ちは急いていた。

 病院内を走るわけにはいかないから、大股の急ぎ足で病室へと向かう。

 やっと辿り着いた扉の前。

 深呼吸をして、いつも通りノックをしようと、軽く拳を握り、腕を持ち上げる。

 だけど、



 どさっ!



 と、中から大きな音が聞こえたので、驚きに一瞬動きを止めてしまった後、急いで扉を開けた。


「夢見ッ!」


 夢見が、ベッドから落ちてうつぶせに倒れていた。


「なにやってるの!」


 急いで駆け寄り、抱き起こす。

 頭から、血の気がひいていくのがわかった。

 もし、打ち所が悪かったら、どうしよう。

 夢見まで。


 夢見にまで、おいていかれたら――……。


「お……ね……」


 夢見と、目が合う。

 白濁した右目と、黒目がちな左目は、潤んでいた。


「ぉね……ちゃ」


 夢見が、上手く言葉にならない声で、私を呼んだ。


「なに、ゆめ……ッ」


 夢見は私の腕を、弱い力で、それでも今出せる精一杯の力なのだろうと、そうわかる力で、縋り付くように握り締めて。



 ボロボロと、涙をこぼした。



 私は、夢見が泣いているところを、はじめて見た。


「……か……ぃで」


 真っ赤に染まった頬を、くしゃくしゃに歪めて。

 もう中学生なのだけど、もっと幼い、子供のように。


「お、ってか、で!」


 なにを。

 なにを言っているのか、すぐにわかった。



『おいていかないで』



 あの日の。


「……ッ!」


 あの日の自分の姿が、重なった。


 次の瞬間、私は、思いきり夢見を抱きしめていた。


「……おいていかない」


 細い肩と、華奢な背中に腕をまわして、力の限り。


「おいていったり、しない!」


 声が震える。

 視界が滲む。

 だから、目を閉じた。

 今は。


「おいてなんか、いかないから……」


 この温もり以外、いらない。



「傍にいて」



 後になって、考える。

 この時私が抱きしめたのは。


 夢見じゃなくて、私自身だった。

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