まさかの大失態! テロリストを社長室へご案内??
自動ドアを潜ると、ひやりと冷たい空気に包まれて、ようやく呼吸が楽になった。
正面にある受付台の奥には、私と大して変わらない年頃の女の子が2人、何をするでもなく、ただ正面を見据えて座っていた。
ロビーに置かれたソファでは、首から社員証を下げたスーツ姿の人と、客と思しき人たちがテーブルを挟んで向かい合わせに座り、何やら商談の真っ最中のようだ。
私はジェイドがすぐ後ろに着いてきていることを確認して、真っ直ぐに受付台に近寄った。
お揃いの白のブラウスに、胸元に細い赤のリボンを結んだ受付嬢の二人は、背筋を伸ばしたままの綺麗なお辞儀を同時にして見せた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。橘灯里です。パパに会いたいんだけど、今、会えるかしら?」
受付嬢たちは、顔を見合わせて互いの瞳の奥を探り合うような仕草を見せたあとで、どちらからともなく、小さく「あっ」と声を漏らした。
「社長のお嬢様でいらっしゃいますね。失礼いたしました。社長室に確認致しますので、そちらのソファで少々お待ち下さいませ」
左側に座っていた女性がやや早口でそう言って、こちらにもう一度一礼した。
しかし、指定されたソファに腰掛けるまでもなく、彼女はすぐに私たちの元に歩み寄ってきた。
「お待たせ致しました。社長室までご案内致します」
胸に日本語と英語の二つの表記の名札を付けた小野香澄さんは、そう言いながら受付台のすぐ左脇に設置されたエレベーターのボタンを押した。
私より少しだけ背が高く、ストレートの黒髪を肩の辺りで切り揃えた彼女は、とても育ちが良さそうに見えた。その小野さんに促されて赤い絨毯が敷かれたエレベーター内に乗り込むと、最後に乗り込んだ彼女は、最上階の五階のボタンを押した。
目的の階へ到着するまでの僅かな沈黙の中で私は、彼、ジェイドの息遣いを探してみたけれど、彼に動揺した素振りは全く感じられなかった。
『社長室』と書かれた重厚な扉を小野さんが二度ノックをすると、扉はすぐに開いた。
彼女は応対に出た人に一言二言声を掛けたあとで私たちをその部屋の中へ促すと、自分はそこで一礼し、ドアの前から下がった。
「ありがとう」
閉まりかけたドアの隙間から声をそう掛けると、彼女はほんの一瞬だけ親しげな笑みを見せた。
小野さんに応対していたのは、眼鏡の似合う年齢不詳のショートヘアの女性だった。恐らくパパの秘書か何かだろう。
年齢不詳というのは、濃いグレーのパンツスーツという落ち着いた出で立ちから、一見、三十代前半くらいに見えたけれど、スーツを、例えばTシャツとGパンに替え、眼鏡を外したら、まだ二十代に見えなくもなかったからだ。
そんな彼女の後方、一番奥の窓際に置かれた大きな机の前で、パパはちょうど受話器を置き終えたところだった。
「久しぶりじゃないか。まあ入りなさい」
「パパ!」
後ろめたさを吹き飛ばすべく、私は必要以上の親しみを短いその言葉に乗せた。
先程の秘書と思しき女性がアイスコーヒーを三つテーブルに並べ終えると、会釈を残して部屋を出ていった。
ドアが閉まったことを確認して、私は早速パパに話を切り出した。
「ごめんね突然。お仕事忙しいんでしょ?」
パパは、グラスの脇に添えられたポーションタイプのミルクの蓋を開けながら答えた。
「ちょうど今、少しだけ時間が空いたところだよ、何、構わんさ。ところで、どうかしたのか? お前がここを訪ねてくるなんて初めてじゃないか?」
ほうらね、やっぱり。危ない危ない。
そこで私は、ここにくる道すがら用意してきた台詞を口にした。
「うん、突然でごめんね、ちょっと事情が変わって時間がなくなっちゃったから、急なのは承知できちゃったの」
パパは私の隣に座るジェイドにチラッと視線をやった。
それを逃さずに、私は空かさず次の台詞を続けた。
「パパあのね、実はこの人、お付き合いしている彼なの。今、仕事でアメリカにいるんだけど、休暇ができて一昨日こっちに戻ってきたの。パパにどうしても紹介したくて、日曜日に家に連れて行こうと思っていたんだけど、彼、仕事の都合で日曜日まで日本にいられなくなっちゃったのよ。だから、取り急ぎ紹介したくて連れてきちゃったの」
そう言って、私は横目で彼の表情を盗み見た。
話を合わせてくれなくちゃ困るけど、意地悪もしてみたかったのが本音だ。
いきなり目指す新薬のある会社に連れてこられ、社長と面会し、しかも大事な一人娘の彼氏だと紹介され、アメリカで仕事をするというシチュエーションを与えられた彼は、一体どうするだろう。
すると彼は、徐にダークスーツの胸の内ポケットに手を入れた。
そのときになって、後悔が怒濤の如く押し寄せてきた。
いけない! 彼はテロリストだった。
ああ、私ったらなんて馬鹿なんだろう!
これじゃ、社長とその一人娘が彼の人質になるお膳立てを、他でもないその一人娘がしたようなものだ。
彼がここで拳銃を取り出し、先程の秘書に向かって「新薬と交換だ!」と言えば、それでこの件はいとも簡単に片が付く。
しかも新薬を奪うことができれば、私を生かしておくメリットは彼らにはない。
パパも同じだ。
冷や汗が背中を伝い、目の前が急速に白く霞んだ。
「駄目、パパ! 早く……!」
私が立ち上がったのと同時に、彼は懐から手を出した。
「――!!」
次回、jadeのまさかの正体が明らかに!