第一章 『北領守護隊』 3
北領白寿駐屯基地。
北領南部に長く延びる檜間から塩鱗峠を越えた洞野を超えてさらに北上した山間部に位置する龍元の北領方面基地である。
北領警護に当たっていた旭日方面本部がアルメリア進駐部隊の空爆でその機能を停止してから白寿基地が暫定的な対北領防護の主要基地となっていた。
海からの偏向風が吹きすさぶ旭日と違い、白寿は山間に位置することから風の方向が一定し飛竜基地に適していたことからここに基地が設けられた。
その好条件が、辰貴らの乗る雲竜を助けたのもまた事実だった。
「着陸入るぞ!」
「大丈夫!落ち着いて、お願いだから!」
狂乱状態を引きずったまま、雲竜は蛇行しつつも助走路に向けて降下を開始していた。
焼けて半ばから折れた短い足を伸ばし、風精の揚気を現界まで小さく保ち、速度を落とす。
「浪代竜士!僕ら、助かるんですかっ!」
後ろで狂乱に陥ってる新兵どもを殴りつけたい衝動を抑えて、辰貴は雲竜を助走路に近づける。
「手近な物に掴まれっ!揺れるぞ!」
「三,二,一で行くから……大丈夫……いくよ?三,二,一……ッ!」
足が助走路につくと同時に、根本から激しく火が噴き上がる。
助走路に腹を擦り、摩擦で噴き上がる炎と衝撃が練金装甲をめりめりと引き剥がす。
あらわになった竜肉が焼けこげる臭いと血をまき散らし、助走路に赤く線を引く。
翼を地面に突き立て、さらに減速するが勢いは止まらない。
助走路から脇の草地に突っ込み、二転、三転、横転する。
そして、完全にひっくり返って、そこで、ようやく雲竜は停止した。
「……ごめんね……本当に、ごめんね……」
由露葉が竜随手に手を当て、しきりに謝っていた。
辰貴は横転した際に激しく打ち付けた額を抑え、大きく息を吐く。
――生きている。
安堵が緊張を解き、途端に全身の力がなくなる。
安全帯が食い込むままに体を預け、竜眼から走り寄ってくる作業霊獣車を眺める。
そして、静かに目を閉じた。
傷ついた雲竜から運び出される物資と新兵、そして、戦場に立つことなく死亡した遺体を眺め、辰貴は土の上に腰を降ろした。
由露葉は静かに胸の前で手を合わせ、雲竜に頭を垂れている。
「浪代竜士」
声をかけられ、振り向く。
先ほど、雲竜の中で声をかけてきた典藤勝磨だ。
「……小南田は僕の、同期でした。南原の時計屋の息子で、大人しい奴でした」
雲竜を真っ直ぐに見つめ、瞳から涙を零している。
「竜義に応え死をもって竜誇とす……俺も英霊となって親御さんを守るって言ってました」
震える唇を血が出るまで噛みしめていた。
――訓練学府では血を吐く訓練を共に受ける。同期とは共に血を吐く仲間だ。
「こんな死に方って……あっていいんですか」
辰貴は吐き出した息に乗せて、呟く。
「あるんだ」
勝磨が膝を折り、土を掴む。
「うぅ……あぁ……ぐぅ……あああっ!」
胴体から下を雲竜を貫いた竜剣で引きちぎられ、回転を繰り返す雲竜の中で打ち付けた頭が無惨にも潰れている。
そのほかに、竜剣の餌食ではなく雲竜の機動で殺された兵士達の死体も少なくは無い。
辰貴は立ち上がると基地に向けて歩きだした。
地面に蹲っている勝磨の肩を掴み上げて立ち上がらせると頬を張る。
「教えておく。どこであろうと一緒なんだ。死ぬ時は死ぬ」
与えられた宿舎で横になり辰貴は疲労を一気に感じた。
張り詰めた神経がはらはらと糸をほぐすように解けていく感覚が体中を蝕み、鉛のように体を重くする。
頭の奥が次第にずきずきと痛みだす。
個室を与えられたことに違和感を感じはしたが、その個室が今は心地良い。
余計な詮索に煩わされることなく倦怠の鎖に心地よく沈むことができる。
耳にこびりつく竜肺の音と飛翔音。
閉じた瞳の裏に広がる暗闇の中に精霊の放つ燐光と爆炎の残滓が灯る。
ちりちりと身を焦がす恐怖に体を縮め、意識の外へと追い出そうとする。
暑い暑い陽の光を思い出し、乾いた血の味を思い出す。
脚の裏を噛む蟻の顎、響く精霊音、獣の唸り、たかる蠅、そして吹き出る灰汁の入った鉄兜。
腹の底に鈍痛が広がり、喉を焼くような痛みを覚える。
ハッシシがあれば落ち着けるのだろうが、それも今は無い。
あの心地よく鈍くなる感触が恋しい。
下着が汗で滲み、吐き出す息が荒くなる。
それでも寝てしまえれば逃げられると必死に身を丸める。
疲れ切った体がさらに疲労を訴え、ようやく何も考えられなくなる。
後は心地良いか悪いかは別として眠れるだけだと安堵した。
そんな時に来訪者が来るから始末が悪い。
扉が控えめに叩かれ、苛立ちを覚えながらも返事をする。
「……はい」
「辰貴?」
おずおずと名を尋ねた声は由露葉のものだった。
由露葉は静かに扉を開けると伺うように中を覗く。
辰貴の中で苛立ちが消えてゆく。
怯えた瞳を、少女がそれでも救いを求めるように自分を見ていたからだ。
彼女もまた、逃げることのできない幻影に怯えているのだ。
辰貴は身を起こし由露葉を見て、苦笑を作る。
由露葉は焦るように部屋に入ると駆け寄って寝台に腰かける。
その子供のような仕草に辰貴は微笑を浮かべる。
そして、由露葉の頭を撫でた。
撫でた手を愛おしそうに抱える由露葉はそっと辰貴に身を寄せた。
「竜営にはいかないのか?」
「ここに居ては迷惑でしょうか?」
竜営とは竜霊にあてがわれた特別な宿舎であり、竜士のそれよりかは良い作りである。
辰貴はわかっていて聞いたのだ。
「……また、飛ばなければならないのでしょうか」
「だろうね」
辰貴は努めて軽く言ったツモリが自分でも少し驚くくらい声が重かった。
由露葉が吐き出した溜息がとても重かった。
その重さに押しつぶされるように寝台に二人で倒れ込む。
「……今度は生きて戻れるでしょうか?」
その言葉は今まで考えていなかった恐怖を思い出させる。
辰貴は明滅する雷精照明を見上げ、しばらく考え込んでいた。
何も応えない辰貴に不安を覚え、由露葉が身をよじらせ辰貴の顔を覗き込む。
布の擦れる音が聞こえ、雷精がちりちりと弾ける音だけが続く。
「生きるさ……」
弱々しく呟き、由露葉に背を向ける。
由露葉はそれでも安堵したように辰貴の背中に寄り添い腕を回す。
這い上がり、女としての体を擦り辰貴の唇を求めた。
辰貴は一度だけ応え、その額に唇を触れさせると由露葉の震える体を胸の中に押し込めた。
「ン……ン…」
由露葉が辰貴の胸を啄み、甘く、熱を持った嬌声が響く。
ちりちりと頭の奥を焼く快感に、忘我の果てに眠るのも悪くは無いと思う。
辰貴はそっと、指先を這わせると由露葉の求めに応じた。