第三章 『椴勝橋頭堡攻略戦』 5
竜営に新設された八網飛竜隊司令室にて月網・揶那多は飛竜隊の指揮を執る。
「我が翼下に入った独立飛竜部隊は陸軍北領守護隊と共同して敵橋頭堡の攻略の任を命ずる。その道を解け」
これを受け、銀嶺燐・由路葉が作戦を説明した。
「説明します。北領守護隊は明朝〇九〇〇を持ってして白寿基地を出隊、椴勝橋頭堡奪還作戦を開始します。独立飛竜隊は地上に展開する地竜部隊の上空で導慧を中心に翼陣を組み、敵地上部隊に対しての支援爆撃が主要任務となります。地上部隊は島庭平野に展開後、飛竜部隊の支援をもって進撃を開始、椴勝橋頭堡を目指します。椴勝橋頭堡には先日、大精霊槍ガングニールが搬送されており、その長大射程圏内に島庭平野はもとより北領東全域を納めています。よって、本作戦に先立ち、飛竜隊小隊長で編成される精鋭飛竜隊をもってこれの破壊に当たります」
司令室の星導盤に椴勝山脈近辺の図が浮かぶ。
「ガングニール破壊に従事する飛竜隊は敵橋頭堡南東、勝白川にかかる渓谷を遡上し敵橋頭堡裏側に侵入、その精導帯を破壊しこれを無力化します。ガングニールが沈黙次第、敵橋頭堡を爆撃、可能な限りの破壊を実施後、敵陸上部隊背後から味方陣へ帰投します」
集まった飛竜隊からどよめきが零れる。
「陸上支援の飛竜隊は直ちに出撃準備にかかって下さい。ガングニール破壊部隊はこれより渓谷侵攻作戦の概要を伝えます」
ばらばらと人が居なくなる中、辰貴、霧揶、暮羽、芽李が残った。
皆が居なくなったのを見計らって、由路葉は星導盤に渓谷の絵写を映し出す。
「……狭いな」
霧揶が正直な感想を述べた。
「勝白渓谷は概ね幅一五間、深さ七〇間の切り立った渓谷になります。玄界との繋がりが深く、風精が群生している為、操竜が難しくなります。ただ、椴勝南方一帯は深い森林に覆われていることから我々の侵入を警戒した敵が無差別対空霊獣を放ち、高々度からの侵入は容易ではありません。よって、我々はこの渓谷を飛翔して侵入を試みます」
由路葉が星導盤を操作し、最も狭くなる断崖を映す。
「……蒼月甲が撮憶した眼像を逆再生したものですが、勝白渓谷のうちで危険とされる地点は四つ」
次々と映し出される断崖の中で、とりわけ狭い断崖が映し出される。
「まず、『憧臨渓』。この地点で幅は三間、飛竜を斜めに飛ばさねばなりません。」
暮羽が鼻を鳴らす。
「次が、『迎鋭谷』。ここは土精が乱出している為、渓谷上部がふさがれており、また、下部から切り立った岩盤が盛り上がっているので、その間を飛行しなければなりません」
辰貴は手にした紙片にその形状を書き留めていた。
「次の『竜閃関』。八間ほどの広さしか無い上に、鋭角に旋回しなければなりません。旋回後、再度、反対側に再旋回をかけねばならず、とても危険な場所です」
星導盤に上から投影した図が映し出される。
鋭角にS字を描く渓谷は他の渓谷より狭かった。
「そして最後の『浮厳滝』。ここは渓谷上部の川の支流が滝を形成しており上部から流れ込んでいる場所です。冷気によっては水精が霧を発しており視界も非常に悪くなります」
それらを抜けた先に勝白川を跨ぐように設置された精導帯が見られた。
辰貴は感心する。
「蒼月甲はこんな場所を偵察飛行で飛んだのか」
「いや、椴勝橋頭堡に不審な動きがあったから可能なまで近づいて偵察したら哨戒機に追われてな。止むなく飛び込んだ場所がそこだった」
芽李はぽそぽそと滑舌の悪い声でそう呟いた。
辰貴にしてみれば止むなく飛び込んで飛ぶような場所では無い。
――本当にガングニールに肉薄して偵察したものである。
「逆から飛べと言われると、しんどいな」
「飛べと言われては飛ばぬ。がしかし、飛べるかと問われれば飛べると竜誇にかけて吠えてやる」
辰貴は記した飛行航路と破壊すべき精導帯の数に見合う精霊槍の重さを計算し、それで飛べることを確認すると頷いた。
「精導帯の破壊に必要な精霊槍を抱えても余裕はある。いける」
「独立飛竜部隊の先遣隊の初陣にはまずまずの修羅場といえよう」
息を巻く暮羽と対照的に、どこまでも冷静に星導盤を眺めていたのは霧揶だ。
「……問題は、どうやって帰投するかだな」
皆が一様に表情を強ばらせる。
「そうか……勝白を通るなら大きく迂回せねばならないから精息が足りなくなる。帰りは敵前線の上空を抜けてこねばならないということか」
問題に気がついた芽李が渋い顔をする。
「……敵前線の背後から爆撃をしながら帰投すれば地上を進軍する陸軍の行軍支援にもなるではないか」
「橋頭堡に設置された投槍に我々が尾を向けている形になる。それだけでも無理だが、さらに前線の高射精霊槍や敵の飛竜部隊と交戦することになればとてもではないが白寿基地までは辿りつけない。爆槍携行を考えなければ精息の量は……」
暮羽の楽観を辰貴は否定した。
そして、気がついたように由路葉を見る。
由路葉は辰貴の瞳を真正面から見据えて、頷いた。
「橋頭堡攻撃に……怨罹瘴精を使うのか」
「はい」
一同の顔が一斉に強ばった。
「銀嶺燐、人払いをしたのはその為かっ!」
暮羽が激昂し、星導盤を叩いた。
――怨罹瘴精。
精霊の中で最も忌み嫌われる精霊がある。
それは『死精』と呼ばれる幽界に存在する精霊である。
生物が根源的に持つ生存という存在意義の真逆の位置に存在する精霊で、精霊学上では世界を構築する上で必要な精霊として見られている。
古来から様々な宗派で崇拝対象として扱われてもいる例も散見されるが、それらは一様に『邪教』と呼ばれる宗教と認められていた。
何故なら、強すぎる『死精』は深刻な問題を引き起こすからだ。
まずは狂気。
「……死精残滓に触れた味方が同士撃ちするどころか、発狂自刃する畏れがあるだろう」
霧揶が言うように、強すぎる死気に触れたものは現界から切り離され、耐え難い恐怖が作る幻影を見るようになる。
現界の者が幻影と重なれば同士撃ちを始め、精神が恐怖に耐えきれなくなれば自ら命を絶つ。
「椴勝橋頭堡を確保したとしても利用できなくなる。周辺の村落にも人が住めなくなる」
滞留する死精は長く現界に留まり、悪影響を及ぼす。
死精は人体だけではなく、植物や動物、土地や大気、果てはその地に滞留する精霊にも深く干渉する。
「……ですが、用意されているということは使う為にあるということです」
――果たして、これだけの影響を与えるものを人が放っておくものか。
死精の兵器としての運用は古くから行われており、それは確実に技術を伴い、より致命的な効果を発するための進歩を遂げている。
龍元でもそれは開発されており、先に述べた怨罹瘴精がそれである。
死精を内包した霊卵を火精でもって破裂させ、広域に拡散した死精が周囲の精息と混ざり具現化し、生を喰らい始める。
それだけに留まらず、具現化した死精を仕留めてもその死体から再び爆発的に死精が振りまかれるという兵器である。
吐き出された死精は概ね一年に渡り、滞留すると言われている。
――敵にとっても、また、その地に住む者にとっても被害は甚大である。
だが、白寿基地にその死精兵器が存在しているのも一つの意志と事実である。
「銀嶺燐や」
月網・揶那多は非道な作戦を提示した銀嶺燐・由路葉をなじる。
「それは大霊誓約はおろか、霊長憲章ですら禁じる魔道ぞ!竜誇を汚す腐竜に劣る所業、例えそれでこの場の勝利を得たとしてもそれは我らを育む龍元の地を紫黒に染める!お前はどのように民と祖先に申し開きをする!竜霊たる竜導の気精を無くしおったか!」
痛罵を浴びる由路葉が静かに唇の端をつり上げる。
辰貴は割って、口を挟んだ。
「だが、飛竜に積載する重さと効果を勘案すると怨罹瘴精を使わなければ生還は難しい」
「黙れ竜士!すべからくの人が人として有るべき理をないがしろにするか!ここで我が魔道に落ちるを認めるは、この龍元が国体を汚すと同義ぞ!貴様はこの国に生きる子らに何をもって人の道を説く!畜生にも劣る!」
痛罵に身をすくめ、俯き震える由路葉に満足し、揶那多は言葉を止めた。
だが、俯き、睨め上げる瞳に険を宿し、由路葉は呪詛を吐いた。
「……ではお導き願う。我ら翼下の竜士らに生きてこの戦から戻る術を下賜願う。戦火に焼かれ、寒風に身を晒し、震え倒れる民に掛布を与える術を下賜願う」
「銀嶺燐!」
「とどまれ紅霊翼ッ!」
暮羽が制止するが、由路葉はその暮羽を一喝して黙らせる。
暮羽は一瞬、由路葉の正気を疑った。
由路葉はその腰に差した剣に手をかけていたのだ。
皆が一様に硬直する中、辰貴だけが瞳を閉じて息を吐いた。
抜き放たれた切っ先が、真っ直ぐに揶那多の喉に向けられていた。
「月網・揶那多御竜。お説き下さい。今、我らが生き延びるに非道な策しか無い現状、賢しくある竜霊として、愚かな我が策を改め崇高な意志をもってして難を破る策がおありで申し上げておりましょうや?お説き下さい。我らが生き残り、民に安寧を与える術を竜導の気精をもってしてお説き下さい……さぁ!」
「お前は自分が何をしているか……理解しておるのか?」
揶那多は震える拳を隠し、毅然とその切っ先を睨み据えていた。
「あなたこそ、自分の立場を本当にご理解頂けてるのか私は知りたい」
「八網一宇が眷、月網なりや。龍元を守護すべき竜霊ぞ。難にあっては救い、愚にあっては導き、依って龍元にあるものなり。汝は竜霊の何たるかを忘れたか」
「では、今ある難にあって、何をあなたは下賜できる?愚をもってしてあたるに何を換えてあなたは挑めと導く?あなたに依って我々は生きていけるものか?この国を導く竜霊としてあなたは我々に何でもって応える?」
由路葉の言葉はどこまでも執拗に揶那多を追い詰める。
「今は無い……精を尽くし努めるしか」
「それで我々に死ねと急かすかっ!竜霊が聞いて呆れるっ!死した我らの骸に汝はいかな言葉をもって述べるつもりなりや!」
「……問うな……我には……」
「受け止める覚悟も無く綺麗事をほざくなッ!」
由路葉は一喝し、切っ先を納めた。
「……竜誇は槍を防がず、暖とならず。狂ったように竜誇を吠えるだけの治竜が何をもってして竜導気精を吠えるか。精を尽くして努めたなどの弁解、聞くに堪えず。一事が万事、中身無き観念にて民を導き国を誤らせたはあなた方竜霊ぞ!ただ厳然と横たわる愚竜たる事実を知れ月網・揶那多」
由路葉は、月網・揶那多を愚竜と言い切った。
揶那多は毅然と向き合いながらも両の眼からはらはらと涙を零す。
「銀嶺燐……不敬で討たれてもこれは申し開きはできぬぞ」
暮羽は絞り出すような声でそう呟いた。
「討てるならば討て……椴勝で討たれるか、味方に討たれるかの違い。死ぬる戦に出るくらいならば、不様といわれようが私は生き延びる」
「汝は何をもって自らを竜霊とす」
「……死して竜霊ならば、生きて人で構わぬ。銀燐二片と共に銀嶺燐は既に竜籍に返上したものなり」
淡々と告げる由路葉は、皆が押し黙るのを認めてから続けた。
「……先遣隊である我ら竜誇飛竜隊は兵装を怨罹瘴精槍をもって、精導帯及び勝白橋頭堡を攻撃、敵上空を抜け帰投する。異論ありや?」
誰もが黙り、由路葉はそれを肯定と受け取った。
――竜誇飛竜隊。
その名称はとても皮肉なやり取りの中で産まれたものだった。