長文メッセージで別れを告げられたので、二つ返事で出て行ってあげることにしました
今年26歳になる私には、6年間付き合っている彼氏がいる。
いや、彼氏がいたのは3分前まで。ちょうど別れを告げられたところである。
『いい加減我慢できなくなりました』
これがメッセージの始まりだった。
―内容を少しだけ公開すると、
『いつも俺の方がお金を多く払っています。先日の映画デートでもチケット代は俺が出しました。お前は家賃を払ってるだけです。日用品は俺がいないと買えないということをお分かりですか?お前が貧乏だからです』
『掃除が細かすぎます』排水溝なんて誰も気にしていません。換気扇を消したぐらいでカビなんて生えません。水垢なんて拭けば消えます。百歩譲って自分でやればいいのに、俺に強要するなんて自己中心的すぎると思いませんか?』
『料理がとにかく不味いです。出汁の味なんてわからないから顆粒でいいと思います。何皿も出しすぎです。野菜が多いと思います。だから金がかかるということを自覚してください。それから揚げ物が少ないです。掃除をすればいいだけの話だと思います。俺がマヨラーだって知ってやってるということは、嫌がらせでしかありません』
『毎月体調が悪いなんて自己管理がなっていません。世の中の女の人を見習うように。月のものが重いなんて男には関係ない話だということを、よく考えるべきだと思います』
『俺が遅くまでゲームしたってお前には関係ないと思います。実際近隣からクレームなんて入ったことなんてありません。睡眠不足よりも心の健康の方が大事だと思いませんか?俺が朝起きられるんだから口出しするなんて信じられません』
―とのこと。
しかもわざわざ、すべて敬語で送られて来た。
ここまで読んで自分でも思っていることがある。
——なぜこんな男と付き合っているのか。
とはいえ弁明させて欲しい。
趣味も合うし、一緒にいて落ち着くし、彼は優しいのだ。
しかし、いい加減私も目が覚めた。
私はすべての文を読み終えると、「了解」とだけ返事して、部長に半休申請をした。
※※※
ベッドに寝っ転がっていると、携帯が鳴った。
もちろん相手は元カレである。
「もしもし?」
「おい、お前もう引っ越したのか?っていうか、なんだよこの部屋!」
私は彼が何を言っているのか、すべて理解できるようでまったく理解できない。
しかし私の返事を待たず、彼はまくしたてるように息継ぎもせず話続けている。
「だいたいお前そんな簡単に俺と別れていいのかよ」
振った側とは思えないセリフに、私は思わず吹き出してしまった。
当然彼はすこぶる怒っている。
「俺のことを好きって言ってたけど、嘘つき」
「好きだったよ。いろんなことに目を瞑れるぐらいには」
本当に好きだった。嘘じゃない。
それだったのに私は今、この状況を面白くさえ感じている。
「あのさ、そんなことよりお金の話をしない?」
「そ、そうだ!まず机の上の金は何なんだよ!」
「2人で買った家具家電、どうせ捨てるでしょ?でも捨てるのにお金がかかるだろうから、その半分の代金」
ベッドはシングル2つだったからよかったものの、ソファー、テーブル、テレビ、洗濯機、冷蔵庫……などなど。元カノと使っていた物をそのまま使うなんて、あんな長文を送りつけてくるほどだ。嫌に決まっている。
優しい私はその処理にかかるであろう値段を計算し、プラス手間賃まで考えて20万円置いて来た。
これは私と彼の人生の精算でもあり、餞別でもある。
「そんな金がお前のどこにあるんだ?やせ我慢したって俺は戻って来てくれなんて言ってやらないけど?」
電話の向こうで彼が鼻で笑ったのがわかった。
私も鼻で笑った。
「私だって別れないでなんて言わないけど。そんなことよりあなたこそ早く出て行ってくれる?」
「は?」
「家賃も見ないでここにするって勝手に決めておいて、名義人を私にしたのは誰だっけ?」
「来月から俺が家賃払うから問題ない。名義変更よろしく」
きっと電話の向こうでニヤニヤしているのだろう。
すべて私がやってくれると信じてやまないあたり、まだ何もわかっていないらしい。
「わかった。じゃあこれでお別れってことで」
「はっ、泣いて縋るなら今がチャンスだけどいいのか?まあ復縁なんてしてやんねえけど」
「さようなら」
私は電話を切ると、大きく伸びをして鼻歌を歌った。
※※※
彼と別れてから3ヶ月。
同じタイミングで繁忙期に突入した私は、連日残業していた。
「お疲れ様。ちょっと休憩したら?」
「天野先輩、お疲れ様です」
「ほら、カフェオレ。苦いの飲めなかったろ?」
「ありがとうございます」
2つ上の先輩は彼氏がいると知ってからは一定の距離を保ってくれていたが、今は違う。
なにせ私は現在独り身だ。
「深津いるか?」
「はい」
名前を呼ばれた私が振り返ると、部長は申し訳なさそうに眉をひそめた。
「なんかお前の彼氏だっていう人が来てるんだけど……間に入ろうか?俺おじさんだからちょっとは役に立つと思うが」
私はやっぱりと思いながら立ち上がる。
「あの、差し支えなければエントランスで話して来てもいいですか?ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「あの、俺行きましょうか?」
「先輩、大丈夫です。ありがとうございます。エントランスには警備さんもいますから」
そうして私は最後の戦いに向かった。
※※※
「お前」
「何の用ですか?」
「何の用ってわかってるだろ!」
私は彼を無視して、エントランスのソファーに腰掛ける。
彼は私の前で仁王立ちすると、ここが人の会社だということを忘れて怒鳴り散らした。
「なんだよあの家賃!20万なんて……お前に払えるはずないだろ!」
「家賃は内見に行ったときに聞いてたでしょう?それに高いから違う物件を勧めたのに、強引に決めたのは大川さんじゃないですか」
東京の下町とはいえ、区内駅近の2LDKなんて高いに決まっている。
ゆくゆく結婚を視野に入れていた私はお金を貯めようともっとお手頃な物件をと勧めたのだが、家賃が私持ちだと決まっていたため彼は強引に決めたのだ。
まあ頷いた私も悪いのだけど。
「何が大川さんだよ。急に他人行儀って当てつけか?」
「だって私たちもう他人じゃないですか」
「じゃあ深津さんよ。お前の収入で一体どうやってあの家賃を払っていたのか聞かせてもらおうじゃないか」
突然やくざのような口調になった彼は、ドカッとソファーに座るとわざとらしく腕を組んだ。
私は笑いそうになったが、何とか飲み込んで彼の顔を見た。
「私が大家だから」
「……は?」
丸々と太り変わり果てた彼は目を見開いた。
友達の紹介で彼と出会ったのは20歳になる頃。
私はちょうど短大を卒業するころで、彼は四大に通っていた。
私の将来の夢は「人生ファイア」すること。
そのために必死に働き、24歳でマンションの2部屋を購入。
運良く持っていた株が急上昇したタイミングで売り払い、1年間の賃貸収入を合わせた結果、融資なく25歳でマンションを1棟購入することができた。
買った時は今よりももっと安かったが、近年の需要に伴い家賃を上げることを勧められ、結果として私たちが住んでいた部屋は20万円になっていた。
もちろん大家の私が自分にお金を払うわけもなく、当時はお互いの住民票を移して終わった。
今回彼に送る契約書は管理会社の人に作ってもらい、郵送という形で正式契約したのだ。
ここまで来ると、私が今どこに住んでいるのか想像がつくと思う。
そう、私のマンションの1LDKの部屋である。
「契約書に判子押しましたよね?ちゃんと読みましたか?」
「そりゃあ読んだに決まってるだろ」
「なら大家の欄の名前も見ましたよね?」
彼は何度も足を組み換え、両手を擦ったりしながら、あーでもないこーでもないと言い訳を続けている。
私はため息をついた。
「別に契約解除していただいても構いませんよ?敷金は払ってもらっていないので返すも何もありませんが」
「なら引っ越し代を半分」
「お金はおいて行きましたよね。20万円あれば半額になると思いますよ」
「うるさい!」
一瞬私は身構えたものの、彼はそのままエントランスを出て行った。
「大丈夫かい?」
「先輩、見てたんですか?」
「あ、いや、ほら……何かあったらと思って」
私は天野先輩とオフィスに戻ると、飲みかけのカフェオレを口にし、何度目かわからないため息をついた。
「だから言ったのに」
私は変わり果てた彼の姿を思い出した。
あんなに太ったのは、マヨネーズばかりかけているからだろう。
大きなクマができていたのも、深夜までゲームをする彼を止めてくれる人がいなかったのだと伺える。
「バカな人」
※※※
『やり直そう』
『話し合えばわかりあえる』
『お前の作ったご飯を食べるから』
『そろそろ月のものだろ。体調が悪いなら言ってくれれば何か買ってくよ』
ありきたりなメッセージが大量に送られてきたが、すぐにブロック。
彼は観念したのか、翌月引っ越して行った。
「だから掃除頑張ってたのに」
立ち合いは管理会社にしてもらったが、自分の目で確認するために部屋を見に行った。
私が一生懸命掃除していた甲斐はむなしく、たった3ヶ月で汚されておりため息しか出てこない。
その後各部屋の方に頭を下げて回り、彼が侵入してこないようマンションの鍵はエントランスを含めすべて変えた。痛い出費である。
私自身も元カレと住んでいたマンションに住み続けるのには抵抗があり、すぐに引っ越した。
それから私は彼を紹介してくれた友達に謝罪した。
「ため息ばっかりついて幸せが逃げるよって……なんか紹介しちゃってごめんね。そこでなんだけど、今紹介したい人がいるんだけどどう?」
「んー、しばらく恋愛はいいかな」
「でもさ、深津と同じ会社だよ?もしかしたら知ってるかな?」
「え、その人とはどういう繋がり?」
「お兄ちゃんの友達」
それから彼女は携帯を触ると、その男性の写真を見せてくれた。
「あー、その人なら紹介してもらおうかな」
私は新しい恋をすることにした。




