第二章 『堅津海峡奪還作戦』 3
海面が不自然な揺れ方をする。
そう、出撃前に聞いていなければ避けられたものではなかった。
ただでさえ鈍重な雲竜に余計な装備をつけたそれは竜体を傾げて下から突き上げる槍を避けるのが精一杯だった。
海面を割って現れた、精霊槍が燐光を従えながら上昇する。
傾ぎ、横滑りする雲竜の翼の切っ先を掠め、雲割って上昇し、上空で旋回する。
「リヴァイアサル級確認!撃たれました!」
達磨は感応管に叫びながら、早鐘のように鳴る心臓を抑えるのに必死だった。
喉の奥がカラカラと乾き、腹の底が無くなってしまうような寒気を覚える。
生き残った現実を理性から切り離し、冷静になろうと努める。
次に何をすべきか、初の実戦で忘れてしまう。
「落ち着け。焦らずに竜精珠を灯せ。お前の仕事は今はそれだけだ」
――今はそれだけ。
そう告げられた達磨は悔しさを覚えながらも、言われた通りにしていれば命だけは助かるという安堵に体中の力が抜ける。
届いた指先が竜精珠に精息を運び、竜精銖がほのかに輝いた。
グン、と雲竜が傾く。
雲竜の翼の根本にしつらえられた長方形の装甲が開き、上空に盾が展開された。
「――魔導障壁?」
本来、陸戦において激しい砲撃に対し前面に展開される魔導障壁である。
精息を激しく消費し、連続展開ができず、その間隙に絶え間なく砲撃することにより結果として防御より攻撃を中心とした戦術の方が効果が高いとして廃れつつあるものではある。
だが、ジャルマ式陸戦戦術を基礎とする龍元には魔導障壁自体は廃れてきたものではあるが数多く存在した。
だがしかし、これを空戦で使ったのは典藤達磨の駆る雲竜が初めてである。
青白く輝く式術を虚空に広げ、魔導障壁が翻った精霊槍から雲竜を守った。
「攻撃隊、続け」
辰貴の号令により銀戒を先頭にした黄炎の編隊が真っ直ぐに海面に向かって降下していく。
そのいずれもが新兵で真っ直ぐとばすのもやっとの連中だ。
「合わせてそれぞれ指示した方向に散開して槍を落とすだけでいい。いいな?いくぞ……三、二、一…散開」
鋭い旋回を見せる銀戒とは違い、続いた黄炎は鈍重に散開しそれぞれが足に抱えた槍を投下していく。
ディラガニールの中では落とされた槍の動きを見て騒然としていた。
「敵、精霊槍投下!」
「衝撃備えろ!欺瞞鱗散布!急速潜行!」
「敵、精霊槍、本竜の下で周回を開始!今までに無い軌道です!」
ジョハン・バルクレッガはその報告を受け、すぐさま判断を下した。
彼の直感的に戦場を捕らえ、素早い判断がこれまで多くの潜水竜を沈めてきた。
「潜行止め!『ハーリケイン』を起動させる!精霊槍バリスタ収め!」
上空では鯨柵槍を投下し終えた辰貴の第四飛竜隊に続き、第二飛竜隊が水面下に居るディラガニールへの爆撃体制に入っていた。
「……第二飛竜隊爆撃用意……三,二,一……」
「『ハーリケイン』起動します!」
一瞬の出来事だった。
海がもの凄い勢いでへこんだのだ。
その直後、渦を巻いた海の中からディラガニールの全貌があらわになり、とぐろを巻き竜燐殻を大きく開いた。
開かれた竜鱗殻の隙間から大量の水と燐光が吐き出されそれが一つの竜巻となって爆撃体制に入った第二飛竜隊の眼前に展開される。
「散開!避け――」
そう感応で告げた第二飛竜隊の小隊長機が広がる竜巻に巻き込まれ上昇してゆく。
第二飛竜隊は一機のみがその竜巻から逃れたがバランスを失いあらぬ方向へ爆撃槍を落としていた。
――それでも上昇して墜落を免れたのは僥倖以外の何物でもない。
勢いのついた竜巻は遠く距離を取る辰貴らの飛竜の操縦にも影響を与える。
「精霊槍、撃てェッ!」
竜巻を昇り、燐光を放つ精霊槍を打ち上げる。
竜巻の中を螺旋を描きながら飛翔し、精霊槍が第二飛竜隊の黄炎に突き刺さる。
翼に刺さった槍が赤く燦めいた次の瞬間、空に爆炎が広がる。
微塵に砕かれた竜骨と練装が炎精に飲まれた精息の尾を引き、青と赤の燐光を引きずりながら海に落ちてゆく。
「――各機!雲竜の上に待避ッ!二号竜珠起動!」
新兵で構成される第四飛竜隊は言われるままに雲竜の上空へたどたどしく逃げてゆく。
魔導障壁を下部に展開していた雲竜の背面の皿が開き、紫の燐光が放出された。
途端、精霊槍が竜を追うのを止め、そのまま直進をして上空で爆散する。
――夜精と呼ばれる精霊だ。
「第四飛竜隊は二番竜の雲竜を中心にここを離れて駒岳上空にて待機!」
――辰貴は即座に指示を出した。
出しながら由路葉が見る竜霊珠に映る竜影を見て舌打ちした。
「――第一飛竜隊、一番紅閃から銀戒。敵飛竜隊を確認。これより交戦に入る」
霧揶と暮羽の駆る紅閃が銀戒の後ろについた。
「了解した。第四飛竜隊を基地まで帰投させてくれ」
「浪代、銀嶺燐、まさか一竜で沈める気ではあるまいな?」
感応管の向こうに聞こえる声に由路葉が小さく吠えた。
「……生き続けるには如何に?」
鬱屈とした、それでも強い咆哮だった。
暮羽はただ、その強さだけは感じた。
「ハッ!然と聞いたッ!」
銀戒の背後から紅閃が赤い燐光を発して離れた。
紅閃はそのまま上空を精霊感のある方へと竜首を向ける。
銀戒が海面ギリギリまで降下し飛沫を上げながらディラガニールに飛翔する。
噴き上がる燐光と白波が混じり、きらびやかな帯となる。
「水竜長!飛竜一、低空から接近します!」
「精霊槍横射放て!タイミング合わせ……一番、三番、五番!今!」
竜手に掴んだ槍が離れ、ディラガニールから放たれる。
精霊翼を閃かせた槍が緩やかな孤を描きながら銀戒に迫る。
その孤の内側にさらに加速するように銀戒は疾走する。
銀戒を捕らえ損ねた精霊槍は遠くで孤の続きを描き、半円を作り再度、背後から銀戒を追い始める。
「二番、四番!今!」
そして、遅れて放たれた二本の槍が正面から銀戒に迫る。
背後と正面から迫る精霊槍を見つめ、由路葉は竜座で大きく手を広げ竜座側部の操竜桿を握る。
「やぁぁっ!」
裂帛の気合いと同時に銀戒は一度だけ竜首を下に向けると海面を強く叩くように跳ね上がった。
海を、蹴った。
大きく跳躍した銀戒の下を精霊槍が通過しそれぞれが大きく銀戒を包み込むように上方向に緩やかに孤を描く。
その中心で、銀戒は竜肺を一拍だけ黙らせ、背後に倒れ込む。
精霊槍が燐光を引きながら檻を作る中で、銀戒は背面宙返りをしながら減速したのだ。
そして、竜首が正面を向くと同時に竜口が開いた。
「竜撃咆ッ!」
――白く細い火炎が銀戒の竜口から伸びる。
海面を割り、とぐろを巻くディラガニールの装甲に突き刺さり炎を上げる。
「被害状況知らせッ!」
「衝撃殻損傷!潜行に支障無しッ!」
銀戒はその驚異的な機動力を確保するために武装の積載量が少ない。
特に飛竜の主力兵器とも言える竜咆哮にすらまともな火力を持たせられない。
――ディラガニールにとってはそれが僥倖となった。
「姿勢このままッ!竜肺吸水!潜行二十ッ!」
「『ハーリケイン』の竜毒が竜肺室に充満しますッ!」
「このまま沈められるよりかは良いだろう。精霊槍装填ッ!あれを落とすぞッ!」
ジョハン・バルクレッガは対飛竜戦の経験を持つ数少ない潜水竜の水竜長であった。
その経験が告げていた。
――この飛竜は危険である。
その予感は正しく、銀戒は今まで相対したどの飛竜よりも素早く旋回し、精霊槍を装填し終える前に再度の竜咆哮を放ってきた。
潜水を開始したディラガニールの装甲を海を貫き届いた竜咆哮の炎が刺す。
「第五区画竜肺損傷!」
悲痛な報告が聞こえるが、それでもまだ戦える範囲の損傷と判断する。
「我慢比べだ。これで飛竜も攻撃できまい。精霊槍を隔間で放ち続けろッ」
潜水しながらも上空に竜巻を出しているディラガニールに砲撃できる死角が無かった。
加え、精霊槍は多少の潜度なら放つことができる。
銀戒の積載する武装では潜水したディラガニールに致命傷を与えることができない。
ジョハン・バルクレッガは直感的に敵の不利と味方の利を勘案し、判断を下せる名将としての素養を多く持った人間であった。
彼の戦歴を見ればそれは明らかであり、後世の記録でもそう判断された。
だが、しかし――
「……昇るぞ。来れるか?」
「はいッ!何処なれどッ!」
ハーリケインの竜巻の風の中、竜首横の鴨鱗と主翼が下がり銀戒は大きく上昇する。
背後から放たれた精霊槍を右に左にと躱し、雲を割り、雲を引きずり上空へ飛び出た。
推力を失った精霊槍が爆発しその燐光の中を割って、銀戒は再び竜首を海へと向ける。
――眼前には大きく渦巻く雲があった。
遠く、敵飛竜隊と交戦していた紅閃の中、霧揶と暮羽は少なからず驚いた。
銀戒は躊躇うことなく、その竜巻の中心に飛び込んだのだ。
竜巻の中心は気流こそ安定しているものの、僅かにでも逸れれば途端に竜巻に巻き込まれる。
「飛竜ッ!ハーリケインの中心を下降していますっ!」
「精霊槍放てッ――竜首上げッ!竜咆哮用意ッ!」
竜巻の中を精霊槍が昇る。
銀戒は竜首に備え付けられた火精礫を立て続けに放つ。
熱せられた飛礫が勢いよく迸り精霊槍を貫いていく。
「「竜咆哮ッ!」」
「――やぁあっ!」
由路葉の咆哮と共に銀戒が竜咆哮の炎を放つ。
――ディラガニールの竜咆哮が発射されたのも同時だった。
交錯する竜咆哮の中で、銀戒は背面を焼かせながら螺旋を描き降下する。
ディラガニールの竜咆哮が雲を割り、銀戒の竜咆哮の海面に垂直に放たれた炎がとぐろを巻いたディラガニールに突き刺さり水柱を上げた。
「『ハーリケイン』停止ッ!急速潜行ッ!撤退する」
撤退を指示したジョハン・バルクレッガの判断は正しかったと言える。
海底を周遊している精霊槍――鯨柵槍であるが――による損傷を考えても、この飛竜を相手にしてはいけない。
現に、海面直前で急旋回して竜巻の勢いを利用しながら再上昇をしている。
――手に負える相手ではない。
勝てない相手に戦いを続ける程、愚かではなかった。
だが、ディラガニールにしてみればそれまで、本来最も警戒すべき敵を忘れていた。
「下方より竜咆反応ッ!」
「何っ!まさか――」
それ以降は発音にならなかった。
海底より発された螺旋状の燐光が潜行を開始したディラガニールの頭部を貫いていた。
そうなれば後は早いものだった。
竜肺に侵入する水を止める術も無く、潜水竜は肺に水を溜めるだけ溜めて沈んで行く。
当然、内部で操竜する百名近い水竜騎士達も一緒に沈むこととなる。
ジョハン・バルクレッガは激しく入り込む海水にはじき飛ばされながら自らが追い続けた幽霊竜を見ていた。
各部を支える練金装甲がその精息を絶やし、水圧に瓦解していく中を静かに一角の潜水竜が浮上してゆく。
一瞬だけ、その姿を辰貴と由路葉は見ることとなった。
「幽……玄?」
その暗く青い額の練金装甲の上に白く『幽玄』と描かれた潜水竜は、喘ぐようにその竜首を水上に出して空を見上げた。
それも一瞬のことで、僅かな換気を終えた後、それは再び海の底へと戻ってゆく。
通信も無く、去っていくその様子になんらかの作戦に従事中のものであると二人は察する。
――かくして、堅津海峡の底に沈んだディラガニールは公式の記録に残らない潜水竜によって沈められたものであるが、その功績は浪代辰貴が受けることとなった。