第八話 初恋
皆様へ
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
コンテスト応募のため、改稿を行いました。
それに伴い、最終話の前に入る二つのお話を書いたのですが——。
システム上差し込みができないため、最終話(第十話)の後に続けております。
見た目おかしなかたちではございますが、八話九話の気持ちでお楽しみ下さい。少し落ち着いたテンポの短いお話です。お時間がありましたら是非。
満開のバラが優しく揺れる庭園。
ほんの少し乾いた風が、心地よく頬を撫でる。
王太子殿下——クライス様が私をこの場所へ案内してくださったのは、ただの散歩ではなかった。
「君に見せたいものがあるんだ。……少し思い出話になってしまうかもしれないけど」
クライス様は庭の奥、白く小さな東家を指差す。
石造りだけれど温もりを感じる、手入れの行き届いた場所だ。
そう、ここは——かつてデミアン兄様の叙勲式のあと、私がひとり逃げ込んだ場所だった。
「ここ、覚えているかい?」
彼の問いかけに、私は自然と目を細める。
「ええ……兄様の叙勲式の後、ここへ来たことがあります」
クライス様は微笑みながら言った。
「あのとき、君を追いかけたんだ。……何かを伝えたかったわけじゃない。ただ、君が走っていく姿を見て、どうしてもついて行きたくなった」
「そんなことが……」
なぜかしら——言葉が続かなかった。
彼の落ち着いた声と、横顔の美しさに見惚れてしまって。
心の中で言葉を選ぶより先に、その瞬間を心に深く刻みたくなった。
ああ、いつの間にか彼のことを好きになっていたんだな——。
そう気づくと、胸がほんの少し熱くなって。
恥ずかしいような、照れくさいような気持ちに包まれた。
「ずっと騒がしかったからね。君も静かな場所に行きたくなったんじゃないかと思って。僕もあの場のざわめきに少し疲れていたし」
東家の柱に手を触れながら、遠い記憶をたどるようにクライス様は話す。
「結局、君に声はかけなかったけど……ひとり佇む姿がずっと忘れられなかった。何度も頭に浮かんで、忘れられそうになかったんだ」
顔がカッと熱くなって、頬が赤く染まるのを感じた。
あの時、私が過ごした時間は、私ひとりのものではなかったんだ。
そのことに今、初めて気がついた。
「今日ここへ来たのは、なにかお話があるんですね?」
「うん、この話をしたら……君がどんな気持ちになるか、ずっと考えていた。落ち込むんじゃないか、自分を責めるんじゃないか……そんなふうに考えたら、なかなか言い出せなくてね……」
そこまで話すと、一つ大きく息を吐いて——。
クライス様は、ほんの少し表情やわらげた。
「もう一つ、君に伝えておきたいことがある」
「……ココロさんのこと、ですよね?」
「察しがいいね。彼女は正式に修道院へ送られることになった。外部の魔術師と組んでいた可能性もあるが、主導したのは彼女自身。本人の意思による行動と認定されている」
「罰が下るのですね」
「そうだ。ただ、極刑ではない。社会から隔離され、内省の機会を持つ。最も穏当な処置だと思う。……だけど、君の気持ちを確認したかったんだ」
私は小さく頷く。
目を閉じると、かつての学院での思い出や、ココロの天真爛漫な笑顔が浮かんだ。
「私……彼女を許します。でも同時に、処分は正当だとも思います。……許すことは何の罰も与えないことではない、別の問題なんだと、今やっと理解できました」
「ありがとう。君がそう言ってくれて、彼女もきっと救われるだろう」
「……そうだといいのですが。とにかく彼女には、修道院で自分自身と向き合ってもらいたい。きっと向き合ってくれると……信じたいです」
——バラの花びらが一枚、ひらりと私たちの間に舞い落ちた。
「だから私も、前を向きます。この国で生きて、この国を愛して、これからの人生をまっすぐ歩いていきたい」
「あぁ……俺も君となら、どんな未来であろうと、前を向いて歩けると思う」
——まだ若い誓いの言葉だったけれど。
やがて大人になった未来の私たちは、きっとその誓いを破ることなく守り続けている。なぜか私には、そんな確信めいた予感が芽生えた。