成実樹ホーム ~園長との出会い~
児童養護施設『成実樹ホーム』それがこの建物に付けられた名前。
今年六十五歳になる園長の下、他職員三名に食堂のおばちゃんの計五名で、二歳児から中学二年生までの男女六人を預かっている。
ホームの名前の由来は、園長の名字である『並木』を、子供たちの健やかな成長と幸せを願い、『実が成る樹』と園長が捩ったところにある。
子供たちの中で一番下が、今、私の腕の中で無邪気に笑っている愛留。彼女が生まれた直後に、母親は愛留を残して病院から姿を消した。病院側の話に寄れば、愛留を産んだ母親は、まだ一七、八歳くらいの少女だったという。園長は残されたその子に沢山の愛が留まるよう願いを込めて愛留と名付け、ここへ引き取った。
そして一番上が、さっき下で私の質問に答えてくれた高志だ。彼は五年前、借金を苦に心中を図った家族の唯一の生き残りだったのだそうだ。それまでの彼がどんな子供だったのか、私には知る由もない。
この二人のほか、暴力を振るう父親からの保護をされた奨学四年生の健人、育児放棄した母親から引き離されて保護された同じく小学四年生の拓、それに、まだ赤ん坊の頃、真冬に市内の病院の前に置き去りにされていたという現在小学一年生の沙織、そして離婚した両親のどちらからも引き取ることを拒まれた中学一年生の直が生活を共にしている。
直は理不尽にも、父母双方に愛人がいたことが引き取り拒否の理由だったらしい。
皆、小さな身体に途轍もなく大きな傷や痛みを抱えている。心の傷はときとしてそのまま深い病を連れてくる。それは身体を蝕むだけとは限らない。
私たちは常に細心の注意を払って彼らを見守っていく必要がある。
「おはようございます、橘です」
軽くノックをし、そう声を掛けながら部屋へ入ると、園長は手にしていた書類の束を机の上に置きながら、こちらに笑顔を向けた。
「おはようございます。早くからご苦労様ね」
ゆっくりと話す彼女に、私は笑顔を返した。
今日から、私の通う大学もいよいよ夏休みに突入した。いつも学校帰りに手伝いに立ち寄っていたこのホームへも、しばらくの間は朝から通ってくることができる。
けれど、それを伝えると、園長はちょっと複雑な表情を見せた。
「助かるわ。とても有り難いけれど、余りお礼はお出しできそうにないわ」
児童擁護施設は今、全国に五百六十カ所ほどあり、そこで、愛留や高志と同じような様々な境遇の子供たち、約三万人が生活をしている。そこで働く職員は、心や身体に深く傷を負ってしまった子供たちばかりを昼夜を問わずに世話をしている。それにも関わらず、国から支払われる給料は公務員のそれよりも更に低い。
この国は、まだこういった施設や子供たちに対する支援の意識レベルが他の先進国と比べても格段に低いらしい。園長が机に置いた書類には『年間運用資金・予算表』というタイトルが付けられていた。
ちなみに、この建物は鉄筋コンクリート三階建てで、一階に玄関ロビーと受付を含む職員室、それに宿泊が可能な客間が二間と風呂場が設けられている。二階はこの園長室をはじめ、住み込みで働く職員や子供たちの部屋が大小含めて計十部屋ほど並んでおり、三階には二十畳の食堂とプレイルーム、それに八畳の畳張りの談話室がある。養護施設としては恐らく類を見ないくらい素晴らしい造りだが、これらは全て、子供たちの健全な成長を志す園長が個人資産をなげうって建てたものだった。
私は園長に「謝礼はいつもの月と一緒で構わない」と伝え、愛留を残して部屋をあとにした。
元はといえば三年前のちょうど今頃、この園長と偶然同じバスに乗り合わせたのがはじまりだった。その日、通路を隔てた隣に座っていた彼女は、酷く顔色が悪く、前の座席にもたれかかるようにして、ようやくといった状態で座っていた。
余りに辛そうなその様子に、思わず声を掛けたのが切っ掛けだった。私は彼女から降りるバス停を聞き出し、足元に置かれていた大量の買い物袋と共にバスから降ろすと、おぼつかない足取りの彼女を抱え、言われるままにこの場所に送り届けたのだ。
当時、教職を目指して大学に入ったばかりだった私は、駆け付けた近所の医師に過労と診断された園長の体調が快復するまでの間、これも何かの縁と、ここの手伝いを買って出ることにした。それから数週間後、彼女が無事復活を果たしたあとも、私はそのまま勝手にここへ通い続け、今に至っている。
当初から『手伝わせてもらえるだけで勉強になるので、謝礼はいらない』と言い張ったものの、それではこちらの気が引けるから、という園長との協議の末、それならば『交通費』ということにしようと相成り、以来、交通費にしてはちょっとお高い月額五万円を、毎月、職員の給料日と同じ日に頂戴している。
大学生活最後のこの夏は、大いに勉強しながら、空いた時間を目一杯、この成実樹ホームの手伝いに当てるつもりでいた。だから、夏休みだからといってバイト気分で高額の報酬を期待していた訳では毛頭ないし、子供たちも夏休みを迎え、みんなで楽しくひと夏を過ごせれば、それだけで良かった。
次回、インチキ占い師登場