夕暮れの水族館
夕暮れ時の繁華街は徐々に賑わいを増していった。
立ち並ぶ店のショーウインドウには、流行の花柄のワンピースや水着が競い合うようにして並んでいる。
大きなガラス一面が色とりどりのライトに照らし出されると、華やかさが尚一層増して、否が応でも道行く人々の目を引いた。
アクセサリーや雑貨を扱う店の店頭には、大振りのピアスやブレスレット、アンクレットなどが所狭しと並んでいる。
今年は貝殻をふんだんに使った物が流行りらしい。
ハイビスカスを象った物は流行に捕らわれることなく、ここのところの夏の定番になっていた。
それにしても、まだ八月も迎えていないというのに、至るところでSALEの文字が踊っていた。
そんな街中を潜り抜けて、私は駅へと向かった。
そこから下りの電車に乗り、待ち合わせの店がある駅の一つ手前で電車を降りた。
改札を抜けてエスカレーターを下りると、目の前には噴水広場なるものがあり、文字通り、大きな噴水が幾筋もの水を跳ね上げていた。
噴水脇に置かれた地球儀とヨットを象ったモニュメントの前には多くの親子連れが入れ替わり立ち替わり訪れ、しきりに記念撮影をしている。
涼しげに水飛沫を巻き上げる噴水の後ろに回り込むと、道は明るく開けた橋に続いた。
駅に向かう人波に逆らいながら進んでゆくと、綺麗に整備されたその石畳の橋の前方に、大きな観覧車が見渡せた。傾き掛けた夏の日差しを浴びながらそれは、青い空のキャンバスの前で、大きくゆっくりとカラフルな弧を描いていた。
左手に長く続く、壁一面が滝のような流れで覆われている『水の広場』と名付けられた場所を通り過ぎ、ようやく辿り着いた発券所で、私は二人分の入場券を買った。
それまでずっと付かず離れずの距離を保ち、終始無言だったジェイドが、そこでようやく口を開いた。
「ここは?」
「水族館よ。一度きてみたかったの。でもこういうところ、一人じゃきづらくて」
答えながら、私は通りすがりのカップルを横目で捉えた。
「言っておくけど、彼氏はいないのなんて聞かないでよ」
そう付け加えて、私は目の前の階段を後ろ向きに二段だけ上がった。
小さな子供でも容易に上がれるよう配慮されたであろう至って段差の低い階段のせいで、それでもまだ彼の目線の方が高い位置にある。
心なしかジェイドが微笑んだように見えたのは、状況が私に与えた思い過ごしだったのだろう。
いくつかの踊り場を経て辿り着いた段上の広場には石囲いの大きな池があり、その先には煌めく真夏の海が広がっていた。
池の脇にある『入り口』と書かれたドーム式のガラス張りの建物に向かうと、上りと下りのエスカレーターのみが設けられていて、それを下って、私たちは水族館の中へと入って行った。
エスカレーターを降りてまず真っ先に目を引いたのは、大きな円形の水槽だった。
螺旋式の階段で繋がれた2フロアの床から天井まで高く水槽が伸び、マグロの群が回遊している姿を見ることができる。
私よりも遥かに大きなマグロたちが、水槽内を右から左へ悠々と通り過ぎてゆく。
その迫力たるや、ここが建物の中とは思えないほどだった。
一方向へ規則正しく移動する様を間近に見ながら、彼らがこの水槽の中を一周するのに、一体どれくらいの時間がかかるのだろうか、と考えた。
狙いを絞って経過時間を計ろうと試みてみたけれど、私にはどうしても、彼らの中から一匹を識別し続けることができなかった。
同じことを幾度となく繰り返したあとで、ようやくそれが無駄な努力だと気付いた私は、時間を計るのを諦めてそろそろと次の水槽に足を運んだ。
足元には絨毯が敷き詰められていて、靴音もせず、歩き心地はすこぶる良い。照明をその足元に落とし、水槽内を明るく見せる演出のお陰で、一つ一つの水槽を覗く楽しみが増した。
「熱帯に住む魚たち」や「アマゾン河一帯の魚たち」のゾーンを経ると、通路は一旦、野外に続いた。
案内板には『ペンギンプール』の文字がある。
徐々に浮き足立つ気持ちを押さえながら、私はそれまでよりもずっと足早にそこを目指した。
しかしながら、私が目的の場所に辿り着くことはなかった。
水族館の閉園時間に先駆け、ペンギンの展示時間は一足先に終了時間を迎えてしまっていたのだ。
「うっそぉ、ペンギン楽しみにしてきたのにぃ」
思わずそう口にすると、終了の案内をしていた若い男性飼育員が弱り顔で頭を下げた。
「誠に申し訳ありません」
「どうしても?」尚も食い下がる私に、飼育員はもう一度深々と頭を下げた。
仕方がない。
小さな子供たちも見ているし、残念だけど、いい歳をした大人がこれ以上ここで駄々を捏ねる訳にもいかない。時計の針は閉園時間の六時まで、残すところあと30分を差し示していた。
一応の順路はあるものの、館内は出口を潜るまでは何度でも繰り返し回ることができた。
折角だから、時間ギリギリまで水族館を堪能すべく、私は再びあちらこちらの水槽を覗きながら、また、マグロが泳ぐ円形水槽の前へと戻った。
ただただ目の前を魚が回ってゆくだけなのに、不思議といくら見ていても見飽きることがなかった。
目線の高さが違うだけで、私とジェイドが見ている光景はちょっとだけ違うのかも知れない、そんなことを思った。
次回、灯里、jadeを人質にする?