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亡霊

どうせ誰かに相談するのなら、パパに聞くのが一番手っ取り早い。


 早速電話をかけると、パパは2度のコールで電話に出た。

電話口のパパに、私は幾分早口で尋ねた。


「今日、会社に典ちゃんを訪ねたときにふと思い出したんだけど、以前に研究室棟を建て直したときに、私も静脈流と角膜のセキュリティシステムを登録したわよね? あれって、今でも有効なの?」

 

ああ、もちろんだよ。電話口でパパは、さもあっさりとそう答えた。


 電話を切ったあとで、直ぐさま私は家を出た。

明日、典ちゃんが海外出張にあの小部屋の鍵を持っていかないように、もう一度典ちゃんを訪ねて、彼女が帰る前に鍵をどうにかすればいい。


 そうよ、簡単なことだ。

『彼の感想を聞きにきた』とか言って、典ちゃんを食事に誘い出し、支度を手伝う振りをしながら白衣を預かるとか、とにかく方法はある。 


 5時を過ぎた時間が丁度良かったのか、白い通路の先にある2枚のドアは、退社する人たちの列でひっきりなしに開け閉めされていた。


沢山の人波に紛れて身を隠し、扉を潜るのは雑作もなかった。

簡単に扉を潜った私は、左側の3つ目の部屋の前に立ち、ガラス製の戸をノックした。

中からは何の応答もない。人影も窺えなかった。


 一瞬戸惑ったけれど、ある考えが頭に浮かび、私はドアの脇に設置されたインターフォン型の静脈流セキュリティシステムの前に立ち、昼間、典ちゃんがしたようにそっと左手を翳してみた。

を呑むこと3秒、ドアはスッと開いた。

 

よし! 思わずその場で小さくガッツポーズをした。


「……典ちゃん、いないの?」


 恐る恐るそっと部屋の中に足を踏み入れた。

室内はしんと静まり返っていて、やはり人の気配はない。

明日から出張なのだから、典ちゃんだって色々準備があるはずだ。

もしかしたら既に帰宅してしまったのかも知れない。


不意に胸が高鳴った。


 もしかして……これってチャンスじゃない?


 逸る気持ちをそのままに、慎重に部屋の奥まで歩みを進めた。

右奥の小部屋の前に立ち、私はまたもや典ちゃんを真似て、そこにあった箱の中をそっと覗き込んだ。


「システムヲ カイジョ シマシタ」という電子音声が流れ、ロックの外れる音がした。


息を呑んでもう一度部屋を見渡し、それからそっとドアノブに手を掛けて右に回した。

すると、驚いたことにドアはすんなりと開いた。


 まさか、典ちゃんが鍵を掛け忘れたのだろうか。

そう思いを巡らせているうちに、ふと気が付いた。


 考えてみたら、角膜センサーがあれば、わざわざ旧式の鍵なんて掛けておく必要はない。

確か、昼間ここを訪れた際にも、典ちゃんは、開けるときは鍵だけを使用し、出るときは角膜センサーだけをセットして、そのどちらでも、双方の施錠を併用してはいなかった。


 新薬はさっきと同じ場所に同じ状態のまま置かれていた。

外側のプラスチックの容器を慎重に外し、中から液体の入ったガラス瓶だけを取り出した。

それを素早くカーディガンのポケットに突っ込んで、急いで部屋を出ようとしたそのとき、私はふと人影を感じて小部屋の奥を振り返った。


 そこに立っていた人物を見て、身体が凍り付いた。


「……いや。 どうして?」


 ――それを持っていかないでくれ。


 彼は私の頭の中に直接話しかけてきた。逃げようとしても足が床に張り付いて身体を動かすことができない。


 や……だ。 やだ……怖い。助けて!


 ――それは、典子の夢だ。


 そう語りかけながら、骸骨のように痩せこけた土色の顔で、彼はゆっくり滑るようにこちらに近付いてきた。


 ――持っていかないでくれぇ!


「……やめて! 細川のおじちゃん!!!」


 私は彼に向かって新薬の入った瓶を思いっきり投げつけた。



次回、深夜ののトラブル

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