ケーキバイキング
翌朝、私はジェイドの部屋の物音で目が覚めた。
8時を過ぎた頃からジェイドが頻繁に出入りを繰り返す気配が窺えた。
また何かあったのだろか。
昨夜私を連れ去ろうとした男たちのことが思い出されて、背中に緊張が走った。
成実樹ホームの方は、まだ約束した期限内だから心配はないと思うものの、こんな状況下では絶対安全とは言い切れない不安もある。
何があったのか確認したいのはやまやまだけれど、どうやってそれを彼に切り出したら良いのか判らなかった。
仕方がないので、そっとドアを開け表の様子を覗き見たそのとき、タイミング良く、何処かから戻ってきたジェイドと鉢合わせてしてしまった。
「おっ、はよう」
不意を付かれて思わず挨拶の言葉を投げ掛けた私に、彼は「おはよう。よく眠れましたか?」と、声を返して寄越した。
それに頷きながら、続けざまに「何かあったの」と尋ねると、彼はちょっと考え込むような仕草をしてから言った。
「出られるようになったら部屋から声を掛けて下さい。それから、面倒ですが、出掛ける際に数日分の着替えや必要なものをまとめて持って出て下さい。説明はそのときにします」
部屋に戻ると、ジェイドに言われるままに大きめのバッグにとりあえず3日分ほどの着替えと必要と思われるものを詰め込み、それからシャワーを浴びて着替えを済ませた。
全ての支度を終えたところで、誰もいない部屋に向かって小さく声を掛けた。
「支度、できたわ」
そう言って、耳を澄ませて隣の様子を窺っていると、ジェイドの部屋のドアが開く音がした。
それを聞き付けてから、私はそっとドアを開けた。
一緒に乗り込んだエレベーターの中で、彼は「今日からはできるだけ私から離れないようにして下さい」とだけ言った。
やはり昨夜の連中は単なる変質者ではなく、訳有りだったということなのだろう。
エレベーターを降りて表へ出ると、彼は真っ直ぐに近くのコインパーキングへ向かい、その一番奥に停めてあった黒色のベンツのドアを開けた。
「乗って」
言われるままに右側の助手席に乗り込むと、ジェイドが発進させた車は静かに駐車場を滑り出た。
私なんかが見たことも、ましてや乗り込んだこともない凄い車だった。
その辺を無闇やたらに触るのも怖くて、私は両手を膝の上に揃え、借りてきた猫のようにできるだけ身体を小さくして座った。
運転中の彼に気付かれないように、横目でそっとサングラス越しの目を覗き込んでみる。
こんな高級車を運転しているにも関わらず、彼に緊張した様子は窺えなかった。
1つ目の信号待ちのときになって、ようやく彼は口を開いた。
開口一番、彼の台詞は「食事をしましょう」だった。
そういえば、結局、昨夜はコンビニに行き損ねたこともあって、ジェイドが煎れてくれたコーヒー以外、何も口にしていなかった。
「何が良いですか?」と尋ねられて時計に目をやると、時刻は十時半を少し回ったところだった。
「あなたは?」と尋ねると、彼は「好き嫌いはないのでお任せします」と答えたので、それならばと、私は遠慮なく行き先を指定した。
天井まで続く大きなガラス窓が特徴の明るいワンフロアの店内は、平日の昼間だというのに沢山のお客たちで溢れていた。
思っていた以上の人の多さに半ば呆れながら、私はウエイターに案内された、日本庭園風のミニチュア枯山水の見渡せる窓際の席に腰を下ろした。
「お飲み物は?」と尋ねるウエイターに「アイスコーヒーを二つ、ブラックで」そう告げると、小柄な学生アルバイト風のウエイターは、清潔感溢れる笑顔を見せたあとで、綺麗なお辞儀を残しテーブルをあとにした。
「……あの、これは?」
ウエイターが遠ざかると、ジェイドが小声で尋ねてきた。
「ケーキバイキング♪」
一昨日パパと食事をしたホテルのすぐ隣にあるこのホテルの2階ラウンジは、毎日11時からケーキバイキングがはじまる。
ここのケーキは味は文句なし、その上、何といっても種類が豊富ときている。
お皿一杯にケーキを盛り付けて振り返ると、そこにはもう別のケーキが用意されているといった具合で、元を取るまで同じケーキを食べ続けるなんてことはしなくて良い。
それに加え、サンドイッチやサラダ、ドライカレーにスープなどの軽食も豊富に用意されていた。
早速、大皿に2皿分、計18個のケーキと、コンソメスープ、それにトマトとチーズのサンドイッチを盛りつけて席に戻ると、ジェイドはその顔を驚きで一杯に満たした。
「もしかして、これ、全部食べるんですか?」
「欲しかったらあげるけど?」
「いや、そういう意味ではなくて……」
「あなたは何がいい? とってきてあげる。それとも一緒に行く?」
「……いや、お任せしますが、成るべくお手柔らかにお願いします」
可哀想だから、彼の分はサンドイッチやスープ、それにサラダを中心にチョイスした。
甘い物が好きかどうか判らなかったので、ケーキはとりあえず止めにして、その代わりにオレンジやメロンなどのフルーツを足した。持ち帰ったその皿を見た彼は、心底ホッとした様子だった。
空きっ腹を埋めるべくまずはスープとサンドイッチをいただいた。
それから大皿に盛りつけたケーキを端から順に食べ進めていると、そんな私を、彼は珍しいものでも見るかのような目で捉えながら「ここへは、よくくるんですか?」と尋ねた。
その質問に、私はたっぷり嫌味を混じえて答えてやった。
「嫌なことがあったときには、ね」
彼は口元に少しだけ苦笑いを浮かべ、それでも懲りずに次の質問を寄越した。
「いつも、そんなに食べるんですか?」
この問いには、嫌味以外の一切を切り捨てて答えやった。
「嫌なことの重さに比例して、かな。ちなみに彼氏を友達に捕られたときは確か15個だったわ。でも今日は記録更新ができそうだわ、お陰様で」
ジェイドはグラスの中のアイスコーヒーを一気に飲み干すと、枯山水のある窓の外へと視線を泳がせた。
水の流れる様が見事に表現された白砂に降り注ぐ真夏の日差しと、もはやすっかり呆れ顔のジェイドを余所に、私は新たに追加されたブラックチェリーのタルトとなめらか抹茶プリンの黒胡麻アイスクリーム添えを平らげ、見事に記録更新を果たした。
次回、新薬の正体とは?




