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第三章 『椴勝橋頭堡攻略戦』 1

 一つの事象というのはそれまでに至る、様々な事柄が複雑に絡み合い、引き起こされる。

 堅津海峡奪回作戦は史実だけを見れば単純ではあるが、その実はいくつもの勘違いが織りなした希有な作戦であった。

 いくつか補足しなければならないことも、ある。

 銀嶺燐・由路葉が何故、雲竜を支援機として運用する発想に至ったか。

 また、鯨柵槍の発想と調達をどのようにして行ったのか等である。

 まず、雲竜については由路葉と辰貴が最前線に立つことなく生き残ろうとするための最終案であった。

 輸送飛竜士としてではなく前線飛竜士として運用される場合、傷病を理由に後方支援を申し向け、最前線に立たない為に使用するつもりであった。

 本来、典藤達磨が一人で運用した雲竜は竜霊手を前提として練装されている。

 しかし、その発想を得るまでには実に様々な経験や知識がからんでくる。

 それらはひとえに彼らの今まで得てきた経験や知識の中から発されたものであり、それらの出所を知るには彼らの経緯を見てみるのが早い。

 銀嶺燐・由路葉は銀嶺燐の家の次女として産まれる。

 家督を継げる長女、長男と違い、次女、次男となる竜霊はその身と家禄を立てるために小等、中等、高等学府で学び、最高学府である九頭竜学府へ学を進めなければならない。

 紅州大学府、広芝大学府、鏡都大学府、盟子大学府、東宮大学府、呉ヶ大学府、樺芒大学府、藤海大学府、北領大学府。

この九つを持って九頭竜学府と称される。

 由路葉はそのうち最も難しいとされる東宮大学府の出である。

 第一次精霊戦争中の戦争気風が蔓延するなかで学を修める中、家督を継ぐ姉と違い身を立てる為には当時、四つの道があった。

 ――外交官、軍人、研究者。若しくは家督を継ぐ竜霊との婚姻。

 由路葉は当初、研究者――即ち、式者としての道を歩もうと決めていた。

 がしかし、当時の東宮大学府の術式研究会に由路葉の入る空きは無く、結局、最短での研究者の道を進むには軍人――霊獣開発式者の道を実地で行う以外になかったのである。

 九頭竜学府の教師の薦めもあって、由路葉は軍開発者への道を進む。

 この時の由路葉の年齢は一四である。

 竜霊は六つの時から竜学舎と呼ばれる学府で庶子とは異なる教育を受け、十二になるころには九頭竜学府を選ばせられる。

 元来、竜霊は九頭竜学府にて学を修める時期の方が長く、政界に携わる竜霊は概ね九頭竜学府で八年以上の歳月を重ね、『成霊』する。

 北領守護隊当時の年齢が一七であり、その当時の暮羽の年齢が一八であることを鑑みれば竜霊としては若いものの、従軍する竜霊としてはそう珍しいものではない。

由路葉はその後、海軍所属の肩書きで龍元最大の呉ヶ鎮丘で海竜戦術と開発に携わることになる。

 潜水竜を交えた海竜戦においての機動水竜の運用に携わった際に、机上の空論で終わったのが水竜の密集戦闘である。

 魔導障壁を用いた密集隊形にて敵の機動部隊、本隊を釘付けにし、夜精を用いた潜水竜でもって敵本隊を叩く。

 魔導障壁自体が水精との相性が悪く、海上で展開した場合、波に流されやすい性質があるため、魚龍三叉槍を放たれた場合、防御ができないという実験結果により廃案となった。

 ――堅津海峡での雲竜運用にはこの発想が元となっている。

 由路葉自身がこの実験において大型魔導障壁と潜水竜用の夜精甲の開発に従事していたことから潜水竜より小型の雲竜用のものを既存の兵器を調整して作り上げるにはそう、難しくはなかった。

 ――現実の作業量が問題ではあったが。

 銀嶺燐・由路葉はこの後、第二次精霊戦争に向けて由路葉は紆余曲折を経て第三海竜隊頭竜『富岳』に乗り海上飛竜隊付きの竜霊手となる。

 この頃に、浪代辰貴と会うことになる。

 一方、浪代辰貴は庶子の出となる。

 東宮の産まれではあるが、典獄――犯罪者を収監する監獄の長――であった父の仕事の為、幼いうちに北領へと移る。

 余談ではあるが龍元の歌人として後に名高い埜乃泉とは幼少期の類友で小等、高等と共に学ぶ。

 埜乃泉が手記に『竜活が如し喧しさ』と記すように闊達な幼少期を過ごす。

 典獄である父は当時の官吏が厳しくあるように辰貴にも厳しく当たり、これが辰貴にとって早期に家を出るきっかけとなる。

 また、北領の典獄では辰貴にそれ以上の教育を受けさせる学費を捻出することができないこともあり、辰貴は自ずと陸軍に入ることを選ぶ。

 当時の軍志願者の多くが戦争で手柄を立てて竜義に応え竜誇とせん。という喧伝に血を沸かせた若者の集まりであるのと辰貴の場合もそう変わらなかった。

 逼塞し始めた将来に見切りをつけて、新しい何かをみつけようとする若者に軍はとかく魅力的ではあったのも事実だ。

 入隊した辰貴は上意下達を徹底する陸軍に於いて、辰貴は漁師上がりの良い先輩と訓練部隊を共にする。

 遊びの中で捕鯨の仕方について教わり、それが後に知る精霊槍と基本的な術式が似ていることを覚えた。

 ――何のことは無い知識が後に戦況を変えるとはこのときは思いもしていない。

 簡約ではあるが、その後の浪代辰貴の経緯について記しておく。

 辰貴は陸軍での基礎訓練課程を終えて専門課程を修める際、霊獣士を選択することとなる。

 その際、最も適性を見せたのが飛竜士としての適性だった。

 飛竜士になるには目の良さの他に、平衡感覚と風精調息、飛竜を構成する複雑な練金装甲術式と、風精式学を修めなければならなかった。

 元来が『竜活が如し』と呼ばれるくらい闊達であった辰貴は飛竜という軍の中で比較的、新しい分野に興味を持ち、これを覚えてゆく。

 当時の辰貴の感覚で言えば新しい玩具での遊び方を覚えるような感覚で飛竜に触れていたのだ。

 軍属ではあったものの、戦争気風が吹いていたとはいえ戦場に立ったことのない若者にとって霊獣とはそのような物である。

 空、という元来、人が到達したことのない境地に行く飛竜に感動と自由に飛び回る様に自分との相性を見いだし、専門課程で優秀な成績を残す。

 ここから幾ばくか、数奇な道を歩む。

 辰貴が飛竜課程を修了した直後に大本営に於いて、ダーザルゲッガ空襲の計画が立っていた。

 ――大海竜富岳に積載した飛竜隊でもって空襲を行うと同時に宣戦布告する。

 だが、当時、海竜から発進する飛竜という実例が無く、試験飛行中に海軍飛竜隊に着陸事故で欠員ができたのである。

 そこにあてがわれたのが専門課程を終えたばかりの辰貴だった。

 海軍は経験豊富な飛竜士を要請したが、陸軍はそれに対し比較的、成績優秀な新兵を送ることとした。

 ――経験豊富な陸軍飛竜士がもし、同様の事故を起こせば陸軍の沽券に関わる。

 新兵ならば事故を起こしたとしても弁が立つという理由である。

 海軍はこれに憤りを示したが、着任時、辰貴はこの海竜に自らが乗る黄炎でとんでもない着竜をしてこの確執を有耶無耶にした。

 海竜の背甲は陸上の助走路と同じ間隔が取られている。

 がしかし、着任時、呉ヶ鎮丘に係留されていた富岳にはダーザルゲッガ空襲計画の為の航行用物資が広げられている最中で、初めて富岳を見る辰貴には背甲が助走路とはわからなかった。

 辰貴としては海軍の飛竜が事故を起こす程難しいものであると聞いていたことから、狭い背甲に飛び乗るものだと思い、富岳の竜首から伸びる係留策に竜尾を引っかけて垂直に着竜したのである。

 これに富岳の飛竜隊長神貫平地が驚嘆し、陸軍に『一度くれた竜士を後から返せと言われても返さん』と啖呵を切り、自分の部下となった浪代辰貴を可愛がったのである。

 この神貫平地が本来、銀嶺燐・由路葉の竜霊剣護の竜士となるはずであった。

 だが、それ以降も数奇な経緯を辿り、由路葉は辰貴を竜霊剣護とし開戦に至ることになる。

 熾烈を極めたダダガルザ島決戦の後、療養除隊し再度、戦線に復帰したというのがこれまでの経緯と言える。

 そして、堅津海峡奪還作戦を経て、浪代辰貴と銀嶺燐・由路葉を巡る数奇な運命はここで一つの転機を迎える。


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