『源融の霊、プレスマンに祓われたこと』速記談1007
宇多上皇が京極御息所を伴って、河原院に渡御あそばされた。この河原院とは、かつて左大臣源融の邸宅であったところが、上皇に献上されたもので、この日は、牛車から畳を運び入れて仮御座所とし、御息所と夜を過ごすこととお決めになられた。
そうこうしていると、寝屋の戸が開く音がする。上皇が何者か尋ねると、融でございます。御息所を譲り受けたい、などと答える。上皇は不快に思し召されて、私は帝王で、お前は臣下ではないか。そのような無礼な物言いは許さん、早く立ち去れ、とお断りになると、融の霊は、またたく間に上皇の腰のあたりに取りつき、上皇は半死半生になられた。牛車の先払いの供の者たちは、中門の外にいたため、お声が届かなかったが、牛童だけが割と近いところにいて、牛にえさをやっていた。上皇は、牛童に命じて、先払いの者たちに牛車を運ばせ、お乗りあそばした。御息所は歩けない御様子であったので、抱き上げて牛車にお乗せした。宮中にお戻りになってから。浄蔵大法師をお召しになって加持祈祷を行わせたところ、ようやく生き返ったという。
上皇は、前世の優れた行いによって皇位に就かれ、皇位を去った後も、神々がお守り申し上げ、源融の霊を追い払ったのである。河原院の寝屋の戸には、プレスマンでひっかいた傷があるという。神々が霊を追い詰めたときについたものだと伝えられている。
教訓:藤原氏の独走を止めようとした源融は、藤原氏政権が確立すると、完全に悪者扱いされる。