1582年 春「富士」
富士山だ……。生きてもう一度見られるとは思わなかった。
俺の名は弥助。元の名は、マシア・マシュンゴ。マシュンゴと言っても、銀英伝の登場人物ではない。生まれた土地に根を張る氏族の名である。ただ、黒人の大男という共通点はある。
前世の名は大山弥助……と言っても、大山巌ではない。
前世だのなんだのというのは、現代の日本でトラックに跳ねられたら転生していた、という異世界転生物でよくあるパターンに陥ったためである。異世界ならぬ中世らしきアフリカに黒人男性として転生した俺は、現代ほどではないにしても、暖かな家庭で穏やかに過ごしていた。
山間での畑作を手掛けていたために、ポルトガルによる苛烈な支配に晒されている沿岸部との交流は最低限で済んでいた。食料の供給元として、一定の利用価値が認められていたからだろう。
そんな状況が一変したのが、ポルトガルの連中が我がマシュンゴ一族の土地に、不意に攻め寄せてきたためだった。
いきなりの攻撃の理由は、どうやら暇つぶしだったらしい。中世らしい世界観の中では、キリスト教徒にとって黒人というのは、戯れに殺戮し、圧迫し、奴隷として扱ってよい存在であるようだ。それでも、弟妹を隠し通すことができたのは、自分でもグッジョブだったと思う。
外の世界を知ってようやくはっきりと把握できたのだが、俺がいた土地はポルトガル領東アフリカ……、モザンビークの辺りのようだ。アフリカとインドは、海流の関係で交易は盛んで、しかも世は大航海時代らしく、抗争もありつつの展開が続いている。売り飛ばされた俺の行き先は、インドのゴアだった。
この時代のゴアは、イスパニア……、スペインの統治下にあったが、西洋勢、東南アジア方面に加えアフリカ、アラブ系の商人も出入りしている国際都市で、なかなかに刺激的だった。
連れてこられた俺は、体格の良さから護衛役として期待されていたようなのだが、正直なところ荒事は苦手である。あっさりと見透かされるようになって、何度か売られているうちに、交渉やら計算やらで価値を見出してくれるところがあった。それでよろこんでしまったのは、今になって思い返せば奴隷根性が染み付いた思考だったのかもしれないが、まあ、経緯からして仕方あるまい。
そんなこんなで、俺はゴアにおいて政庁以上の権力を握る異端審問所で働くことになった。この時代のカトリック教会の、なかでもイスパニア系の異端審問はなかなかに苛烈で、しかも大航海時代ということもあり、イベリア半島で異端審問の疑いをかけられた人物がアフリカを巡ってインドまで流れ着いている場合も多かった。ゴアの異端審問所の追捕ぶりはなかなか過激で、カタリ派の残党や覆面ユダヤ系商人がさらに東のルソン……、フィリピンやマカオに向かうケースも多かったようだ。
ある程度のんびり過ごしていたのもつかの間、やってきたイエズス会のお偉いさんに譲られて、波乱含みの展開となった。そして、マカオから心の故郷である日本へとやってきたのだった。
付き従う相手は、イタリア生まれらしい巡察使のおっちゃん、アレッサンドロ・ヴァリニャーノで、思想はともかく人当たりは穏やかな人物だった。
イエズス会というのは、パリ大学の学友六人が起こしたカトリックの修道会だそうで、前世での元時代にまで存続していた上智大学や、数多くの教育機関を作り上げていたはずだ。ヨーロッパでは、プロテスタントの広がった土地に学校を作って、カトリック勢力を巻き返すというのが常套手段のようだが、アジアでの活動はどんな流れになるのだろうか。
イエズス会の創設メンバーの一人がフランシスコ・ザビエルで、薩摩出身のヤジローという人物の話を聞いて、日本へと向かったのだそうだ。伝説的な人物が関わった経緯から、日本にはイエズス会から人が送り込まれ続けている。
長崎で上陸する際に、日本名を考えろと言われたので、前世の名前である弥助と応じたのは、やや投げやりになっていたからかもしれない。なにしろ、戦国時代の日本という、修羅の巷に連れ込まれるのだから。
アフリカでは、西洋人がゲームのように黒人を狩って売り飛ばしており、その流れの中で奴隷となった身であるが、実際のところは従卒である。ボスの行く先々に連れ回されたのだが……。戦国時代の日本には、当然ながら黒人がいるはずもなく、珍しがられるのはわかる。ただ、見世物扱いには、正直なところ閉口させられた。
それは、この時代の都である京に着いても同様だった。なかなかに荒れた町並みなのだが、宿舎に見物客が押し寄せ、ついには交通整理をする小者が見物料を取るまでになった。
ポルトガル語を扱えるようになったところから、またイタリア語を覚えるのも苦労したが、戦国の日本語もなかなかに難解だった。ただ、ようやく耳が追いつくようになってくれている。
来る日も来る日も見物客が絶えない状況に、上野動物園のパンダって、こんな感じだったのかなあ、とか思っていたところで、呼び出しがかかった。連れて行かれた先には天下人がいた。
物見高い織田信長は、俺の黒い肌が墨で塗られたものだと疑ったようで、目の前で行水的に身体を表された。どんなプレイだよと嘆きながらも、そこでようやく、自身が信長の黒人従者である、あの弥助だということに気がついたのだった。
俺が弥助について知っていたのは、マンガの「信長協奏曲」で登場していたためである。ちょっとなよっとした黒人奴隷として描かれていたその人物は、信長に気に入られた従者という立場だった。てっきり、作者さんがねじ込んだオリジナルキャラかと思っていたのだが……。
なんにしても、あっさりと譲り渡された俺は、信長の従卒である弥助としての人生を歩み始めたのだった。
そして、富士山の間近まで来たのは、信長が東海方面に視察に来たためである。この年には、浅間山が火を噴き、風林火山で有名なあの武田が滅亡している。
地元火山の噴火を神の意志の表れだとして、多くの家臣が離れたという話もあるようだが、実際にはこの噴火がなくても武田が滅ぶ情勢だったのは間違いない。迷っていた人たちの背中を押した、という面はあったのかもしれない。
浅間山は、まだかすかに噴煙を上げているようだが、それはそれとして、富士山の雄大さには圧倒される。
眺めていると、背後から声がかかった。
「弥助よ、異国人のお主にも富士の山の姿は響くものがあるのか」
「ははっ、感銘を受けております」
「で、あるか」
信長公は今日のところは上機嫌である。徳川の饗応がきっちりしているためもあるのだろう。
俺は、前世の未来日本の記憶があることを雇い主に伝えてはいない。譲り渡された奴隷としてどう向き合うかは、悩ましいところである。
家と護身用の刀は与えられたものの、家臣として……、武家として家中に入ったわけではない。侍でない身分の者が士分として取り立てられるためには、苗字を得て家名を得る必要がある。小者や足軽なら、姓を持たない者はいるが、苗字を持たない武士がいるはずもない。そして、俺は姓のない弥助のままだった。
武士になりたいわけではないのでまったく問題はないが、望めば叶えられただろうか? 実際には、信長公には俺の戦いを好まない傾向を見抜かれているようにも思える。
昼食に向かう信長公に続くが、俺はもちろん武家の集まりに同席を許されるような立場ではない。小者の待機場所で供された湯漬けを食し、一息ついたところで、脳内に声が響いてきた。
(……ス…、…スケ?)
(なんだ?)
(ヤスケ……なのか? ノブナガの家来の)
(ああ、俺は弥助だが)
(ついに繋がったのか。閾値を越えたんだな)
(なんだって?)
頭に直接響くのだが、概念が読み取れない。
(ウィキペディアを書き換え続けた甲斐があったというものだ。……私の名は、ジョニー・ロックリン。未来の歴史研究家として、お前を侍にする存在だ)
(はぁ?)
どうやら俺の頭に、何かが湧いてしまったようだった。