表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/6

第一話:絶世の無能、奈落へ



 シャンデリアが眩く輝く王宮の大夜会。

 その中心で、王太子セドリックは婚約者であるルナリエに向かって、無情な宣告を突きつけた。


「ルナリエ・フォン・アステリア! 貴様との婚約を今この瞬間をもって破棄する!」


 広間に集まった貴族たちの間に、激しい動揺が走る。

 だが、その動揺は「追放」という事態に対する驚きではなかった。


「……ッ、はあ、はあ……」

「顔を……。あのヴェールの奥を、一瞬でいいから……」

「ダメだ、死ぬぞ! 心臓がもたん!」


 周囲の男たちは、膝をガクガクと震わせ、酸欠の金魚のように口をパクパクさせていた。

 彼らが恐れているのは、ルナリエその人ではない。

 彼女が纏う「魔導銀のヴェール」から漏れ出す、あまりにも強烈な「美の情報量」であった。


 ルナリエは、一切の魔力を持たない。

 剣も振るえなければ、高度な計算もできない。

 ただ一つ、歴史上のどの女神をも凌駕する、暴力的なまでの「顔面の良さ」を持って生まれてきた。


「セドリック殿下。それは、本気で仰っているのですか?」


 ヴェールの下から響く声。

 それは、春の訪れを告げる小鳥の囀りよりも清らかで、最高級の弦楽器が奏でる旋律よりも深く、聴く者の鼓膜を愛撫した。

 その声を聞いただけで、最前列にいた老公爵が「幸福すぎて死ぬ」と叫んで卒倒した。


「ああ、本気だとも! 貴様は魔力測定でも『ゼロ』! 聖女としての適性も『皆無』! 我が国の繁栄に必要なのは、魔導の才溢れる私の愛しきリリアーヌだ!」


 セドリックの隣で、義妹のリリアーヌが勝ち誇ったように微笑む。

 彼女も十分に美しいはずだった。だが、ルナリエの隣に並ぶと、それは道端に落ちている「少し形の良いジャガイモ」と同義であった。


「お姉様、お気の毒に。顔が良いだけの女なんて、観賞用の花瓶と同じですのよ? 王妃という重責に、お姉様のような『空っぽ』な方は相応しくありませんわ」


 リリアーヌの言葉に、周囲の貴族たちが青ざめる。

 (バカかあいつは! あのお方を花瓶だと!? 宇宙の真理を閉じ込めた至高の芸術だぞ!)

 (今すぐその口を閉じろ! ルナリエ様の声が聞こえなくなるだろうが!)


 人々の心の叫びなど露知らず、セドリックは鼻で笑った。


「顔など三日で飽きる! 貴様のような無能をこれ以上養う余裕は我が国にはない。今すぐこの国から立ち去れ! 行き先は隣国の『死の森』が妥当だろう。魔獣の餌にでもなるがいい!」


 「死の森」。

 一度入れば生きては戻れぬ、最凶の魔境。

 あまりの理不尽な命令に、会場の騎士たちが一斉に剣を抜こうとした。

 彼らの動機は忠誠心ではない。「あんな美しいものを失うくらいなら、この国を滅ぼした方がマシだ」という、極めて純粋で、極めて危険な本能による暴走だった。


 だが、それを制したのはルナリエ本人だった。


「分かりました。そこまで仰るのなら、私は喜んでお暇をいただきますわ」


 ルナリエは優雅に、それこそ神々が舞い降りるかのような完璧な所作で一礼した。

 そして、ヴェールの端を指先でつまむ。


「セドリック殿下。最後に一つだけ、忠告を差し上げます」


「何だ、無能の命乞いか?」


「いいえ。鏡を見たことがないのですか? 私の顔は、既にこの国を滅ぼす準備を終えていますわよ」


「……何だと?」


 ルナリエはヴェールを脱がなかった。

 ただ、一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけ、ヴェールの隙間からその「瞳」をセドリックに向けた。


 ――ドォォォォォォン!!


 セドリックの脳内で、宇宙が誕生したかのような衝撃が走った。

 視神経を通じて流れ込む、理解不能なまでの美。

 それは快楽という名を借りた、致死量の毒だった。

 セドリックは白目を剥き、よだれを垂らしながら、その場に棒立ちとなった。

 彼の思考回路は、ルナリエの瞳の「輝き」を演算した瞬間にショートし、完全に機能停止したのである。


「それでは、皆様。ごきげんよう」


 ルナリエは混乱の極致にある舞踏会を後にした。

 彼女が歩くたび、絨毯の上に咲いていた花の刺繍が、その美しさに当てられて本物の花へと変化し、咲き乱れていく。

 警備の騎士たちは、彼女が通り過ぎた瞬間に「私は何という醜い世界に住んでいたんだ」と絶望し、次々に武器を捨てて地面に突っ伏した。


 追放は、淡々と、かつ迅速に行われた。

 王太子が再起不能(植物人間状態)になっている隙に、リリアーヌと汚職官僚たちが結託し、彼女を馬車に放り込んだのだ。


 そして、数日後。

 ルナリエは、漆黒の木々が立ち並び、絶え間なく魔獣の咆哮が響く「死の森」の入り口に立っていた。


「さあ、降りなさい! この役立たず!」


 リリアーヌの命を受けた兵士たちが、震える手でルナリエを突き出した。

 彼らはルナリエを見ないように、分厚い目隠しをしていた。そうでなければ、任務を遂行する前に彼女の奴隷になってしまうからだ。


「ここが、死の森……」


 ルナリエが地面に降り立つ。

 兵士たちは逃げるように馬車を走らせ、去っていった。


 一人残されたルナリエ。

 周囲からは、腹を空かせた魔獣たちの気配が迫っている。

 身長三メートルはあろうかという巨大な「ブラッド・ウルフ」が、涎を垂らしながら茂みから姿を現した。


「……ふふ、ようやく自由になれましたわ」


 ルナリエは、ずっと自分を縛り付けていた、重い魔導銀のヴェールに手をかけた。

 王宮では、このヴェールは「醜さを隠すため」だとか「病を隠すため」だとか、好き勝手な噂を流されていた。

 だが、真実は違う。


 ルナリエの顔は、あまりにも「良すぎる」のだ。

 それだけで生物の脳を破壊し、社会の秩序を崩壊させ、自然界の法則をねじ曲げてしまう。

 それは祝福などではない。

 存在するだけで世界を再定義してしまう、パッシブ型の広域殲滅兵器なのだ。


「誰もいない森の中なら、少しは羽を伸ばしても良いでしょうか?」


 カチリ、と。

 ヴェールの留め具が外される。


 スルスルと、銀の布地が地面に落ちた。


 その瞬間。

 死の森から、一切の「音」が消えた。


 咆哮を上げようとしていたブラッド・ウルフの顎が、外れたまま固まる。

 空を飛んでいた怪鳥が、羽ばたくことを忘れて地上へ墜落する。

 邪悪な瘴気を放っていた魔力溜まりが、彼女を照らす「照明」になるべく、清浄な光へと浄化される。


 ルナリエが顔を上げた。

 そこに現れたのは、言葉という概念が敗北を認めるほどの、究極の美。


「あら? 静かになりましたわね」


 ルナリエが首を傾げ、ほんの少し、困ったように微笑んだ。

 その微笑みが放つ破壊エネルギーは、およそTNT換算で核爆弾数個分に相当した。

 彼女の正面にいたブラッド・ウルフは、あまりの神々しさに脳が爆発し、その場で「キュ〜ン」と情けない声を上げて、腹を見せて転がった。


 魔獣としての誇り? 生存本能?

 そんなものは、ルナリエの鼻筋の完璧なラインの前では、チリ同然である。


「貴方も、私と一緒にいてくださるの?」


 ルナリエが魔獣の頭を撫でる。

 世界で最も凶暴とされた魔獣は、その瞬間に「聖なる忠犬」へと進化した。

 

 こうして、死の森は「死の森」であることを辞めた。

 彼女を中心とした、地上で唯一の「楽園」へと作り変えられていく。


 一方、ルナリエを捨てた王国では。

 彼女という「美の守護神」を失ったことで、信じられないような悲劇が幕を開けようとしていた。


 セドリック王太子が目を覚ました時、彼が最初に放った言葉は、王国の滅亡を決定づけるものだった。


「……ジャガイモだ」


「はい? 殿下、何と仰いましたか?」


 側近が尋ねる。セドリックは、絶望に満ちた目で周囲を見渡した。


「リリアーヌも、大臣も、この国の女も……全員、泥にまみれたジャガイモに見える……!! あああああ! ルナリエ! ルナリエはどこだ! あの輝きを、もう一度見せてくれ!!」


 ルナリエの顔を知ってしまった彼の脳は、もはや「それ以外」の情報を価値あるものとして認識できなくなっていた。

 それは、世界で最も残酷な「ざまぁ」の始まりに過ぎなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ