アリス様 バレンタイン
バレンタイン。
そう聞くとまず思い浮かべるのはチョコレートかもしれませんわね。
そう、これは気になる人に対して愛情の意思表示をする絶好の機会。
去年、わたくしはバレンタインを異世界で過ごした。つまり貰っていないのよ、チョコレートを。
それまでは山積みのように貰っていましたわ。まぁ当然と言えるけれど。
わたくしは現在、日本を裏から操るための準備段階、主に資金集めを目的として、東京の一角にオフィスを設け、そこで活動をしている。
そこには有能な社員が集まり、満足しているのだけれど……
「ねぇねぇ、営業部の木島さんにチョコあげる?」
「恥ずかしいからみんなと同じ義理チョコかな〜」
「日和ってる〜」
「うるさいぃ〜」
……どこかみんな浮き足立っているわね。
ふぅ、少しはわたくしの落ち着きを見習って欲しいものだわ。チョコレートなんて貰って当たり前だもの。
「アリス様〜、資料完成しました」
「ありがとう、柚子。助かるわ」
スーツをビシッと決めている柚子の愛らしい顔を見てほっこりとする。ただそう惚けているだけでもいられない。
「悪いけれど次の仕事もいいかしら。それと、終わったら食事でもどう?」
「はい! 両方どんとこいです!」
柚子はわたくしの会社(という名の組織)のエース。どうにも頼ってしまうわね。
柚子は足早にオフィスを出て、次の仕事場へと向かっていった。
「あの、アリス様」
「ん? どうかしたかしら?」
先ほどチョコレートの話で盛り上がっていた社員たちが私のデスクまでやって来た。
「あの……会社内でチョコレートを渡すってダメでしたかね……それが心配で」
なんだそんなことか、と肩を下ろす。
「構わないわよ。楽しみなさい」
「はいっ! ありがとうございます!」
そう言って社員は立ち去っていった。
バレンタインチョコレート……柚子はくれるかしら。
いやもちろんくれるのはわかっているわ。えぇ当然くれるわよ。当たり前じゃない。ちょっと不安に思ってコーヒーマグを持つ手が震えていたりなんてしないのだから。
そんなこんなで、バレンタイン当日を迎えた。
「木島さん、これ受け取ってください!!」
なによ、結局本命を渡しているじゃないと笑いそうになる。
まぁ人の恋愛を見るのは甘酸っぱくていいわね。それが男女恋愛だろうと同性愛だろうとどちらでも尊いものがあるわ。
今日は柚子は外回りの予定はない(ようにわたくしが仕込んだ)。つまりいつでもわたくしにチョコレートを渡すチャンスがあるということよ。
「アリス様〜」
「なな、ななななにかしら?」
「……風邪ですか? めっちゃ震えていますけど」
「そんなことありえないわ。見間違いよ」
「はぁ……」
不思議なものを見るように、柚子は首を傾げた。
「アリス様、こちらを」
「えぇありがとう。とても嬉し……書類?」
「今日までに先方に送らないといけないので」
「……そう。あとはわたくしの承諾だけなのね」
わたくしは判子を押し、書類にわたくしのお墨付きという称号をつけた。
すると柚子は満足したようにデスクに戻ってしまう。
……ま、まぁ朝一からチョコを渡すなんてこと、しない可能性があるなんてわかっていたわ。うんうん。
そしてわたくしは柚子の鞄を凝視した。
天才たるわたくしから言わせれば、柚子の鞄の傾きはいつもと比べて0.4度緩やか。つまりいつもより中身が少ないということを意味する。
ということはチョコレートなんて入っていない? いや、外回り用のコートを持ってこなかったからという説が一番強いわ。えぇそうよ、柚子に限ってチョコを持って来ないだなんて……。
……………結局、柚子は終業までチョコレートを持っては来なかった。
まぁ別にいいですけど!? 愛の深さはチョコレートなんて豆と砂糖と油でできた無機物なんかで測れるものではないんですけど!?
「あ、忘れていましたよアリス様〜」
「そうよね!? 忘れていたのよね? ね?」
「え? はい。コーヒーショップのサービス券、今日まででした」
「…………そう」
もう、なにも言えなかった。
コーヒーを買ってくる柚子を待ち、わたくしは1人で店の前でなにをしているんだかと省みる。
「お待たせしましたアリス様、さぁ帰りましょうか」
「……そうね」
「あれ? ちょっと怒ってます?」
「……怒ってない」
「それ怒っている人が言うやつですよ」
チョコレートをもらえなかったくらいで怒らないわよ、バカバカしい。えぇ、まったく……ううっ。
異世界に行っても、それこそユリアンやロマンと別れる時も泣くことはなかったわたくしが、こんなことで涙を流しそうになっている。
許されない。許されないわよ有栖。泣いてはダメ。ダメなんだから!
「ではアリス様、本日も良い夜を」
「え、えぇ」
本当になにもなく、1日を終えてしまった。
わたくしはベッドに潜り、足をバタバタとさせる。
「チョコレート一つ貰えないことがこんなに苦しいだなんてね」
ちなみに他の方からのチョコレートは山のようにわたくしの屋敷に届いていた。
あれの処理もまぁまぁ困るのよね……まぁたまに口にして消費していきましょうか。
でもやっぱり、心の奥底にある願望は消えることはない。
自分に正直になる時が、来たのかもしれないわね。
わたくしは部屋を飛び出し、柚子の部屋へと向かった。
ドアをノックして開けると、柚子も寝巻きだった。可愛いですわ。
「どうされました? 眠れませんか? それとも夜這いですか!?」
「違うわよ。あるものを要求しにきただけ」
「はぁ、何でしょう?」
「……チョコレートよ。わたくしは、柚子の、チョコレートが欲しいの!」
わたくしはプライドを捨て、柚子に思いをぶつけた。
「嫌ですよ」
「えっ……」
目の前が真っ暗になりそうだった。
唐突に人生が崩れ、壊れていく音がする。
「はぁ、アリス様は自分がもらって当然と思いすぎていらっしゃいます。だからアリス様からは誰にも渡さないんですよね、この私にすら」
「だ、だってわたくしは与える側ではなくもらう側だから……」
「恋ならそれでもいいかもしれませんね。でも私とアリス様の関係は恋ですか? 否、愛です。愛ならアリス様も私に与えるべきなのではないですか?」
そう言って柚子は机から丁寧にラッピングされたチョコレートを取り出した。
「柚子……」
「これをあげるのはもちろんアリス様へです。ただし、約束してください。来年はアリス様も私にチョコレートをくれますね?」
「……えぇ。約束する。絶対に柚子にチョコレートを渡すわ」
「なら今年は多めに見てあげます。はい、ハッピーバレンタイン♡」
23時54分。わたくしは一日中求めていたものをようやく手にすることができた。
次の年から、わたくしと柚子が一緒にチョコレートを作るようになったのは言うまでもない。