パパとjade
「ベイサイドステーション」という洒落た名前の駅に降り立ったのは、約束の時間の10分ほど前だった。
水族館のある駅から下ること一駅、そこから大きなテーマパークの外側を囲うように走る専用路線の二駅目で下りると、目指すホテルはすぐ目の前だった。
パパが指定したレストランは、そのホテルの最上階にある。
待ち合わせの店に向かうエレベーターの中で、ジェイドはサングラスを外し、それを胸のポケットに差し込んだ。
出迎えた若いウエイターに待ち合わせであることを告げると、彼は見晴らしの良い窓際の席に私たちを通した。
もっとも、ほとんど日が暮れかかった今となっては、そこから見える景色の半分は漆黒の海だった。
それでも、この国を代表するリゾート地を演出するイルミネーションは、残りの半分でも充分過ぎるほどの鮮やかさを誇っていた。
先程と同じウエイターが、大袈裟なグラスに入った水を運んできたのとときを同じくして、年輩のベテラン風のウエイターに連れられたパパが店に入ってきた。
「パパ!」
「おお、待たせてしまったか」
片手を上げて笑顔で近付いてくるパパを、ジェイドは立ち上がって迎えた。
「いやぁ、昼間は失礼してすまなかったね」
そう言いながら、パパはジェイドに握手を求めた。
「いえ、こちらこそ、ご都合も窺わず突然押し掛けまして、失礼いたしました」
差し出された手を軽く握り返しながら彼がそう答えると、パパはメニューを差し出したウエイターに「お勧めのコースを」とだけ告げた。
料理が運ばれてくるまでの間は天気や景色の話をしていたパパも、食事をはじめた頃から、彼に掘り下げた質問をしはじめた。
ジェイド君によると、私とは大学の共通の教授を通じて出逢い、アメリカにいる間はメールや電話で連絡を取り合っており、私のことはとても大切に考えているが、それもお父上のそれにはまだまだ到底至らない腰抜けだそうだ。
仕事も秘書とは名ばかりで、独り立ちできるような一人前な人間にはほど遠く、この先、経営者に成りうる可能性は全くもって知れない、情けない馬鹿息子なのだそうだ。
しかしながら、世界の経済情勢や日本の政治についてなどの質問に及ぶと、彼はもはや何処までが日本語なのかも判らないくらい難しい単語を並べて、あの石頭のパパと対等に渡り合っていた。
それにしても、幼い頃から両親に厳しく躾られた私の目から見ても、彼は箸の使い方も食事の作法も完璧だった。
本当かどうかはさておいて、アメリカでの生活が長いと臭わせている彼を、パパは日本食で持てなした。
もちろん、海外から戻ったばかりの設定の彼に、母国の料理を振る舞いたかったのは本心に違いないが、それ以外の目的がゼロだったとは考え難い。
しかし彼は、そんな少し意地悪な難題も難なくクリアしてみせた。
この辺でそろそろ本題にいかないと、パパのペースにすっかり巻き込まれて、本来の目的を果たせず、政治問題だけでせっかくの席が終りを迎えてしまう。
私はパパとジェイドの会話の合間を縫って、いよいよ肝心な話題を切り出した。
「ところでパパ、典ちゃんは元気?」
パパは、膝の上に敷いたナプキンの隅で口元を軽く拭いながら頷いて見せた。
「ああ、元気にしているよ」
「そう。典ちゃんにも随分会っていないから、会いに行ってみようかしら。典ちゃんにも彼を紹介しておきたいし」
「ああ、彼女も喜ぶだろう」
私はそれに満面の笑みで答えた。
「あぁ、でも、典ちゃんって確か、研究室棟の偉い人だったわよね? さっき会社で、このところ研究室は忙しいみたいだって聞いたけど?」
「ああ、今、とあるプロジェクトが立ち上がっていてな。彼女はその責任者を兼任しているから、まあバタバタしているのは間違いないが、西田君の予定も考えて、近々顔を出してみるといいだろう」
ちらっと横目でジェイドの様子を確認した。けれど彼は、その話題に全く興味を示さなかった。
この会話の意味を彼が呑み込めていないはずはない。
その上で彼は、パパに万が一にも違和感を与えないように無関心を装っているに違いなかった。
次回、嬉しそうなパパの様子に募る大きな罪悪感