表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編ホラー

焼け残った花

作者: 川浪 オクタ
掲載日:2026/02/18

 1


 どこからともなく、四つの音が重なった。



 校舎はもう、何も告げない時間のはずだった。


 午後九時以降、この学校に入ってはいけない。


 そんな噂がある。


 夜間部があるのだから、九時を過ぎても校舎は明るい。職員室の灯りも消えないし、正門も閉まらない。だから“入ってはいけない”というのは正確ではない。


 正しくは

 九時を過ぎたら、焼却炉へ行ってはいけない。


 理由は、誰も知らない。


 夜間部の生徒たちは、暗黙の了解でそこを避けているらしい。昼間の俺たちは、そのことすら知らなかった。昼に行っても何も起こらないからだ。


 安藤と知り合ったのは、文化祭準備で遅くまで残った日のことだった。


「昼間の人って、焼却炉の裏、普通に通るんだね」

 そう言って、彼は少し笑った。

 どこか懐かしそうな、遠い目をしていた。


「君は、母の日とか、ちゃんとやる方?」

 唐突な質問だった。

「まあ、一応」

「そっか。いいね」

 安藤は、何かを思い出すように目を細めた。


 授業に出なくて大丈夫なのかと聞いたら

「君と話すのが嬉しくて」

 はにかむ少年のような笑顔が印象的だった。


 つられて俺も笑顔になったのを覚えている。


 それが最後だった。


 また話したかった。


 安藤は来なくなった。



 2


「もしかしたら、あの場所に行ったのかも」

 夜間部の女子にそう言われ、俺は焼却炉を見に行った。


 彼女の名前は知らない。

 でも、なぜか安藤と雰囲気が似ている気がした。

 話し方なのか、目の形なのか。


「あの子、優しかったでしょ?」

 そう言って、彼女は少し寂しそうに笑った。


 安藤が来なくなった理由は知らないみたいだ。


 彼女の言葉を信じ、ゴミ当番を理由に近づく。


 焼却炉は思ったより古く、鉄の扉は黒く変色し、触れれば粉のような錆が落ちそうだった。


 裏側へ回ろうとしたとき、用務員と進路指導の教師に声をかけられた。


「何してる」


「ゴミ箱倒して、裏に……」


 適当に言い訳をして離れた。


 そのとき見えた。


 焼却炉の裏、草の奥にフェンスがある。


 記憶では、あそこは壁だったはずだ。



 3


 翌日、校舎図を確認した。


 やはり曖昧だ。焼却炉の位置は描かれているが、裏の構造は分からない。


 教室でスマホ地図を開いていると、岡本が後ろの席の俺を見ていた。


 普段目立たない、静かなやつだ。

 でも、その顔が、どこかで見たような気がした。


「焼却炉のところは、夜に行かない方がいいよ」

 唐突だった。

 その言い方が、安藤に似ている気がした。

 気のせいだろうか。


「なんで知ってる?」

 岡本はふっと笑った。

「知ってる人は、知ってる」


 その日、彼は工作室帰りだった。机の上には金属片。ノートの端には、花のデザイン。

「母の日近いからさ」

 そう言って、彼は金属片をそっと撫でた。



 4


 夜。


 九時前。


 岡本と待ち合わせると、夜間部の女子も来た。


「本当に行くの?」


「安藤に会えるかもしれないだろ」


 九時を過ぎる。

 校舎の灯りが遠く感じる。

 焼却炉の裏へ回る。


 空気が、変わる。

 音が消える。


 なぜか汗が頬をつたう。


 フェンスの奥に、岡本が立っている。

 最初からそこにいたような気がした。


「やっぱり、来ちゃったね」

 声が歪む。


 俺の横に、夜間部の女子がいる。

 彼女は岡本を見て、何か言いたそうにしている。

 でも、声にならない。


 岡本の顔が、安藤に見えた。

 喉から音がなる。


 いや、三人とも、同じ顔をしている気がした。


 無意識に後ろに一歩、下がっていた。


「ごめんね」


 誰かが言った。


 俺の声だったか?


 焦げた匂いがする。

 鉄が軋む音。

 焼却炉の扉が、ゆっくり閉まる音がした。


 気づいたとき、誰もいなかった。



 5


 翌日。


 安藤はいない。

 夜間部の女子もいない。

 岡本の席もない。


「岡本? そんな生徒、いたか?」

 担任は首をかしげる。

 教室の名簿にもない。


 俺だけが覚えている。


 三人とも、同じことを言っていた気がする。

 母の日のこと。

 焼却炉の裏のこと。

 夜に行くなということ。


 でも、本当にそうだったか?

 記憶が、曖昧になっていく。


 安藤も、岡本も、あの女子も


 みんな、何かを伝えたかったのか。


 それとも、俺に何かをさせたかったのか。


 靴箱横の校舎図を見る。

 焼却炉の文字が、やけに薄く見えた。



 6


 放課後。


 焼却炉のあったはずの場所に、何もなかった。

 フェンスはある。


 草をかき分ける。


 そこにあった。

 半分溶け、歪んだ鉄板。

 花の形が、かろうじて残っている。


 指で土を払う。

 裏に、小さく刻まれていた。


「母へ」


 その下に、もう一つ。

 かすれて、ほとんど読めない文字。


「ごめんなさい」


 その文字だけは、焼け残っていた。


 風が吹く。

 校舎のどこかで、四つの音が重なった。

 一つは、俺の足音かもしれない。


 俺は、時計を見なかった。


 あの花は、誰の手にも渡らなかった。

 母の日は、もう来ない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ