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殺風景な部屋

倒れ込んだゴリラ男は直ぐさま体勢を立て直すと、開いていた後部座席のドアにしがみ着き、その状態のまま運転手に向かって「出せ!」と叫んだ。

車は躊躇することなく急発進し、あっという間に車は夜の闇に溶けていった。


何もかもが一瞬の出来事だった。


 2、3歩あとを追う仕草を見せたジェイドは、しかしながらすぐに足を止めてこちらを振り返った。


「大丈夫か! 怪我は?」


 頭の中が混乱していて、たった今投げ掛けられたジェイドの言葉すら、すぐには理解できなかった。


 ……怪我?


 怪我はないけれど、身体が震えて声が出ない。

 

するとジェイドは静かにこちらに歩み寄り、私の目の前に屈み込むと、ゆっくりと柔らかな口調でもう一度「怪我はないですか?」と尋ねた。


 歩道に座り込んだまま、やっとの思いで私は小さく首を縦に振った。


 ジェイドはひとつ頷くと、まるで何事もなかったかのように静かに言った。

「もう、大丈夫です」


 さっきの夢もあと押しして、涙が溢れた。

この人に弱みを見せるのは絶対に嫌だった。


 けれど、気持ちとは裏腹に溢れ出る涙はどうしても止めることができなかった。

頭の中が混乱していて、もう何が夢で何が現実なのか、それさえも判らなくなっていた。


 ジェイドに支えられるように部屋の前まで戻ると、彼は未だ動揺が納まらない様子を見かねたのか、「お茶でも入れましょう」そう言って、そのまま私を自らの部屋に通した。


 普段だったらこんな得体の知れないヤツの部屋に入るなんてことは絶対にしない。

するはずがない。


けれど、先程の夢といい、つい今し方の思いも寄らない出来事といい、恐怖と混乱とで、ただただ一人になるのが怖くて仕方がなかった。

それに――。


 それに確かにこの人はテロリストで私の敵だけれど、でも、だからといって、こんなとき、平気で人の弱みに付け込むようなヤツには、どうしても思えなかった。

 

 薬を手に入れるまでのほんの数日間の仮住まいのなのだろう。

造りも間取りも全く同じはずなのに、その部屋は妙に殺風景で、生活感がまるで感じられなかった。


最低限必要と思われる物以外は何1つ置かれてはいない。

テーブルと真っ白な二人掛けのソファ、小さな冷蔵庫、それにノートパソコンが1台と段ボール箱が1つ、あるのはそれだけだった。


 目の前に差し出されたコーヒーも、紙コップに入れられていた。

無言で私にそれを渡し終えたジェイドは、テーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろした。

その足元に敷かれた二帖ほどの若草色のラグだけは、この無機質な部屋で唯一の暖かみを纏っていた。


 何気なく視線を上げると、カップを握るジェイドの右手の甲に血が滲んでいるのが見えた。

まだ真新しいその傷は、さっき私を助けようとしたときに出来たものだろう。


 確かに、私も嫌な夢を見てぼうっとしていた。

そうでなきゃ、横付けされた車から人が降りたり、ましてや真後ろに立たれたりなんかしたら、すぐに異変を察知し、走って逃げるくらいはできたはずだ。


 ジェイドは連れ去られそうになる私を助けてくれただけで、少なくとも今回の件では敵ではなかった。


「それ、あいつを殴ったときのでしょ? 怪我させちゃってごめんなさい」


 そう言うと、彼は私の視線を追って、ようやく紙コップを握る自分の右手に目線を落とした。


「ああ、これは着地失敗です」


 着地……失敗?



次回、静かなひととき

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