第三話 ヒロインの入学
——また一年半が過ぎた頃(私14歳、アシュレイ様15歳)。
ついにその日がやって来た。
途中入学という超イレギュラーな形で、ヒロイン・ココロ・マックーロが学院に転入してきたのだ。
もちろん、主な登場人物に転生者などいるわけがない。
だからこの先に何が起こるのか、知っているのは私だけ。
——そう、乙女ゲームの『筋書き』を。
彼女の登場と同時に、まず起きるイベントは 王太子との出会い。
私の婚約者アシュレイ様は、王太子の側近候補として常に彼のそばにいる。
だから当然、出会いもセットで訪れる。
設定どおり、王太子が好んで使う庭園の東屋に、偶然を装ってココロがいる。
そこへ王太子とアシュレイ様がやって来て、彼女は慌てて立ち上がり、可憐に頬を赤らめて謝罪するのだ。
——これで好感度は軽々クリア。
そこへ彼女の精霊が『魅了』の術をひとつ。
はい!超が付くほど簡単に、二人の信奉者の出来上がりです。
この頃にはもう、私は悟っていた。
この流れは止められないと。
だから『魅了されるのは仕方がない』と割り切ることにした。
むしろ、魅了された後どう立ち回るのか——それを重視するようになった。
ちなみにこの時期からアシュレイ様は、月一の面会ミッションから離脱。
自然消滅の一途を辿るのである。
そして交換日記——それも彼の手に渡ったまま、二度と戻らなかった。
◇
——さらに一年が過ぎた今(私15歳、アシュレイ様16歳)。
気づけば学院内は、ココロ派(男性中心) と 婚約者派(女性貴族中心) にはっきりと二分されていた。
私が己の研究と投資計画に夢中になっているうちに——
ココロはしっかりと、ゲーム通りの影響力を発揮していたらしい。
「兄様、研究の進捗は?」
「リア、すごく順調だよ。……でもさ、なんで『デミアン』って呼ばないの?」
「逆に、なんで呼んでほしいの?」
「うーん、特別っぽいから?」
「ふーん。じゃあ……デミアン、進捗を教えて?」
「ふふ、いい気分。あと半年もすれば製品化できると思うよ。販路と資金、工場の準備は大丈夫?」
「もちろん!相談したあの時から、全部計画してたもん!」
そうして朝のほのぼのタイムを終え登校してみると——。
すでに校門前では、お馴染みの小競り合いが発生していた。
ココロ率いる男子軍と、婚約者を奪われつつある女子軍がバチバチと火花を散らしている。
「まぁ!エミリア様っ!!ちょうどいいところに!!!」
駆け寄ってきたのは、攻略対象シモン様の婚約者、テレシア・オードリー嬢。
「おはようございます、テレシア様。……どうかなさいました?(ひぇ、目が本気だ)」
「どうもこうもありませんわ!あの聖女見習いがぁぁっ!!」
「まぁまぁ、落ち着いて。今日の昼食をご一緒しましょう。無闇に騒げば、貴女が悪者扱いされかねませんわよ?」
——そろそろかしら。
筋書き通りの展開。ずっと静観していたけれど、そろそろ私も動く時かもしれない。……そう思うと、少しだけ気が重くなった。
「ココロさん、何度も申しましたよね? 婚約者のいる男性と不必要に親しくしてはいけないと!」
私がテレシア様と教室へ向かう背後ではまだ、別の令嬢が声を荒げている。
ここは、あの令嬢に任せれば良い。
さぁ、ヒロインさん!
私の婚約者をどう料理なさるのか、見届けさせてもらおうじゃないの!?
◇
——攻略対象者 コーニャック伯爵家長男 アシュレイ様(4年生)の場合
婚約者は私、オマール子爵家長女エミリア
それは、朝の校門前バチバチ事件と同じ日の食堂。
昼食の時の出来事だった。
「エミリア様、今朝は失礼いたしました。取り乱してしまって……」
「いえ、いいのよ。なんてことないわ」
「どうしてエミリア様は、そうも落ち着いていられるのですか?」
「そうですわね……強いて言うなら『騒いでも解決しない問題』だからですわ。だってあちらには、我々の婚約者たちが付いていて。ゾッコン真っ最中。逆に私たちはココロさんに冷たい『ヤキモチ焼きな女たち』っていう構図なわけですよ? 騒げば騒ぐほど、ココロさんの思うツボ……私達に不利な状況になるに違いありませんもの」
テレシア様は、黒髪に琥珀色の瞳を持つ色白の美少女である。
小さくてもふっくらとした唇を尖らせて、いかにも不満げな表情だ。
「テレシア様は、シモン様のことを慕っておられるのですわね?」
「ええ、まぁ……。幼い頃に婚約して、ずっと一緒に育ってきましたから。その絆を無視されたようで、モヤモヤするのです」
などと私たちが存分に、女子トーク……いや、陰口に花を咲かせていると——。
癪に障るほど幸せそうに登場したのである。
にっこにこ笑顔のココロさんが。
「あら? テレシア様、こんにちは」
「…………」
「はじめまして、ココロさん。私、エミリア・オマールと申します。アシュレイ様の婚約者ですわ」
「わぁ!そうなんだ!ねぇアシュレイ〜、婚約者さんだって〜!」
「ちょっ……ちょっとあなた!エミリア様の前でアシュレイ様を呼び捨てにするだなんて……はぁ……想像以上に……」
顎に手の甲を添えてドヤるココロさん、二の句を継げないテレシア様と気まずそうにするアシュレイ様。
この3人を見て、急に笑いが込み上げた。
そうして思いもよらず、私はゲラゲラと笑ってしまったのだ。
あまりにも幼稚で、あまりにも品のない聖女見習いを前にして——。
なぜか自分の方が『劣勢』であることを、気付いてしまったからだと思う。
そんなふうに笑う私を見てギョッとする婚約者を、私が見逃すはずもない。
意気揚々と、笑顔で話しかけた。
「アシュレイ様、大変なご無沙汰で。お元気そうで良かったですわ」
「ああ……」
「アシュレイ、行きましょう!」
——この女、私の目の前で婚約者の腕に絡みついた……!!
目を丸くするテレシア様を手で制しながら、私は笑顔でその場をおさめる。
「まぁ、仲がおよろしいこと。ごゆっくりどうぞ——(王太子より先に落とすつもり?)」
私の前で何の弁解もなく、他の女性と腕を組んで去っていくアシュレイ様の背を、私は呆れながら見送った。
「……(もう、潮時だわね)」
「エミリア様……大丈夫ですか?」
「ご心配ありがとう、テレシア様。でも、はっきりわかりましたの。——婚約者である私への無礼は、もう愛情がない証拠です。父に、婚約解消を申し入れてもらいます」
「まぁ……素敵。実は私も……夢は、私を愛してくださる方と結婚することですの」
「その際は私が証人になりますわ。さあ次は、シモン様の『現場』を押さえましょう!」
◇
その夜、状況を知ったお父様は烈火のごとく怒り狂った。
「身分はあちらが上だが、経済力はこっちが上だ。安心しろ、父が必ずお前を守る!」
その気迫が、なぜか嬉しかった。
そうして申し入れからわずか二日後——
コーニャック伯爵家から謝罪の意が届き、婚約は正式に解消された。
そして同時に、オマール子爵家が提供していた全融資は完全に引き上げられたのである。
——お父様の怒り、パーフェクト。
あまりにも清々しい幕引きに、思わず頬が緩む。
さて、次は誰を追い詰めましょうか?
◇
──勇気とは、連鎖するものなのか。
エミリア・オマールの婚約解消は学院に波紋を広げ、女子生徒たちに『勇気』をもたらすことになる。
やがて、学院で最も冷静な彼女たちが、決意することになったのだ。
—— 乙女ゲームの筋書きなど、もう誰もなぞらない。
ココロ嬢の『恋愛攻略』は、静かに崩壊を始めた。