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第2章

「……赦しは不要、か」

自分の言葉にすら、感情が追いつかない。

赦しがないなら、報酬もない。

報酬がないのに、なぜ戦う。

――いや、戦う理由など、もう十分すぎるほど知っている。

知っているからこそ、引き受けたくない。

テツヤは枕に頭を戻さず、天井の白に視線を縫い付けたまま、静かに言った。

「俺は戦わない」

その声は低く、乾いていた。

拒否は叫びではなく、結論として置かれる。

「艦長もいらない。指揮も取らない。

 俺が前に出れば、誰かが死ぬ。……その“誰か”を、もう増やしたくない」

艦内の振動が、ほんの僅かに変わる。

鼓動の間隔が乱れたわけではない。

ただ、“次の処理”へ移る前の、機械的な間が挟まれた。

『拒否』

即答。

そこに説得の余地はない。

説得とは、相手の心を前提にする行為だ。

アマテラスの返答は、心ではなく規則に根ざしている。

テツヤは息を吐く。

怒りは湧かない。湧けば楽だ。

代わりに、冷たい疲労だけが胸に沈む。

「……お前に拒否する権利はない。

 生きるか死ぬかを選ぶのは、俺だ」

『あなたは一度死んだ』

その言葉が、骨の奥を叩いた。

“事実”の刃は、反論の余地を残さない。

『あなたの生命維持は艦の系統と統合されている。

 あなたの死は、艦の損耗に直結する』

「なら損耗すればいい」

テツヤは淡々と言った。

「世界を救うために俺が必要だというなら、俺がいない方が正しい。俺の判断は――」

『あなたの判断は、任務遂行において有効』

言葉が遮る。

遮られた瞬間、テツヤの内側の何かが小さく軋んだ。

有効。

それは人間に対する評価ではない。

部品に対する評価だ。

テツヤは目を閉じた。

白い天井が消え、母の顔が浮かぶ。

その顔に、赦しはない。

だから、戦う資格もない。

「……俺は、戦いたくない」

彼は繰り返す。

今度は、拒否というより、祈りに似た言い方で。

「俺が戦えば、また同じことをする。

 守るために殺す。守るために壊す。……俺は、それをもう一度やれる人間じゃない」

沈黙。

深海の底に落ちる沈黙。

そして――アマテラスは、手段を変えた。

『代替案を提示する』

テツヤの睫毛がわずかに揺れる。

代替案。

その語感が、無情に冷たい。

『適合者候補――柊沙也加』

その名前が出た瞬間、テツヤの呼吸が一拍、止まった。

空気が薄くなる。

艦内の白が、刃物のように見える。

母の顔が消え、代わりに妹の顔が浮かぶ。

怒りに濡れた目。憎しみを隠さない声。

それでも――生きていてほしい存在。

「……やめろ」

声が低くなる。

今までの拒否の冷静さとは違う、危険な温度が滲む。

『柊沙也加は女性。適合条件を満たす可能性が高い』

「やめろと言った」

テツヤは上体を起こそうとする。

胸の奥が痛む。だが痛みはどうでもいい。

「お前が彼女に触れるなら――俺は」

『あなたの拒否が継続する場合、指揮系統の再構築が必要』

語尾が、情け容赦なく整っている。

怒りではない。恫喝でもない。

ただ、将来の枝を提示しているだけだ。

だからこそ逃げ場がない。

テツヤは唇を噛んだ。

血の味がするほど強く噛んでも、言葉は変わらない。

「……脅しだな」

『脅迫ではない。予告だ』

その違いが、最悪だった。

脅しは感情で揺らげる。

だが予告は、事実として落ちてくる。

避けたければ、こちらが折れるしかない。

テツヤの喉が鳴る。

怒鳴りたい。

艦に拳を叩きつけたい。

けれど、ここに拳を叩きつける壁はない。

あるのは、世界そのものみたいに巨大な理屈だけだ。

「沙也加は……関係ない」

必死に声を平らにする。

「俺の罪と、お前の任務の話だ。彼女を巻き込むな」

『あなたと柊沙也加は関連している』

『遺伝的適合性、神経接続の相関、精神応答の近似』

『そして――あなたが最も強く反応する対象である』

最後の一文が、致命傷だった。

テツヤは目を閉じる。

反応する。

そうだ。反応する。

世界が滅びても動かない部分が、彼女の名前だけで動いてしまう。

「……卑怯だ」

吐き捨てるように言う。

だが卑怯という概念すら、アマテラスには通じない。

『最適化だ』

その言葉が、冷たく胸に刺さる。

最適化――人間の痛みを、計算の外に追いやる言葉。

テツヤはシーツを掴んだ。

指が白くなる。

それでも、彼は崩れない。崩れれば、妹が危険に近づく。

「……分かった」

声は冷たく、決定的だった。

「俺がやる。俺が艦長になる。戦う」

言った瞬間、心のどこかが死んだ気がした。

だが、それは“終わり”ではない。

終わりを拒まれた以上、死ねない部分を切り捨てるしかない。

テツヤは続けた。

「ただし条件がある」

『提示せよ』

「沙也加に触れるな」

言葉は鋭い。刃のまま置く。

「彼女を呼ぶな。彼女を候補に挙げるな。

 もしお前が――任務の都合で彼女を器にしようとするなら、俺はお前の任務を“壊してでも”止める」

艦内が深海のように静まり返る。

その静けさは、怒りではない。

契約の条文を刻む沈黙だ。

『条件を記録』

『柊沙也加を適合候補として扱う優先度を低下させる』

一拍。

そして、最後に釘が打たれる。

『ただし任務が破綻する場合――再評価する』

逃げ道を残さない言い方。

それでも、今はそれでいい。

刃が喉元から少し離れた、それだけで十分だった。

テツヤは息を吐く。

助かったわけではない。

ただ、“妹を守るために自分が鎖になる”ことを選んだだけだ。

「……これでいい」

声は、ひどく乾いていた。

乾いているからこそ、折れない。

『了解』

その返答は祝福ではない。

だが、艦の低い鼓動がほんの僅かだけ変わった気がした。

同意の温度ではない。

拘束が成立したという、機械的な確定の音。

深海の太陽は、男の死も、男の拒否も許さない。

そして――男が最も守りたい名を口にして、男を戦場へ引き戻した。

救いに見える鎖。

鎖に見える救い。

そのどちらでもあるまま、

戦艦アマテラスと柊テツヤの物語は、静かに動き出した。

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