第一章 『北領守護隊』 4
帰るための雲竜を無くした辰貴らは二日ばかりしてから司令室に呼び出された。
井居武芒久中竜角から言い渡された辞任を聞き、辰貴はやはりという面持ちで応えた。
「……中翼士、でありますか」
その声に
「竜霊剣護の竜士だ。誰も文句は言わん」
竜霊剣護とは竜霊手付きの竜士のことを指す呼称だ。
――古くは竜霊を剣でもって守る護衛職をそう呼んだことが起源だ。
「経歴には目を通した。ダダガルザ攻防では武勲を上げている。療養除隊が無ければ三叉翼士になっていてもおかしくはないであろう」
翼士とは指揮官階級の呼称である。
龍元では兵卒を牙士と呼ぶ。
準に三牙士、二牙士、一牙士、爪士、爪長、そして小翼士、中翼士、大翼士と高い階級となり、さらに上の指揮階級として小竜角、中竜角、大竜角となる。
双牙士や三叉翼士などの特殊な階級も存在するがよっぽどの武勲を立てなければならない。
「編成する予定だった第四陸掩飛竜隊の小隊長として試作複座飛竜『銀戒』を下賜する。早期に部隊を練り実用に耐えるまでにしろ。以上だ」
辰貴は由露葉と共に格納庫で『銀戒』を受領する。
第二次精霊戦争末期、物資の乏しくなった龍元が『紅閃』の後継機として開発した廉価機である。
飛竜にしろ陸竜にしろ竜機は『竜骸』と呼ばれる竜の体に練装を施すことにより作られる。
魔導式でもって組成された練装を纏い、体組織を変化させ兵器に適した形へと変貌させ、練装した竜に人が乗る『竜座』と制動装置、そして計器の類を外装して人が操れる形となる。
ただ、練装を施す際には『全量保一』『対価交換』と呼ばれるように施す練装に必要な練装媒介が必要となる。
霊銀や陽鉱、魔石や神木などである。
それらを用いて、装甲を施し、肺を組み替え、そして兵装を持たせる。
魔導や式術を用いた魔具には共通して『精息』が必要となる。
四大精霊よりさらに原始的な霊媒で、大気中に希薄なれど存在する精息は精界や玄海と呼ばれる現界の隣に横たわる世界から零れ出る精気のことである。
これらは多く、意識を持つ生物――植物すら含む――に多分に含まれ、死してなおその骸に止まる。
『生贄』という原始的な手法で持って集める方法も遙か昔には存在したが、現在はもっぱら地下に埋もれた化石資源から採掘される。
龍元がアルメリアに資源で劣るのは国土の狭さが災いして精息にしろ、練装媒介にしろ採掘量が乏しいからだ。
――戦争末期、物資に乏しくなった龍元が施した低物資複座飛竜が『銀戒』だ。
「……二号竜咆哮に……火精礫か。積載数が無くなれば戦えなくなるな。一号咆哮に換練して咆哮で継戦能力を高められるか?」
「できますね……三叉竜肺と前進可変翼は高速域、低速域での旋回機動性は高いですが安定性に欠けます。背角を三本……いえ、鴨鱗を練装します」
「制動が一気に難しくなるぞ。大丈夫か?」
「大丈夫……ですね。その分、積載武装量が低下しますが」
「竜脚が一対二本に尾脚で計三本。重くすれば戦えなくなる、か」
「竜剣は諦めましょう。作戦にあわせて脚に持たせるものは変えていきます」
辰貴と由露葉は許された範囲での練装計画を練る。
翼士飛竜は竜霊手の裁量で一定までの練装要請を受けられる。
『紅閃』ほど完成度の高い飛竜練装ならばともかく、『銀戒』は未だ実戦配備されてまだ間もなく、実戦では未だ飛翔した実績は無い。
前進翼という前に突き出した竜翼と後部に設けられた複翼、背面に二本立つ背角はギリギリまで機動性を重視した作りである。
翼の後退角を負数まで引き下げた作りは竜翼の付け根に負担をかけ、また、揚気を得難い為に不安定となる。
――後にアルメリアが少ない素材を工夫だけで高性能な飛竜を作り出した龍元を恐れ、航空霊獣開発を禁止する理由となった機体でもある。
飛竜同士の空戦ではその機動性が重要な要素となっており、敵の背後をいかに取れるかが重要となってくる。
前進翼は機動性こそ優れるが安定性と機体構造に難を抱える。
由露葉は竜首横に鴨鱗と呼ばれる上下に動く偏向膜の役割を果たす鱗を増設することでこの安定性を調整すると言った。
黄幕を被った銀戒の横に赤い飛竜が肺を震わせながら戻ってくる。
竜脚を小刻みに震わせて格納を終えると竜首の上の竜鱗が跳ね上がり、竜座の中から竜士が現れる。
それに続くように赤い衣を纏った竜霊手が続き、竜士に手を引かれ紅閃を降りた。
優雅さすら感じさせる竜霊の所作を目の端に捕らえ、由露葉はもう一度、手の中の仕様書に目を通す。
「随分と、貧乏臭い竜ね」
赤い竜霊が由露葉をあざ笑うように言った。
それは銀戒を指した言葉か、由露葉のなりを指した言葉かわからなかった。
――政を代行する竜霊は通常、人より大切に扱われる。
龍元の制度的にその社会的地位を認められた竜霊はその支配階級に求められる所作と振る舞いがある。
だが、由露葉は竜霊としてはいささか粗末な衣服を着ていた。
「貴賤で戦争をしている訳ではないですから」
「お主か?雲竜でワイバーンを落とした竜霊は。この紅霊翼の暮羽以外にそのような勇心を持つ竜霊がいるとは思わなかった」
「……由露葉です」
「霊名を名乗れッ!竜角の誇りは無いのかっ!」
格納庫に竜霊――紅霊翼・暮羽の罵声が響き渡る。
竜角とは困難を突き崩す意を持ち、その誇りとは即ち竜霊の誇りのことである。
いじましそうに暮羽を見上げ、由露葉は呟く。
「誇りで生き残れるなら、そうします」
暮羽は端正で幾ばくかのあどけなさの残る顔を真っ赤にし、そして青くして吐き捨てる。
「……浅ましい竜」
遠くでそのやりとりをじっと見ていた紅閃の竜士はつと視線を上げて、辰貴を見る。
辰貴はその視線に気がつき、軽く会釈する。
この紅閃の竜士は天穿霧耶と言う。
――ダダガルザ攻防戦の後の大茫洋での後退戦から北領進駐まで戦い続けてきた白寿基地の名実ともに、エースである。
浪代辰貴と銀嶺鱗・由露葉の風聞は瞬く間に白寿基地の中に広がっていった。
雲竜で潜水竜の精誘槍を避け、ワイバーンを撃墜した飛竜士。
それが竜霊手付きで最も激しいダダガルザ攻防戦に従事していたとなり、中翼士で赴任したとなれば誰しもが期待と羨望、そして妬みの色眼鏡をかける。
だが、その日の晩には皆が一様にその色眼鏡を外すことになった。
――食事の仕方がどちらも汚いのだ。
まるで飢えた獣のように食らいつき、皿まで舐める。
皿を綺麗に舐め終えたと思えば箸を舐め、指を舐める。
外された席に食べ残しがあればそれまで喰らう始末だ。
凄腕の竜士を見ようと集まった兵達はその所作も何も無い喰らい方に嫌悪を示し、一人二人と席を外す。
「……竜の皮を被った畜獣」
暮羽はそう吐き捨て席を外した。
白寿基地に残ったのは天穿霧耶と、第五師団第三陸竜中隊の丘嶋大洪翼士だけだった。
かつかつと箸で食器を叩く音と、辰貴と由露葉が芋を咀嚼する音だけが響く。
それらが終わり、箸を舐め終わるのを待って丘嶋が呟いた。
「浪代、お前はダダガルザの生還兵だな?」
指を舐めようとしていた二人の動きが止まる。
ぎょろりと目を向けて丘嶋の姿を捕らえる。
四十過ぎと少し薹が立っていたが精悍な印象を与える。
だが、二人が気にしたのはその濁った光を持った目だ。
何も言わず互いに濁った瞳を交わし合う。
丘嶋は鼻を鳴らすと口元を歪めた。
「食べ方に気をつけた方がいい。皆が嫌う」
「……気をつけます。先任」
そう言って辰貴は指を口に含めた。
苦笑する丘嶋は霧耶を見る。
霧耶は興味深く辰貴と由露葉の様子を眺めていた。
そして、ぽそぽそと呟くように喋る。
「……悔しくは無いのか?」
それは由露葉に向けられた言葉だった。
同じ竜霊に侮蔑されたことを言っているのだろう。
暮羽は確かに由露葉が知っている竜霊の中でも気性は激しいように思う。
「そんなもの、なんでしょうね」
由露葉は小さなため息に混ぜて呟く。
霧耶は苦笑した。
「強い訳だ」
「……獣畜と言われても、食べることができなくなってからでは遅い」
霧耶が眼光を鋭く細めた。
大洪が尋ねる。
「堅津海峡にリヴァイアサル級が居るのは本当のことなのか?」
「はい。哨戒機も飛んでいるということは、まず間違いなく補給線が分断されています」
「そんな中を飛んで来たのか。俺も皿を舐めておくべきだった」
大洪は真顔でそんなことを言った。
霧耶が尋ね返す。
「……本土の海軍は動いているのか?」
辰貴が応える。
「リヴァイサル級を沈められる龍元の潜水竜は『虞雷』のみだ。『虞雷』は佐瀬の港で砲台代わりに係留されている。『回穿』を使っての突撃で破るにしても搬送する船が殆ど無い状態だ」
回穿とは小型潜水蛇のことだ。
――目標に回転しながら突撃し、装甲を穿ち、内部で爆発する。
戦争末期に登場した非人道的な特攻練獣だ。
「竜口の羽か……」
竜口の羽とは後が無いという意味だ。
「どのみち、兵站を絶たれれば大茫洋を押さえたアルメリアに北領を奪われるのは時間の問題だ」
「……どうして、そう言い切れる?」
「空きっ腹で戦えるか?」
辰貴に対して、霧耶は笑った。
旭日北領司令部が空爆でその指揮系統を喪失し、白寿基地がその代替となった。
その為、各地から遁走した敗残部隊が続々と集結していた。
辰貴らが合流したのはその最中であり、北領司令部は目下のところ反攻に出るための戦力を備蓄しているところであった。
その折りの補給線封鎖である。
だがしかし、それほど事態は深刻に受け止められておらず、部隊が集結するまでの間、束の間ではあるが辰貴と由露葉は落ち着ける時間があった。
格納庫に集めた自分の部隊員を前に、辰貴は慣れない訓辞を垂れることになる。
集まったのはいずれも若い兵士ばかりだった。
中には知った顔である典藤勝磨もある。
「第四陸掩飛竜隊の小隊長を勤めることになった浪代辰貴だ。以上」
単なる自己紹介に止まる自己紹介に由露葉は笑う。
若い竜士達はそれでも敬礼でもって返し、辰貴は背を向けた。