第三章 『椴勝橋頭堡攻略戦』 7
ガマセラ・マギソン騎士団長はトドカツの橋頭堡から遠くに一望できるシマバ平野に広がるアルメリア進駐軍の精鋭を眺め、今日が決戦であることを改めて感じた。
アサヒ方面本部の残党がハクジュ基地で体勢を立て直し、トドカツに設けた橋頭堡を攻める話は情報部が察知していた。
ハクジュを追撃しようと思えば、アルメリア進駐軍はいつでも追撃できた。
だがしかし、それをしなかったのには理由がある。
ヒノモトのロイヤルファミリーであるツキアミがホクリョー守護隊の司令官となった報せも届いていた。
フロラッズィが参戦表明するまでに時間が無いことも知っていた。
――あくまで抗戦を続けるヒノモトに徹底的な敗北を知らしめる必要があった。
ツキアミはまだ幼い子女であると聞いていたが、毎日のように戦死してゆく同胞を思えば可哀想ではあるが、今日、この戦場で死んで貰わねばなるまい。
ガマセラ・マギソンは遠くアルメリアの故郷に残した自分の娘を思い、胸を痛めたがそれが戦争であると自分を押し殺した。
「司令、ガングニール発射準備整いました」
「敵、布陣が完了次第、槍身をシマバに向けよ」
シマバに展開する黒檀騎士団のベヘモスが背に負った槍を掲げる姿を見る。
ハクジュの方向から飛翔を始める飛竜の姿を捕らえ、ガマセラは蓄えた髭を撫でた。
「本土に打電せよ。我ら此より決戦とする」
重々しく飛翔する雲竜――改め導慧の中で、揶那多は眼下に広がる戦場を眺めていた。
随伴した井居武は星導盤を設け、四種の精策を持った導慧の設計思想に驚いた。
上空から放つ精策は地上に対し広域で、また、それらの情報を瞬時に統合し、感応珠を持つ霊獣へその情報を送る複雑な工程をこなす式術は陸軍には無い発想だった。
銀嶺燐・由路葉という幼い竜霊が発案し、組んだ霊獣は既存の戦場を一変させるだけの潜在力を持っていることに改めて気づいた。
揶那多は術式に流れる精息と星導盤の調整を行いながらも、指揮を執るべき司令官としての重責に耐えていた。
眼下に展開されてゆく敵の霊獣を見て、自分の指揮で兵が死ぬ恐ろしさを今をもって思い詰める。
そして、昨日、銀嶺燐に痛罵された言葉を思い出した。
「愚竜、か」
「え?」
前竜座にて操竜桿を握っていた典藤達磨は思わず聞き直してしまった。
揶那多は大きく息を吐くと、自らが新兵と嘲った達磨に尋ねた。
「典藤竜士に尋ねる。我はこの戦にていかほどに貢献できる?」
尋ねられた典藤はたまったものではない。
井居武中竜角が同伴している中、不用意な返答をすれば軍法で裁かれる畏れもある。
しばし、思案していた典藤だが、揶那多はその意味を察せぬ程、愚鈍でもなかった。
「良い。困らせたな。竜霊剣護として良く我に仕えて欲しい」
沈黙が侮辱として取られたことと、畏れ多くも八網の竜霊剣護と言われた事実が混ざり、さらに困惑した。
「井居武」
「は」
「竜導精気はあれど我、力及ばず難にあって鼓舞するより方を知らず。故に我が声を汝が声に換えて、北領守護隊にあって勝ちに導く意志はありや?」
井居武は一瞬の間、逡巡した。
畏れ多くも月網に代わり、指揮を執れとの命令だ。
――失敗したのであれば竜誇汚墜の誹りを受け、死罪は免れない。
がしかし、もとより北領守護隊として何を求められているかを思えば後にも先にも何もなかった。
それよりも、導慧の性能を前にして龍元の命運を分ける戦場を指揮してみたいという葛藤が沸いた。
――今の命を受ければその弁も立つ。
「承りましょう」
結局は、後者の欲望が勝った。
――つくづく軍人であると、井居武は自らを評した。
だが次の瞬間、死ぬしかない道の他に、生き残れる道が示され、ただ単にそれに飛びついただけであることを思い直す。
揶那多に見られ、悟られたことを知り、苦笑して返す。
揶那多にはそれが不思議に思えてならなかった。
井居武は死生観を考える時期はもう既に終わらせていた。
ただ、残った結果にのみ意味をつけていくことしかできないということも知っていた。
だが、それを言に出して述べる程、若くもなかった。
「……間もなく、開戦です」
井居武に促され、揶那多は意を決すると竜霊珠に手を置き、我軍に感応を送った。
「北の弥栄を守護すべく集った竜意の士よ。月網・揶那多が声を聞け。敵は天地開闢より龍護の元にある我らが地に畏れ多くも槍を立てた。古く祖より継がれし地を異人に蹂躙させるは祖の意にあらず。我が声を中竜角井居武茫久に換えて、これより決戦に赴く。心せよ」
地上で返礼の砲がいくつか上がった。
それを合図に、地上の地竜が砂煙を巻き上げて移動を開始した。
「典藤竜士」
揶那多は大きく息を吐きながら尋ねる。
「月網ともなれば迂闊に言を発すこともできぬが、今はその位を離れて聞く。戦場に立つ竜士にとって死とはいかようなものなのだ?」
典藤は一度、井居武を見上げる。
井居武は双眸を竜眼に向けたまま、直立不動しておりそこに肯定の意を汲んで典藤は言葉を発した。
「……自分は北領に来るとき、戦場にすら立たず死んだ同期の最後を見ました。悲鳴を上げる暇もなく、横転したこの雲竜の壁に頭を打ちつけて死にました」
若く、そして、さりとて学があるわけでもない典藤は自分の思ってることを取り留めもなく話した。
「白寿基地の裏に埋めたんですけど、深く掘ってる暇も無いから、営舎まで匂うんです。いい奴で、時計屋の親が居て、親御さん達を守る為に戦場で戦って死んで竜義とするって息巻いてて……」
まとまらない言葉に、より緊張して典藤は言葉を継ぐ。
「戦場で初めて飛んだ時、俺はおっかなくてただこの雲竜を飛ばすのに精一杯で、生きていたのがなんだか嘘のようで……本当に、なんて言えばよろしいのか……えと」
とりとめの無い言葉を揶那多はただ、辛抱強く聞いていた。
そして、典藤はようやく自らの言いたかった言葉に辿り着く。
「……簡単に死にたいと思える訳じゃないです。だけど、簡単に死んでしまうのが戦争だと思います」
揶那多は目を細めて地上を見下ろした。
「……死ねば理の立つだけ、私はいいのやもな」
「え?」
「簡単に死ぬからこそ、どうしようもなく生きる、か」
その意を典藤が知るのはずっと後のことである。
島庭平野の決戦、と言われる。
島庭平野は椴勝山脈から流れる椴勝川を中心に広がる扇状地で、広大な泥炭地となっている。
アルメリア軍はこの戦闘に黒檀騎士団の重迫撃霊獣『ベヘモス』を枢軸とし、『アイギスシールド』を積載した防護重鎧士をその前衛に置き、鶴翼陣を敷く。
対峙する龍元軍は『竜刀』を主兵装とした『赤鬼』式装の歩兵団を先頭に、重地上竜『顎震』が縦列隊形を組む。
――これより久しく無くなる陸上決戦において陣形の選別とは戦局の展開を決める重要なものだった。
鶴翼陣形を敷き、防護重鎧士で固めたアルメリア軍はこの島庭平野で敵の侵攻を止め、背後の椴勝橋頭堡に設置された『ガングニール』による掃討射による決戦を求め、龍元は歩兵と重地上竜による電撃侵攻による橋頭堡破壊を決戦とする。
――いささか龍元に分の悪い布陣ではあった。
泥炭地である島庭平野はぬかるみが多く、歩兵の侵攻が幾ばくか遅くなる。
また、精霊槍の霊撃を遮蔽する地形が少なく、鶴翼を敷くアルメリア軍はその火力を存分に発揮することができた。
教本を元に正しくこの戦闘を勝利に導こうとするならば、龍元は敵の決戦材料である『ガングニール』の無力化を待ち、十分に敵の布陣を崩した上での突撃を行うのが最良である。
龍元が愚策にも、初手から突撃陣形を選択したのには二つの理由があった。
一つは兵の練度不足。
混乱を極める戦場で、兵が正しく横隊から縦隊へと隊形を整えるのには一定の練度が必要となる。
摩耗した龍元には兵に十分な訓練を施す間もなく、戦地に送らねばならず、この場合においても龍元の持つ地上部隊は自由に隊形を変えられるだけの練度が無かった。
次に、龍元は負けても良かったのである。
むしろ、敗北したかったと言ってもいい。
長く続いた戦争により疲弊した龍元はこの島庭平野の敗北を口実に、敗戦手続きをはじめ、終戦とする。
だがしかし、一方的な敗北であってはならない。
軍の体面と誇りを保つために、龍元はその持てる戦力を駆使しなければならないし、アルメリアはそれを真正面から受けて粉砕しなければ、龍元に敗北を認めさせる訳にはいかなかった。
様々な思いが交錯する中、両軍が島庭平野に集結し、午前九時二三分。
アルメリア軍椴勝橋頭堡司令、ガマセラ・マギソン騎士団長は黒檀騎士団に槍放を指示した。
空を精霊槍の燐光が走り、爆発が島庭平野の赤土を抉る。
地面が激しく揺れ、立ちこめる土煙がゆっくりと広がる。
――初撃は試放と呼び、照準との誤差を計算する為の槍放となる。
返すように龍元の『顎震』が顎を開き、その名の通り震える顎から空を焼く紅の竜咆を放った。
島庭平野の決戦が今、始まった。