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第五話:再会、そして視覚的処刑



 大陸史に刻まれる「最悪の紛争」は、皮肉にも「最高の美」を奪い合うための醜い戦争となった。


 アステリア王国の残存兵力、五万。対するバルディア帝国の防衛軍、三〇万。

 戦力差は明白であったが、王国の将兵たちはまるで狂戦士ベルセルクのように目を血走らせ、涎を垂らしながら突撃を繰り返していた。彼らを突き動かしているのは、愛国心でも忠誠心でもない。ただ一つ、ルナリエ・フォン・アステリアの美貌という「致死量の報酬」をもう一度だけ拝みたいという、生物としての末期的な渇望であった。


 「どけぇぇ! ルナリエ様の微笑みを独占するのは俺だ!」

 「あの鼻筋のラインを拝まずに死ねるか! 俺の網膜には、もうあの御方以外の情報を入れる隙間はないんだ!」


 王国軍はもはや軍隊ではなく、重度の依存症患者による暴動と化していた。


 一方、戦場の中心に鎮座する帝国の「移動聖域」。

 そこには、純白の天蓋に守られ、優雅にアフタヌーンティーを楽しむルナリエの姿があった。

 彼女の周囲では、帝国最強の騎士たちが「美の情報災害」を遮断するための特注ダークグラスを装着し、鼻血を拭いながら警護に当たっている。


 そこへ、ボロボロになった馬車が戦線を突破し、ルナリエの目の前で急停止した。

 中から転がり出てきたのは、王太子セドリック。

 かつての凛々しさは見る影もなく、服は汚れ、目は窪み、ぶつぶつと「ジャガイモ……ジャガイモ……」と呪詛のように呟いている廃人の姿であった。


「……あ、ああ……ルナリエ……。そこにいるのか? ああ、光だ……。あのジャガイモだらけの世界に、光が戻ってきた……!」


 セドリックは、泥にまみれた手でルナリエの聖域へと這い寄った。

 その背後からは、同じく狂乱状態のリリアーヌが、ボロボロになったドレスを引きずりながら現れる。


「お姉様! ずるいですわ、そんなに自分だけ光り輝いて! 今すぐその美しさを私に半分分けなさい! 私の美容魔法が、あんなジャガイモ王子に拒絶されたのは全部お姉様のせいなんですから!」


 醜悪な欲望を剥き出しにする二人を、ルナリエは冷ややかな、しかしどこか慈悲深い瞳で見下ろした。


「セドリック殿下。私のような『顔が良いだけの無能』に、一体何の用ですの?」


 ルナリエの声が戦場に響き渡る。そのあまりにも清らかな音響に、周囲で戦っていた兵士たちが一斉に武器を捨て、その場に跪いた。

 セドリックは、震える声を絞り出す。


「戻ってくれ、ルナリエ! 何でもする! 私が間違っていた! リリアーヌのようなジャガイモよりも、貴女が必要なんだ! 貴女がいない世界は、色彩を失った泥の沼だ。もう一度、私をあの輝きで包んでくれ!」


「おかしなことを仰いますのね。あれほど私を『不快だ』と罵り、捨てたのは貴方ではありませんか」


「あ、ああ、それは……その時はまだ、自分の脳が貴女の情報量に耐えられなかっただけだ! 今は違う! たとえこの脳が焼き切れようとも、私は貴女を見つめていたい!」


 セドリックは泣きながら、彼女のヴェールの端を掴もうとした。

 だが、その手はレオポルドの剣先によって制される。


「不浄な手が、ルナリエ様に触れることは許されん。……ルナリエ様、いかがなさいますか?」


 ルナリエは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 彼女が動くたびに、戦場の焦げた大地から奇跡のように白いユリが芽吹き、血の臭いを神聖な芳香へと塗り替えていく。


「セドリック殿下。そんなに私の顔が見たいのですか?」


「ああ、見たい! 死ぬほど見たい! それが私の生きる唯一の理由だ!」


「……分かりましたわ。ならば、これが貴方の望んだ私の『顔』です。――さあ、その目に焼き付けて、一生、呪いのように私を愛し続けなさい」


 ルナリエが、自らの意思で「魔導銀のヴェール」を解き放った。


 ――ッ。


 その瞬間、世界から全ての音が消失した。

 物理法則が一時停止し、全宇宙の計算資源が、ルナリエという一点の「美」を演算するために集中されたかのような静寂。


 あらわになった彼女の顔は、もはや「造形」という言葉では説明がつかなかった。

 それは光。

 それは真理。

 それは生命が数億年の時間をかけて到達しようとした、究極の「報酬」そのもの。


 セドリックの瞳孔が、限界まで見開かれた。

 彼の脳内に、津波のような視覚情報が流れ込む。

 ルナリエの肌の、透き通るような白さ。

 唇が描く、完璧なまでの黄金比。

 そして、全てを見透かすような、深い藍色の瞳。


「あ、あ、ああああああああああああああああああああああッ!!」


 セドリックは絶叫した。

 あまりにも膨大すぎる「美」の情報。それは、人間の脆弱な精神回路を焼き切るには十分すぎるほどの高電圧であった。

 彼の脳は、ルナリエの顔を「理解」しようとした瞬間にオーバーヒートし、論理的思考を司る領域が次々とシャットダウンしていく。


「あ、ああ……綺麗だ……。綺麗すぎて、自分の存在が、この宇宙が、全部ゴミに見える……。ああああ、消える、私が消えるぅぅぅ!」


 セドリックの意識は、ルナリエの微笑みという名のブラックホールに吸い込まれ、粉々に粉砕された。

 彼は白目を剥き、幸福に満ちた、しかし完全に理性が崩壊した笑顔を浮かべたまま、地面に崩れ落ちた。

 彼はもう、二度と「人」として言葉を発することはないだろう。彼の魂は、ルナリエという「神」を直視した瞬間に、そのあまりの格差に絶望し、消滅を選んだのだ。


「セドリック様!? ……あ、あああああッ!!」


 隣にいたリリアーヌもまた、例外ではなかった。

 彼女は美容魔法を極限まで発動し、ルナリエに対抗しようとした。

 だが、本物の太陽を前にした蝋細工のように、彼女の顔面を支えていた魔力は一瞬で霧散した。

 

「嫌、嫌ぁぁぁ! 見たくない! 自分の顔が……鏡の中の自分が、ただの汚物に見える! お姉様、止めて、その顔を向けないでぇぇぇ!」


 リリアーヌは、自分の爪で自分の顔をかきむしった。

 ルナリエという「絶対基準」を突きつけられた彼女にとって、自分という存在はもはや「生きている価値のないエラー」でしかなかった。

 彼女は絶叫しながら戦場を走り去り、そのまま行方不明となった。後に、どこかの山奥で自分の顔を石で削りながら「私はジャガイモ、私はジャガイモ」と唱え続ける狂女の噂が流れることになる。


 戦場にいた五万の王国兵も、三〇万の帝国兵も、全員が武器を捨てて伏伏した。

 彼らにとって、この戦争の勝敗などどうでもよくなったのだ。

 ただ、この場所にいられたこと。

 この「視覚的処刑」を目撃し、自らの脳が「美」によって蹂躙されたこと。

 その事実に、彼らは涙を流し、至上の恍惚を感じていた。


「ルナリエ様……。これが、貴女の『力』なのですね」


 レオポルドさえも、特注のゴーグルを外して泣いていた。

 彼の視力は、おそらくこの瞬間、極限の美に焼かれて大幅に失われただろう。だが、彼は笑っていた。

 

「ルナリエ様。王国は、今この瞬間、物理的な交戦を辞めました。……いいえ、国家という概念を維持する能力を喪失しました。兵士たちは皆、貴女という神に魂を捧げ、故郷へ帰ることも拒んでいます」


 ルナリエは、静かにヴェールを拾い上げ、再び顔を覆った。

 彼女の「処刑」は終わった。

 一滴の血も流さず(セドリックの鼻血は別として)、彼女を追放した全ての元凶を、再起不能の深淵へと突き落としたのだ。


「お茶が冷めてしまいましたわね。皇帝陛下に、新しいお湯を用意していただくよう伝えてくださる?」


「御意。……ルナリエ様、いや、我が女神よ」


 ルナリエは、再び椅子に座り、穏やかに微笑んだ。

 彼女の背後では、アステリア王国の王冠が、誰に踏みつけられることもなく、ただの「ただの金属のゴミ」として地面に転がっていた。

 権威も、血筋も、魔法も。

 圧倒的な「かたち」の前では、何の意味も持たなかったのである。


 戦場を吹き抜ける風が、ルナリエの残り香を運んでいく。

 それは、旧時代の終焉と、一人の少女を神として祀り上げる、狂乱の新時代の幕開けを告げる風であった。


 セドリックは、その後、ルナリエの肖像画(あまりの美しさに筆者が狂ったため、ただの真っ白なキャンバス)を、愛おしそうに撫で続けながら一生を終えたという。

 彼にとっての救済は、彼女という「呪い」を永遠に見続けることだけだったのだ。


 次回、最終回。

 世界が彼女を「人間」としてではなく「現人神」として祀り上げる新世紀。

 ルナリエが最後に選ぶ、本当の「美しさ」とは。

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