心機一転
クラブの仕事を辞めた真咲妃は長かった髪をばっさりと切り、髪の色も落ち着いたダーク系に染め直した。
——今は刑務所に入っている嶋田が出所してきた時、この広い地域であうことはないと思うが、万が一あったとしても気がつかれないように——
相変わらず月に一度くらいしか会えない遠距離恋愛はつづいていたが、それまでとは違い頻繁に電話をするようになった。
得意な『接客業』で仕事を探して3ヶ月がたつがこの不況下ではそう簡単に仕事は見つからなかった。
そんな時紫織からメールが入った。
〈真咲妃ちゃんお久しぶりです。お元気ですか?お仕事を探していると聞きましたがもう決まってしまったかしら?知り合いのジュエリーショップで欠員が出たの。真咲妃ちゃんのジュエリーを見る目はしっかりしてると思うの。ちょっと遠いんだけどもし良かったらどうかしら?連絡待ってます 紫織〉
真咲妃があんな事に巻き込まれ店を辞めたことに責任を感じていた紫織は真咲妃のことを気にかけていた。
仕事がなかなか見つからなかった真咲妃は、申し訳ない気持ちで紫織に連絡を取った。
紫織に話を聞くと、偶然にも一章が住む所から電車で一時間程の場所にある店だという。
真咲妃は二つ返事でその仕事を引き受け一週間後から働き出す事が決まった。
土地勘のない真咲妃の為に先方が特別に店から近い場所に部屋を探してくれた。それに合わせ引っ越しの準備を始めた。
以前着ていた少々派手な服やバック靴などは、もう必要ないと思い後輩にあげたり売ってしまったりしたので荷物はだいぶ少ない量になった。
一章に電話をし仕事が決まったことを知らせた。だけどその場所については内緒にした。
行って驚かせよう。
再就職してから一ヶ月ほどたち、新しい仕事にも慣れつつあった天気のいいある日。
「いらっしゃいませ」
ドアが開き客が入ってきた。接客中の真咲妃は入ってきた客を見なかった。
しばらくショーケースを覗いていたスーツ姿の客に手の空いていた他の店員が声をかける。
「どのような物をお探しですか?宜しかったらお出ししますが」
「彼女にプレゼントをしようと思って」
接客中の真咲妃は聞き覚えのある声に反応しその客を見て唖然とした。
一章!?
何やってんのよ!
一章は真咲妃っ目が合うととにやりと笑った。開いた口が塞がらない様子の真咲妃をよそに一章は楽しげに店員と会話を続けた。
「まあ、うらやましいわ。サプライズプレゼントは女性が喜びますからね。どういった女性なんですか?お見繕いいたします」
「キレイで可愛らしくて、性格はきつめなんですけどね。最近髪を切ったんだけど短い髪もまた似合ってて……」
べた褒めの一章の言葉に聞いてる真咲妃が恥ずかしくなる。
「髪の短い方でしたらネックレスやピアスなんかはいかがですか?」
「そうですね……。丁度彼女くらいの長さかな?」
真咲妃を見て一章は言った。
先輩店員と一章が真咲妃を見る。いきなり話をふられ真咲妃は愛想笑いをした。…つもりだが、引きつっていたかもしれない。
『一章〜!覚えてろっ』心の中では叫んでいた。
「またいろいろ見て見ます」
「いいものが見つかるといいですね。またのご来店をお待ちしております」
先輩と共に丁寧に頭を下げ見送った真咲妃は、してやったりの顔をして店を後にする一章の後ろ姿を睨んだ。
「金谷さん?怖い顔してるけど大丈夫?」
店長にそう言われ慌てて眉間のシワを取った。
「なにしに来たのよ!」
仕事帰りの真咲妃が一章の部屋に怒鳴り込んできた。
「真咲妃さんを見に」
スーツから部屋着に着替えている途中だった一章は白々しく答える。
「信じられない。仕事さぼって」
真咲妃は怒ってツンと横を向いた。
「本当は真咲妃さんに逢いたかったから。ごめん」
一章は真咲妃の正面に回り込むと「どうしたら許してくれる?」と聞いた。
「…………」
「なに?」
真咲妃はふくれっ面のまま玄関に向かいドアを開けた。
「今度のデートは全部一章持ち!うーんと高いもん要求するからね。覚悟しておいてよね!」
勢いよくドアを閉めて豆台風は去って行った。
「ふっ」
一章は笑いながら豆台風が帰って行くのを窓から眺め、それに気付いた真咲妃は窓を見上げるとべーっと舌をだして帰って行った。
ある日のデート中、一章の携帯に電話がかかってきた。
ちらっと着信を見たが電話をしまった一章に「出ないの?」と真咲妃は聞いた。
「同僚からだからいいですよ」
「急用かもしれないよ、でてあげなよ」
一章はしぶしぶと言った感じで路肩に車を寄せ停車させるとまだしつこく鳴っている携帯を耳に当てた。
「もしもし、何だよ……」
「一章今どこにいるんだよ。こっち来いよ」
「悪いな、いま彼女と一緒いるから」
「なに!いつの間に?いいよ、彼女も連れてこいよ。俺の話を聞いてくれー」
相手のあまりの大声に眉間にシワを寄せ耳から携帯を離した一章を見て真咲妃はクスッと笑った。
「ってことで、こっちは大変なんだよ。助けてくれ」
違う同僚が無理やり携帯を奪い取り電話を交代したらしい。
「俺、車だから飲めねーよ?」
何分か話した後、電話の内容を真咲妃に話した。
「ってことなんだけど今からいいですか?」
「いいよ」
真咲妃がにっこりと笑って了承すると、一章は止めていた車を発信させ同僚の待つ居酒屋へと向かった。
居酒屋に着き席へ案内されると真咲妃は「あっ」と思い口に手を当てた。——仕事がら一度見た人の顔を覚えるのは得意である——。
一章と一緒によく店にきていた仲間の人達だ。
そしていきなりひとりが一章に抱きついてきた。
「待ってたよー、一章くーん」
真咲妃はその横でどうしていいか分からず立っていた。
すでにできあがっているその男性は真咲妃に気づいき
「おっそちらが彼女さん?初めまして〜新田です」
と自己紹介をした。
「は、初めまして」
ニコッとわらい真咲妃も挨拶した。
「くそー、一章!彼女可愛いじゃないか!どこで知り合ったんだよ」
席につき注文を済ませると早速新田は一章に絡み始めた。
「聞いてくれよー、一章」
もう一人の男性が絡まれている一章を横目に見ながら申し訳なさそうに真咲妃に謝った。
「ごめんね、デートの途中だったのに無理やり呼んじゃって。あっ俺藤井啓吾って言います」
「初めまして、金谷真咲妃です」
隣では相変わらず新田が一章に絡みついている
「——久しぶりにあの店行ったらさアンナちゃん辞めちゃってていなかったー」
『アンナ』の名前が出てきて真咲妃はドキッとした。一章も真咲妃を見た。
「へえ……そうなんだ」
悟られないように一章は相づちをうった。
「お前だって、店では気のない振りして実はアンナちゃん気に入ってたじゃないか。俺知ってるぞ一章。抜け駆けして店に行ってたこと……。俺だってアンナちゃん好きだったのにいー……会いたかったよ〜マイハニー!」
「ぶっ……」
新田の『マイハニー!』に一章は口にしたウーロン茶を勢いよく噴いてしまった。
新田はだいぶ酒が入っているのか、アンナの名前を連呼し続けている。
「ねぇ……」
真咲妃は口を拭いている一章の脇をつつき心配そうな顔をした。
「ん?大丈夫、バレないよ。髪型だって違うし……」
一章は真咲妃に小声で耳打ちした。
「なに二人でラブラブしてんだよ。こっちは失恋して悲しいのに。……あれ?彼女どっかで会ってない?」
新田が赤くなった顔で真咲妃をまじまじと見た。
「えっいや……。その方ってどんな方だったんですか?」
真咲妃はまじまじと見てくる新田から離れながら尋ねた。
すると新田は赤い顔を更に赤くして『アンナ』について語り始めた。
「アンナちゃんはね、俺の太陽だったよ。いや、夜しか会えないから『光り輝く美しい月』、そう!正に月の女神様だったよ」
『マイハニー』に続き『女神様』という言葉に真咲妃は目を丸くした。新田はそれに気づく様子もなく目尻を下げて思い出に浸った。
「彼女、笑顔が可愛くて。いや真顔も可愛かったな。トークもうまいし作る酒も美味かった、なっ一章」
「あ?ああ、そうだな……」一章はいきなり話をふられ慌てて返事をした。
「あまり胸は大きくなかったけど俺好みの大きさで、その胸の谷間が妙にセクシーでな。知ってたか?アンナちゃんの胸に小さなホクロがあってな、そのホクロが見えた日を俺は『ラッキーデー』と呼んでいた!」
新田は自分の手を胸に見立てながら鼻の下をでれっと伸ばし、鼻息も荒く力説した。
確かに真咲妃の胸には小さなホクロが一つある。真咲妃は思わず胸元を押さえ赤くなった。
ちらっと横をみると笑顔が引きつり目は笑っていない一章がいた。
「お前、どこ見てたんだよ」
一章は静かだが威圧感のある低い声でそう言うと、新田の胸ぐらをふざけ半分で軽くつかんだ。
「なんでお前が怒るんだよ?」
つかまれた新田はキョトンとし一章をみた。
「あっいや……」
新田と藤井に怪訝な目で見られた一章はバッと手を離し、どうにかごまかすとカチカチとタバコに火を付けた。
一服すると「便所」と言い席を立ちズンズンと歩いていく。その後を「待って、あたしも……」と真咲妃はついていった。
トイレから出てくると少し先に一章が待っていた。
「待っててくれたの?ありが……」
言い終わらないうちに一章は吸っていたタバコを灰皿へ押しつぶすと真咲妃の体を引きよせ乱暴にキスをした。
「んんっ」
一章の口の中に残っていたタバコの煙が真咲妃の口にも入ってきた。
「んっ!ゴホッゴホッ」
真咲妃はその煙を吸い込みむせこんだ。
一章はむせて涙ぐむ真咲妃を抱き寄せながら
「新田のヤツ、俺の前であんな事言いやがって」
と独り言のように言った。
「ごめん、真咲妃さん。苦しかった?」
もう一度軽くキスをすると一章は言った。
「口が苦い……」
真咲妃はぺろっと舌を出して苦情を訴えた。
「ごめん、こいつもうダメだわ」
席に戻ると新田は酔いつぶれて寝てしまっていた。
そんな新田をほっといて三人は雑談し始めた。
「一章に彼女がいたなんて知らなかった。いつから?」
「二年半くらい前から?」
「えっ、そんなに前から?全然知らなかった。どこで知り合ったんだよ」
「遠距離だったからな」
真咲妃と目を合わせ微笑んだ。
「……ところでさっきの新田じゃないけど、俺もどっかで会ったような気がするんだよね?」
藤井は真咲妃を見て首を傾げた。
「さすがだな、啓吾」
「やっぱり?でもどこで?」藤井は身を乗り出し聞いてきた。
「それは自分で考えろ」
フーッとタバコの煙を吐き出しながら一章はニヤリとして言うと、藤井は腕を組みながら「あーでもない、こうでもない」と首を傾げて考え出した。
その様子をみた真咲妃はクスッと笑った。その笑顔をみた藤井は突然ひらめいたらしい。
「あっ!もしかして《ムーンナイト》のア……」
「アンナちゃん!」
その時、突然ガバッと起きた新田が真咲妃の手を握りしめて叫んだ。
唖然とする男二人にビクッとする真咲妃。
「バっバカ。お前なにしてんだよ!こいつ寝ぼけてやがる。ごめんね、真咲妃ちゃん」
藤井は新田の手を無理やりはがしながら謝り、新田はまた床に転がり眠ってしまった。
新田を追い払った(?)藤井は机越しにもう一度真咲妃をまじまじ見て「もしかして……本当にアンナちゃん?」と目をパチパチさせながら聞いた。
真咲妃は照れたように笑うと一章の顔をちらっとみた。
「新田には内緒だぞ」
一章は自分の唇に指を一本当てて藤井に約束させた。
「ああそうだな。しかし本当に……」
依然として信じられないような目で藤井はしばらく真咲妃と一章を交互に見ていた。
そして藤井の視線は自然と胸元へ。
「じゃあホ……」『ホクロは本当?』と聞こうとしてやめた。一章に殴られたくないしな……。
視線を必死に戻し雑談を続けた。
しばらく話していると夜もだいぶ遅くなってきた。
「そろそろいくか……」
腕時計を見ながら藤井が言った。
「おい!新田、帰るぞ」
「あー……」
足元のおぼつかない新田を一章と藤井でタクシーに押し込み、藤井も新田の隣に乗り込んだ。
「悪かったな一章。貴重な時間を奪っちまって。真咲妃ちゃんもごめんね、付き合ってもらって」
「いえ。楽しかったです」
「くれぐれも内緒でな。んで、今度は新田抜きで……」
一章と藤井はアハハと言い頷いた。
「またな」
藤井は手を振り二人を乗せたタクシーは遠ざかっていった。
「このホクロか……」
その夜、ベッドの中で一章は真咲妃の胸のホクロを指で触りながら小さな声でつぶやいた。
「なに?」
聞こえなかった真咲妃は聞き返した。
「なんでもないですよ」
一章は真咲妃の唇にチュッとキスをしもう一度真咲妃を抱きしめた。