絶対ストレスのせいだ! ~テロリストの施し?~
パパと別れ、駅へ向かう上り階段を上り終えたところで、突如、激しい吐き気に襲われた。
全身の血が足元に下がってゆくような貧血にも似た症状に見舞われ、冷や汗が背中を伝い出した。
激しい目眩と共に進むべく方向さえ見失い、立っていることすらままならなくなくなり、私は咄嗟にその場に身を屈めた。
「あなた、大丈夫? 顔色が悪いわ。あら、どうしましょう」
すぐに、耳元で年輩らしき女性の慌てたような声がした。
……何か答えなきゃ。そう思ったものの、頭が混乱して言葉が出てこない。どうしよう、とにかく早く立ち上がらなきゃ。
気持ちは焦るけれど、身体が全くいうことを訊かない。そのとき、すぐ傍らで声がした。
「すみません、私の連れですので大丈夫です。有り難うございます」
ジェイドの声だった。
「良かったわ、お大事にね」その声を背中に聞きながら、ほんの一瞬の間忘れていた忌々しい存在を、私はにわかに思い出していた。
しかも、あろうことか彼は蹲る私を抱え上げると、近くにあったベンチに下ろした。
周囲からどよめきと溜息とが同時に聞こえた。
いくら何でも恥ずかし過ぎる。けれど、幸いにも(?)目眩と吐き気のお陰で、それを気に病んでいる状況ではなかった。
つい今し方まで、異変は全く感じられなかった。
――そうだ。これはきっと夏バテでも寝不足でもない。
ストレスのせいだ。絶対に。
しばらくすると、ふと手の甲に冷たさが伝わって、同時にジェイドの声がした。
「手を出して。掴めますか?」
なるべく頭を動かさないようにしながら閉じていた目だけを細く開くと、目の前にスポーツドリンクのペットボトルが浮いていた。
「キャップを少し緩めてあります。少しでも良いので、飲めるだけ飲んでください」
何かを口にできる気分ではなかったけれど、世の中にテロリストから施しを受ける人間なんてそうはいない。
断るのは勿体ないので、言われるままにそれを受け取り、ほんの少し口に含んだ。
日頃、中途半端な薄味でどうもに好きになれずにいたスポーツドリンクだったけれど、今日は口の中で今までにない甘みを感じる。喉を伝わる冷たさも心地良くて、2口、3口と少しずつ飲み進めた。
それから30分ほど、身体の要求に応えて何度か深呼吸を繰り返してゆくうちに、吐き気は少しずつ収まりをみせはじめた。
まだ完璧ではないものの、先程までよりもずっと目眩は和らぎ、視界も定まっている。
もう大丈夫。
そう思って立ち上がろうとした私を、傍らに立っていたジェイドの左手が制した。
「もう少し、そのままで」
テーマパークの閉園から時間が経ったせいか、辺りは1時間ほど前とは打って代わって人影も疎らになり、夜の静けさを取り戻しつつあった。
それにしても――。
こうなったのがパパと別れてからで本当に良かった。
そうじゃなきゃ、このまま家に連れて行かれて2、3日……ううん、最低でも1週間は缶詰にされるところだった。
今の私にそんな時間的余裕はない。
そうだ。こんなところで足止めなんてしている暇はない。
ゆっくりと立ち上がる。相変わらず傍らに立つジェイドのその視線を捉えた。
「本当にもう大丈夫よ。行きましょう」
ジェイドは、今度は何も言わずそれに従うと、ホームへ向かう階段ではなく、先程上がってきた駅の外へと続く階段へ私を誘導した。
その意図が飲み込めず躊躇すると、彼は「一旦戻りましょう」とだけ言って、私に先を促した。
階段脇に設置されている手摺りをこんなに有り難いと思ったことはない。
もちろん最初の症状よりはずっとまともだけれど、まだ微かに足が震えている。
視点は定まっているものの、階段を一足降りる度に、脳に軽い衝撃が伝わった。
階段を降りきって再び表に出ると、すぐ側にハザードランプを点滅させたタクシーが一台停車していた。
ずっと後ろに居たジェイドが私を追い越してそれに歩み寄り、運転席の窓を軽くノックして「西田です」と名前を告げた。
開かれた後部座席のドアを差し示し、ジェイドは身振りだけで私にその車に乗り込むよう促した。
黙ってそれに従うと、続いて同じく後部座席に乗り込んだ彼は、私の自宅マンションの住所を、間違うことも言い淀むこともなく運転手に告げた。
次回、監視役の役目って、近くで私の行動を監視することだケド……さ、
ええっ?! そこまでするぅ????