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花火師アギタの逃走記《ピロウトーク》  作者: 烏賊ミルハ
序章 ~理想のわたし~
1/49

メアリー・スー①

 いつかの近未来。

 戦争の果ての近未来。

 そこには、どこまでも広がっている砂漠があった。どの大陸でも同じく、潤っている地域はそう多くはない。


 突き抜けるような青空はどこか黄色がかっている。

 太陽は雲を振り払い灼熱を大地に下ろしていた。

 朝の強風で砂塵が舞い、昼には岩が熱せられる。夜には氷点下の世界となり生命に静寂が訪れる。


 その世界に墜とされた人々は根をおろし、過去の文明を再利用して命を繋いでいた。有象無象を焼き尽くす大地でそれぞれが地形を生かした生活を行い、集団コミュニティを作り、町という囲いでたくましく生きている。

しかしそうでない人々もいた。

 世界で選ばれた人間たちが入れる、そして選ばれなかった人間は一生入る事の出来ない区域。その区域は、そこ以外の大部分が砂漠であることを全く意識させないいわば『楽園』であった。

その地域は『中央』と呼ばれ、そこ以外の地域――『地方』の人間の憧れであり、またねたみの対象であった。

 だが、中央はそのような事は気にしない。

 格下がどれだけ見上げようとも、格上はそれを認識しない。


 まるで砂漠を灼く太陽のように。










 どこかの大陸の、どこかの砂漠。


 線路も無いその場所を、機関車の先頭車両だけが走っていた。車輪が外され、代わりに八つのタイヤを付けられた奇怪な形状は、砂漠でも問題なく走るための結果だった。

 内装は、固定されたカウンターと一つの遠テーブル。それに壁に打ち付けられた棚に並ぶ大量の酒。出入り口付近に置かれた旧式バイク。

 その走り続ける機関車型バーの中には二人の男がいた。

 片やグラスを磨きながらあくびをするこの機関車型バーのマスター。二ミリで揃えられたあごひげと指通り最悪のロン毛が特徴的な三十二歳男性だ。


 片や酒を飲みながら新作の花火を考える十九歳の少年、アギタ。ボロボロのジャンパーを着ている。


「ここをこう配置して……火薬はたっぷりと」

「あのサ、飲んでるときくらい酒の味に集中してくれないかな。提供してる側の気持ちも汲んでほしくてサ」

「うっるせぇな! ここで一発当てないと来月から砂と空気で生活しなくちゃならなくなるんだよ!」

「そうかっかせずにサ。ま、もう一本頼めばアイデア浮かぶさ。ボトル半分で十時間も粘られたらこっちも商売あがったりサ」


 マスターの真剣味のない声色にアギタは眉間にしわを寄せる。アギタ入店時間である前日の午後十時から、先ほどの会話が行われた時刻である午前八時の間に客が二人しか出入りしていない事をこのマスターは本当に自覚しているのか、うまく回らない頭でアギタはわずかに気にかけていた。あと三か月で閑古鳥状態になるのではないか、少なからず心配ではある。アギタがこの店を訪れたのは一年前に一度、そして今回で二度目なので気にかける様な義理はないのだが。


「つーか、あんたはいつから機関車バーなんつー商売をやってんだよ。絶対儲かってねぇだろ」

「それを言ったら君のこそ。君は去年も花火師とか言っていた気がするけどサ。こんな砂漠じゃ素材もマトモに集まらないでしょ」

「俺は嗅覚だけはいいからな。使える素材は嗅いだだけで判断できる」


 ていうか覚えてんのか、とアギタが聞くとマスターは得意げな表情を浮かべる。


「私は記憶力だけは良くてね。とある機関でエージェントやってたりサ」

「ダウト。俺みたいなバカでもわかる」

「あはは、すぐばれちゃったね。当たり前だけどサ」


 それはおいといてサ、とマスターは言葉を区切る。


「この商売は五年前からかな。前の仕事を辞めさせられたから今度はロマンティックな仕事をしたくてサ。生き延びるくらいには稼げてるよ」

「五年前か……俺が花火師始めたのと同じくらいか」

「え、そうなの。結構やってるんだね」

「この大陸に来たのは二年前だけどな。その前の一年は向こうの大陸で三年修業」

 そう言ったところで、機関車は動きを止めた。熱機関を休めるための時間だ。


 その状態で数分待っていると、砂塵よけのローブを纏った、一人の女性が店内に入ってきた。十五歳ほどだろうか、ショートボブが良く似合っており女性と呼ぶよりは少女と呼んだ方が良さそうな見た目だったが、首から下げられた、禍々しいオーラを放つドクロのネックレスがそれらのイメージを一気に吹き飛ばした。

「やぁ、お嬢さん。何か注文は?」

「あのぉ。ここ砂漠ばっかなんですけど、どうにかなっているんですか?」

 少女は気の抜けた声で聴く。その言葉にマスターとアギタは呆気にとられる。その空気を察したのか、少女は急に慌てだした。

「だ、だって外ホントに砂漠しかないじゃないですか!?」

 そう言って少女は外を指差す。

 機関車の外側は、どこまでも広がる砂漠だった。

 ところどころ電信柱のようなものが突き立ててあるが、それは更に殺風景の感を出しているだけだった。

 唯一景観らしい景観といえば、霞む世界の地平線から空へと延びる巨大なねじまき状の山だけ。

 少女の言うとおり、『砂漠ばっか』であった。

 しかしそれはマスターとアギタにとっては何の不思議もない景色なので、二人はどうリアクションを取ればいいものか考えあぐねていた。

 それを読み取ったのか、少女は更に慌て始めた。


「え、あ、その、私記憶喪失になっちゃって。なんっにも覚えてないんですよ! いやホント!」

「ダウト」

「まあまあ。記憶なくなったって事はサ、『中央』と『地方』の事情も忘れてるって事かな。今の様子だと砂漠になった理由とか知らないみたいだしサ」


 マスターの質問に少女はうつむき、胸の前で指と指を絡ませる。本当に覚えていないのか、とアギタは心の内で少しだけ驚く。


「よかったら私が教えようか。その辺の事情がわかってないと生きていくのに辛いと思うしサ」

「ホントですか! ありがとうございます」

「じゃあそこ座って。今回はおごりにしてあげるよ」

 言われるままに少女はカウンターに座り、マスターからシャンパンの入ったグラスを受け取る。アギタは、マスターがカウンターの下を何やら漁っている間に少女に最低限の情報を聞いておくことにした。


「お前、名前はなんてーの」

「私、私ですか……何だったかなぁ」


 (そこも忘れてんのかよ!)

 叫びそうになるのをアギタは酒を一気に飲み干して抑える。それを見て少女もシャンパンを少しだけ口にする。


「酒飲めるのか」

「うん。前は飲めたかはわからないけど」

「知ってるか? 四百年前のある国では二十歳まで酒飲んじゃいけなかったんだぜ。驚いちゃうよな」

「今は違うの?」

 少女が首をかしげると、

「さぁ準備完了だよ」


 マスターが大きなスケッチブックとマジックペンを取り出してカウンターから顔を出した。一番最初のページに『このよのしくみこうざ』と書かれていた。


「歴史講座の、はじまりはじまり~」

「おおー」

「おおー」


 マスターの開始宣言にアギタと少女は拍手でこたえる。

 まず最初に、とマスターはスケッチブックを一枚めくり、真っ白な紙に『第三次世界大戦』そして『集遺伝計画』と書いた。


「この砂漠の大地の始まりは『第三次世界大戦』による戦争サ。エグい兵器をいっぱい使って自然を破壊して文明を喰らい尽くしてあまねく大陸をすべて破壊したのサ。今日はその戦争からちょうど四百九十九年と八か月、だったかな。その間に自然復活の対策は全く行われなかったからこんな大地になってしまったんだ」

「だからこんな砂漠に……」

「そう。そしてここからが重要なのサ」

 マスターは『集遺伝計画』の文字をぐるぐると囲って強調してからページをめくった。そして新しいページの中心に円を描いた。


「さて、大戦のせいで養える人間の数は少ない。そうした場合サ、誰を助けるのが吉かな」

「えっと……その、愛する人ですか?」

「誰のだよッ!」

 アギタがツッコミを入れると、マスターは高笑いした。

「あっははは。優しい答えだね。でも現実はそう優しくない。しかしそれでいて、とても合理的な答えだよ」


 マスターは神の右側に『優』『凡』と書き、それぞれ円で囲う。


「世界の頭脳が集まって、大統領のコネとかそういうのなしで真剣に平等に考えた結果、『優秀な遺伝子を持つ人間』をひとところに集めて、周りの環境から隔離することに決めたんだ。優秀な遺伝子同士だからいい子孫も生まれる可能性が高い。科学技術も飛躍的に上昇。とっても合理的。その隔離エリアは『中央』と呼ばれてる」

「だけど優秀でない人間は見放された。そうだろ?」

 アギタが口を挟むとマスターは悲しげに頷き、『優』のマークを矢印で真ん中の円と繋いだ。

「隔離された地域に優秀な遺伝子を持つ人間は入った。大戦で潰れた世界の中で、それでも残った資源豊富な地域にね。それはつまり他の優秀な遺伝子を持たない人間は砂漠の大地で放置された、ってことなのサ。それが『地方』の人間」


「そんな……ひどい」

 少女のグラスを握る手が震える。


「何だかんだでこっちも居心地いいけどなぁ。百八十年前の政策だから砂漠以外の生活とか知らないけど」

 それを見たアギタは元気づけようと地方の人間としての素直な意見を言う。マスターも同じ意見なのか、笑顔でアギタのグラスに酒を注ぐ。果たしてこちらもおごりなのか、アギタは少しだけ気になった。


「それで私達地方の人間はサ、砂漠の中に埋もれた昔の文明の利器を掘り起こして再利用してんの。この機関車とか、あとシャンパンの作り方とかサ」

「そういうことだったんだ」


「でも……否、ゆえに! 世の中は乾きに乾ききっている!」


 テンション高めにそう言い切ったのは、他でもないアギタだった。


「どうしたんだい君。酔っているのかな」

「いいや俺はシラフだ。だけどな、これだけは言わせてくれ。俺は数少ない娯楽の提供手段として、花火師という職業を選んだんだ!」

 アギタは立ち上がり、円テーブルの椅子に片足を乗せる。


「いいか少女。中央の科学技術が飛躍的に高まっているらしいが、地方はそんなことはない。むしろ過去の技術を掘り起こして、百パーセントの際限も出来ないまま劣化したものを使っているんだ。――人間が、そんなんで満足できるわけないだろ!」

 声量が次第に大きくなる。少女はそれを唖然としながらそれでも聞き、マスターはにやにやしながらグラスをふく。

「だから俺は考えた。人々が求める娯楽を! 乾いた世界で華々しい美を見せてあげられる、そんな職業を!」


「だから花火師ってことかな。いい心がけだと思うよ、私はサ」

「わ、私もいいと思うよ」

 二人が適当に相槌を打つ。

 アギタは突然、はぁ、とため息をついてから自分の席に戻った。少し酒が入っていたかもしれない、と少しだけ反省する。


 やがて機関車のエンジンは熱を放出しきり、また動き始めた。

「……ってことで、俺は花火師のアギタだ。よろしくな。ちなみに偽名な。五年前の弟子入りの時に本名は捨てた」

「それで私はこの機関車型バー『シャムフェイク』のマスター。三十二歳で名称不明。というより、アギタ君と同じく名前はもう捨てたんだ。そういうの苦手でね」

 今さらの自己紹介に、少女は何か気付いたのか、はっとした表情になる。どうした、とアギタが聞くと、


「三人の内、誰も本名教えてない」

「マジか」

「成程」


 アギタは落胆の意味で、マスターは関心の意味で、少女はなんとなく、三人ともが溜息をついた。人間が三人揃いながら本名を明かす人間が一人もいないというのはなかなかの異常事態と言えよう。偶然なのか、それとも運命のいたずらなのか。


 それから少しだけ三人で話をした。少女が記憶喪失なので話題は多くなかったが、それでも歴史以外の分野であれば普通の人間とそう変わりなく会話できていた。


例えば花火の話。

「アギタ君って花火師なんだよね。それじゃあサ、何かそれっぽいもの持ってない?」

「もうだいたい売れたからほとんど持ってない。これでよければ」


 アギタはジャケットの内側から線香花火を三本取り出し、カウンターに乗せる。少女は線香花火の記憶もなくしているのか珍しそうに観察している。対するマスターはライターを取り出し直接火をつけた。橙色に光る帯がやがて球状になり、パチパチと音をたてはじめた。少女はそれを見て屈託のない笑顔を見せた。また、光球が落ちると少女は悲しげな表情を浮かべた。儚げ、というべきか。


 しかしすぐに笑顔に戻り、体ごとアギタの方を向いた。

「はぁー……これって何ていうんですか?」

「線香花火だ。花火の一種」

「すごいねー……花火って派手なのばっかだと思ってたよ」

「ちっさいころはサ、誰が最後までこのさきっちょが残るか競い合ったものだよね」

「そうそうそうなんだよ!」

 マスターがあるあるネタを話すと、確実に必要以上な迫力でアギタが食いついた。

「俺の師匠のいた大陸とかだとそういうの流行ってたんだよ。でもさ、やっぱり――」


 アギタはジャケットの内側から、直径十五センチほどの筒を取り出した。こちらはよく見知っているのか少女は両手を合わせて声にならない声をあげた。


「こっちの方が面白いだろう? あいにく一発しかないけどな。しかも市販用だ」

 花火を知っているものなら誰でも知っている。


 『打ち上げ花火』だ。


「やっぱり花火といったらこれだね。線香花火もいいけどサ。でも店内であげるのは勘弁ね」

「じゃあ外に撃つぞ」

 慣れた手つきで点火し、そのまま数秒手に持ったままで待機する。それを少女は楽しそうに見ている。そして代わりにマスターはグラスを磨きながら心配そうに見守っている。

「アギタ君サ、もしかして本当に店内で……」

「そんなわけないだろ。タイ、ミング、だよ!」

 答えると同時にアギタは花火を出入り口から投げた。

 と同時に玉が空へと打ち上げられた。少女とマスターが走って出入り口から外を覗く。アギタも一緒になって空を仰ぐ。


 一秒の沈黙ののち、紅い線が走る。

 昼用に作った花火で、黄色がかった青の空に合う色を選んだ結果であったが、どうやら好評だったようで、少女は再び未知の声を上げる。マスターも口笛で心情を表す。


「どうだ、びっくりしただろ! ああいう爆発が見たくて俺は花火師をやっているようなもんなんだよ」

 うんうんとアギタは腕を組んで頷く。

「君はサ、爆発が好きなのかな」

「そう! 爆発が大好きで俺は花火を作ってる。線香花火も嫌いじゃないけど、やっぱり花火は打ち上げだろ! なんつーかな、理屈じゃないんだ。本能が爆発を求めてるんだ」

「そうなんだー。珍しい人もいるものだよねー」

「記憶喪失に言われたかないな」


 三人ともまた最初の位置に戻り、いつの間にか注がれた酒とシャンパンを二人とも一気に飲む。それに合わせてマスターも中身が半分残ったボトルをラッパ飲みする。店主としてあるまじき行為だったが、その場の誰も気にしていない。


 例えばマスターの話。

「マスターってどうして前の仕事をやめたんですか?」

「なんか疲れちゃってサ。収入よくて、身体も疲れなくて良い仕事だとは思ってたけどサ、心が疲れちゃってね」

「心疲は辛いな。逆ならともかく」

「それでこのバーを始めたんですか」

「気楽だしね。今度は収入が悪くなっちゃったけど、肉体も心も疲れないから楽しいよ」


 磨いたグラスを棚に戻しまた別のグラスを磨く。なるほど確かに現状に満足しているらしい。前の仕事がどのようなものかは訊けそうにもなかったが、アギタには特にその必要背は感じられなかった。


「そういえば、金持ちの方がそうでない人より『自分を幸せだと思う割合』が少ないらしいな。そう思うと中央に生まれなくってよかったって思うぜ」

 再度酒がまわってきたアギタは、どこから持ってきたのかもわからないデータを持ち出した。そうみたいだね、とマスターは相槌を打つ。

「それは……失う恐怖があるってことですか?」

 少女は首をかしげて訊く。

 それを聞いてマスターはそうかもね、と賛同した。アギタの時とは微妙に反応が違う。

「失う恐怖っていうのは執着心かな。富豪は自分以外の存在で満たされている事が多からサ。金、他人からの信頼。それらは突然消えてしまうリスクがあるからその分執着心があるのかもね」

「じゃあ貧乏人は違うってのか」

「貧乏人、ってわけじゃないけど、金を持ってない人はその分自分の内面でカバーしてるのかもね。……別に富豪の内面が貧しいと言っているわけではないよ。ただ幸せの享受の最大量が段違いってだけサ」


 アギタ君なんかは爆発好きの本能が心の支えなのかもね、とマスターは話を締めた。


 例えば、少女への質問コーナー。

「記憶はいつからないんだ?」

 アギタがそう聞くと、少女は少しだけ悩んでから、


「気がついたら砂漠にいたよ」


 と答えた。

「それを覚えてるなら大丈夫だ。会話して分かったけど、君は多分記銘障害の短期記憶障害だよ。じきに全部思い出す」

「どんな勘だ」

 アギタは大きくため息をつく。しかし少女はマスターの言葉で安心したのか、荷が下りたような、そんな笑みを見せた。

「よくわからないんですけど、時間が解決してくれるんですよね」

「そう。なくした記憶の範囲が広すぎるのが気にかかるけどサ、まあ思い出せることには違いないよ」



 その他にも三人はたくさん話をした。マスターのワイン講座や少女の質問コーナー、アギタの火薬理論など話題に共通点は皆無だったが、そんなことが気にならなくなるくらいには皆楽しめていた。



 時間は過ぎ、刻は流れ。

 そして――――



「それじゃ、俺はそろそろ降りるぜ」

 アギタは席を立ち、出入り口から身を乗り出して外の様子を見る。ちょうど風も収まり、店を出るには絶好のタイミングだ。マスターに現在地を聞くと、彼の花火制作の作業場もそこそこ近い。アギタはバイクのエンジンをふかし、またがって降りる準備をする。

「結局花火のアイデアは出なかったけど、二人と話してて楽しかったぜ」

「じゃあね、アギタ君。また会えたらサ、その時はいい酒用意するよ。料金は貰ったしね」


 そう言ってマスターは手に持った紙幣をかざす。それを見、アギタはポケットを慌てて弄る。財布を取り出し中身を確認すると今まで飲んだ分の酒代が差っ引かれていた。途中で勝手に注がれた分まできっちりと、だ。


「この野郎……いつの間に」

「前の仕事で色々あってね。こういうのがサ、得意なんだよ」

 アギタは眉間にしわを寄せてから、気が抜けたように溜息をつく。

「じゃ、また会う日まで」

 アギタはジャンパーの内側から打ち上げ花火を取り出し、火をつけて先ほどと同じように数秒待つ。そしてバイクを発進させて機関車から降りると同時に空高く放り投げた。それを見て少女もまた先ほどと同じように出入り口に近づき空を見上げた。


 バイクは機関車と同じ方向に、しかし少しずつ離れていくように移動した。


 半秒ほど経つと、刺激的な爆発音と共に空に黄色の花が咲いた。










 二時間程でアギタは自分の作業場に辿り着いた。大量の鉄板で壁や天井も作られている。

 作業場、とはいうもののそこはアギタの生活スペースなので家と言っても差し支えがなかった。

 半径十五メートルを誇る作業場だったが、その大半は花火制作の用具や素材で埋められていた。というよりも地方は砂漠に囲まれ土地が無料タダ同然なので、材料が増えていくのに合わせて少しずつ増築した結果だった。


 アギタは鋼鉄の机に寝ころんだ。製図の作業のほとんどを行う机なので、乗っていた製図や小道具が床に大量に落ちた。


 身体の力を抜くと、自然と不格好な天井に眼がいった。

 トタン板や鉄板が大量に重ねられていて、それらを鉄パイプなどが支えている。


「友達がいなかったら、これも作れなかったんだよな……」

 花火仲間の善意というものを思い返しながら、日をまたいでの仕事による疲労に従って瞼を下ろす。


 (記憶喪失の人に会えるなんてそうそうないからな。経験値つめたし、明日は良い花火が作れそうだ)


 そう思いながら、アギタはゆっくりと花火の設計について考える。




 このたった四時間後、彼の日常は爆発と共に消え去るとは知らずに。








   序章――――了



    次回:パンオプティコン①

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