3つの関門
その日、典ちゃんと別れてから真っ直ぐに自宅マンションに戻った。
考えなくちゃならないことが沢山あるようで、でも、何も考えたくなくて、蒸し風呂のような部屋に戻ると、すぐにエアコンのスイッチを入れ、ベッドに身体を投げ出した。
私が部屋に入ったのを確認したジェイドは、あのあと、すぐに隣の部屋に入ったのだろうか。
こういうとき、彼はこちらの部屋の様子に全神経を集中させ、耳をそば立てて落ち着かない時間を過ごしているのだろうか。そ
れとも、私が何かアクションを起こすまでは、休息として安らげる時間を与えられているのだろうか。
社長である父親の秘書をしているということは、彼は今していることも含めて、西田コーポレーションという大会社を背負って立つ覚悟ができているのだろう。
彼だってどう見たって20代後半くらいだ。典ちゃんといい、ジェイドといい、みんなどうしてそんな覚悟ができるのだろう。
それが本当に自分のやりたいことだからなのだろうか。
少なくとも典ちゃんは、研究者としてちゃんと自分のやりたいことをやっている。
沢山の人を救える薬を造り出すことが、きっと彼女の夢。
それじゃ彼は?
私はベッドから身体を起こし、テーブルの上のノートパソコンのスイッチを入れた。
検索ワードに『西田コーポレーション』と入れてEnterキーを押し、出てきた表示の一番上をクリックした。
トップ画面に現れたのは、海をゆく大型船と、空をゆくジェット機の画像だった。
画面のあちらこちらに、取り扱い商品や、国内や世界各地にある営業所の案内、経営理念などといった項目が散りばめられている。
その中から私は、社長に繋がりそうな『会社案内』と書かれたアイコンをクリックしてみた。
『ご挨拶』と書かれた場所に、目当てのものを見付けた。
一番左の代表取締役と書かれたボタンをクリックすると、そこに一枚の写真がアップされた。
やや痩せ型ではあるけれど、普通のおじさんだ。
頭を七三に分け、濃紺のスーツ姿で椅子に腰掛けている姿を見る限り、背はそれほど高くはない。
どうやらジェイドは母親に似ているらしい。
目も鼻も、うっすらと笑みを湛えた口元も、顔の輪郭さえも、写真の父親と彼とは全然似ていなかった。
これといって善人顔にも見えないけれど、かといって、彼が臭わせたように、勧んで焦臭いことをしている風にも見えなかった。
もしかしたら、未だ成実樹ホームに留まっているあの男が社長ではないかと思っていたけれど、それは違ったようだ。
念のため、副社長、常務取締役、専務取締役と、順にクリックしてみたけれど、成実樹ホームで見た男たちの姿は誰一人として見付けることはできなかった。
考えてみたら、あいつらが表舞台に立つはずはないか。万が一のとき、企業としてのリスクが大き過ぎる。
当然、社長秘書という項目も見当たらなかった。
私は画面をヤフーのトップに戻して、早々にパソコンをシャットダウンさせた。
再びベッドに身体を横たえて、頭の中を整理した。
新薬に辿り着くまでに越えなきゃならない関門は3つ。
1つ目は受付を過ぎた最初の扉。
開閉方法は社員が下げている社員証、若しくは受付での操作のみ。
2つ目は、典ちゃんの研究室の入り口を開ける静脈流セキュリティの解除。
そして3つ目は、研究室内の新薬が置かれている奥扉の鍵と角膜セキュリティ。
1つ目の扉は、何らかの理由を付けて受付で開放してもらうしかない。
たとえ何処かで誰かの社員証を手に入れたところで、私の顔を知られている以上、気付かれずにそれを使うことの方が困難だ。
2つ目と3つ目には同じ疑問が浮かぶ。
確かに私はどちらのセキュリティシステムにも登録している。
けれど、それは今でもまだ有効なのだろうか。
あれから4年も経っているのだ。新しい物に交換している可能性だって充分に考えられる。
それに、3つ目の鍵。
こちらのタイムリミットと典ちゃんの出張を考慮したら、行動を起こすのはこの3日間しかない。
でも、チャンスは一度きりだ。
いくら典ちゃんが留守にしているからといえ、今日失敗したから明日にやり直せる、というものではない。
運良く2つのセキュリティを解除できたとしても、最後の鍵がなければお手上げだ。
その鍵は典ちゃんの白衣のポケットの中。
典ちゃんが出張に持っていってしまったら、もうどうすることもできない。
何度も浮かぶ同じ構想が、頭の中でグルグルと渦を巻き初めていた。
次回、おじちゃんの亡霊




