出会い
「アンナちゃんこっちだよ」
腹の出たお得意様が手招きしている。
ここは艶やかなドレスに身を包み美しい女性達と話しをしながらお酒を飲むところ。いわゆる『クラブ』というところだ。
《ムーンナイト》という名前のこの店は高級とまではいかないが、それなりの値段で楽しめる良心的なお店で中間層の客に人気の店だ。
「こんばんは、谷中さん。ご指名ありがとうございます」
アンナは微笑むとおしぼりを渡し男がくわえたタバコに火を付た。
アンナと呼ばれたこの女性、この店で五本の指に入るほどの人気で笑顔が可愛いくて会話が楽しめると評判だ。
「こいつ今月から半年の予定でこっちにきてる望月ってってんだ。アンナちゃんに会わせてやろうと思ってね」
鼻から豪快に煙を出して谷中という男は隣にいる男の肩をポンポン叩くとその男を紹介した。
「アンナです、初めまして」満面の笑みで挨拶するアンナ。その男はぺこりと頭を下げた。
「アンナちゃんまたくるね」
数時間後たらふく飲んだ谷中たちは満足げに帰って行った。
「谷中さんたちのテーブルにいたあの人。ひとっ言もしゃべらなかったわね」
「ね。顔は良かったけどね」
控え室でヘルプについてくれた後輩と一息ついているとそんな話になった。この仕事に珍しくアンナ——本名は『真咲妃』という。男みたいで本人はこの名前が好きではない——はタバコを吸わない。学生時代の時も周りでタバコを吸う友達がいたが、勧められても真咲妃は絶対に吸わなかった。隣では後輩がプカプカと二本目のタバコをくゆらせている。
「アンナちゃんご指名でーす」
ボーイに呼ばれ席を立つ。「いってらっしゃい」後輩に言われ真咲妃は手を降りフロアにでた。
『へんなやつ』
一章の第一印象はこうだった。
それからは最初に彼を紹介した谷中を除く4人のグループは二週間に一度は店に通った。真咲妃は気に入られ毎回指名されテーブルについていた為、だいぶ会話も増えてきた。
この半年間で彼について知った事といえば、名前は『望月一章』ということ、年は真咲妃よりも6才も年上だということ。女と話すのがどうも苦手らしい。みんなはタメ口で話しかけてくるが、なぜか一章だけはいつになっても敬語のままだった。
「ああこいつ、女性と話すときは絶対に敬語なんだ」
「んなこと言わなくてもいいよ」
改めて一章の声を聞いた真咲妃は『あっいい声……』と思った。
3ヶ月たつ頃、一章がひとりでやってきた。
「今日はお一人ですか?」
「はい。アンナさんに会いたくて抜け駆けしちゃいました」
「あたしに会いに来てくれたんですか?嬉しい」
「一目惚れなんです。アンナさんに」
そう言って一章は真咲妃を見た。一瞬ドキッとしたが「って言ったらどうします?」という言葉に
「もう、望月さんたら。ドキッとさせないで下さいよ」と言い返した。
この仕事も長くやっていると「一目惚れ」とか「好き」「付き合って」など言われる事は日常茶飯事。時には体を触ったり、肉体関係を求めたりする客もいる。中には本気で求愛してくる男もいる。所詮それはこの非日常的で特殊な空間に飲み込まれてるだけ。外に出れば魔法も解け現実の世界に戻される。そんな奴からはいい夢を見させてお金をふんだくればいい。
普通の恋をしていた自分はどこへいってしったんだろう。夢見る少女はすっかりひねくれ恋に冷たい女になってしまった。
所詮この人も他の客と一緒なんだ。真咲妃は一章を冷めた心で見た。
しかし一章は違った。仕事上教えたメルアド——もちろん仕事用——に接客した日は必ずメールをくれる。しかも、真咲妃の仕事が終わった頃に。真咲妃はこれから家に帰って寝るだけだが、一章はこれから仕事の時間だ。休みの日ならはまだ寝ている時間だろう。
『アンナさんお仕事お疲れ様です。昨日も楽しい時間をありがとうございました。それでは気をつけて!おやすみなさい』
『こちらこそありがとう。お仕事いってらっしゃい』
真咲妃は仕事帰りのこの短いメールのやり取りがいつしか楽しみになった。
そんな事が続いていたある日夢をみた。
何故か泣いているあたし。不安で震えている。
「大丈夫。泣かないで」
その人は優しく抱きしめてくれた。
抱きしめられるとそれまでの不安が消えとても安心する。
夢の中で抱きしめてくれたのは一章だった。
そしていつの間にか一章を気にしている自分に気がついた。グラスを持つ大きな手。男にしておくのは勿体ないくらいに指が長く爪もいい形をしている。まぶたに小さい傷があり笑うと目尻が下がる。『かわいい』年上の男性にいう言葉じゃないけど真咲妃はそう思った。時々合うその眼差しから目がそらせない。一章が目をそらしやっと息がつける。お客にそんな感情を持ったのは初めてだった。
その後も度々夢に一章が出てきた。
あっという間の半年間が過ぎ一章の出張が終わる最後の日、送別会と称しいつもの3人は来店した。
一章が一人で来始めた4ヶ月前から何度かアフターデートをし二人の距離は縮まっていた。
明日からまた一章は支社に戻るらしい。
あんな夢を見たせいだろうか、最後だというのに一章が直視出来なかった。
帰り際
「今日で最後なんて寂しいです。こちらにおいでの際はまた来て下さいね」とプライベート用のメルアドを裏に書いた名刺を一章に渡してしまった。
何やってんのあたし?プライベートのアドレス書いて渡しちゃうなんて!あたしどうかしてる……
その時、指が触れた。その瞬間真咲妃は指先にいつもと違う何かを感じた。
指が触れた瞬間一章はサッと手を引っ込め赤くなった。
柄にもなくつられて思わず真咲妃も頬が熱くなるのを感じた。




