5箱目・マルメンの可能性
痛みもあるし、膿むだろうという予想もあって非常に憂鬱だったのだが、翌朝になってそれはすっかり取り除かれていた。そもそも熟睡できたことで異常だったのだ。まるで何事もなかったかのように目覚めて脚を見ると、包帯の下が完治していたのだから驚き叫びもしよう。
「どうしました?」
「これ見ろよ、完治してやがる…」
「え!?あ、ほんとだ!なんで!?」
ルーシアは結城の脚を触ってみた。少し濃いめの臑毛が気持ち悪いだけで、傷の奇妙な感触はなかった。結城のほうも全く痛くなかったので本当に完治したと信じた。
「これも魔法か?俺にこんな治癒能力はない…お前が俺に触れていたからなのか」
「わかりません…私がそんな魔法を使えるとはまったく知らないので」
互いに意図していなかったことなので確かめられなかった。しかしこれまで発現した魔法をすべて意図して使えるのだとしたら、ルーシアを使って狩りを成功させられる。そうすれば金集めが容易になる。金を失った昨日の午後のことをすっかり忘れた結城は治癒をルーシアの魔法のおかげと断定して彼女を褒めた。
「本当に私なのだとしたら嬉しいです。ユーゴ様が傷ついて苦しんでいる姿を見たくありませんから」
「いい子だなぁ…朝ご飯行こうか」
「はい!」
まるで父と娘のように手を繋いで歌いながらレストランへ向かった二人はシーフードサラダとローストビーフで元気を得た。こちらもルーシアのお気に入りになったようなので、結城はお金を払うことをまったく躊躇わなかった。
「俺きのう魔法について調べるって行ったじゃん?ルーシアが魔法を使えるかどうか試していい?」
「どうやって発現させるのかわかりませんよ?私が魔法を使うと期して発現しなかったらどうするんですか」
「う…けど俺がピンチになったら出るようになるんじゃないか…?」
「え、自ら窮地に陥るんですか?」
まるでバカだと言いたげな声色だったので結城は敢えて強気になった。
「ああ。俺のことを強く想ってくれたお前を信じる。もしかしたら俺の想いも魔法になるかもしれないしさ」
主人に絶大な信頼を寄せられたことを喜んだルーシアはここで賛成を示して彼の実験に付き合った。
死骸は城跡から運び出されていた。連続して仲間が殺されたことでモンスターの警戒が強くなっているのか、数が多くなっていた。それでも結城はルーシアを使った実験を結構した。
「死ぬように願うんだ。願いが魔法を叶えるかどうか確かめる」
これだけでは魔法を発現させる条件は整わなかったようだ。結城は異世界に自信ニキからの情報を参照した。
『魔法の発動条件はまちまちっすねぇ…でも強い気持ち!とか誰かの為に!とかだったらステキじゃないっすか?』
というわけなので結城はルーシアに願い方を変えるように指示した。
「『あいつが死にますように』じゃなくて、『ユーゴ様の望み通りにあいつが死にますように』とか『ユーゴ様を脅かすあいつが死にますように』とか、俺を入れた願いをしてみてくれ」
「なるほど?」
ルーシアが願いの方向を二つに増やすと、魔法を発現させるための回路が完成した。閃光がどこからか飛来して敵を貫き、致命傷を与えた。敵はそれに一切の対応を許されずに死んでしまった。
「これか!」
自分が絡んでいることが魔法発現の条件だというのだ。これはルーシアの魔法に限ったことだろう。
「術者は一人だけ強い結びつきを持つ人を条件に指定して、その人に与する魔法のみを発現させる。お前が選んだのは俺だったってワケだ」
「なるほど…悪寒の理由は説明できませんが、転移と攻撃は確かにユーゴ様のことを想っていました。治療もその仕組みで説明できますね。ユーゴ様の怪我が早く治って欲しいと願ったから魔法が発現したのでしょう」
解析が完了したのでこれを利用した狩猟が可能になった。毛皮を剥ぎ取った結城はまた60万ギリスを手にしたが、買い取り業者が毛皮を衣料品業者に売るまで買い取りを中止したのでこれからしばらくは別の業者に売らねばならなくなった。
「城跡にいるモンスターは危険すぎて誰も狩りに行かないから業者は入手の機会に恵まれないのよ。だからこの街では私しかやってない。売りに行くなら隣のセールエがいいと思う。ポルト・レギアスの高級ブランドの店があるくらいだから、そういうのを求めてるんじゃないかしら」
「よし、じゃあそうしよう。あなたがお金を得るまでそこで過ごします」
「わかったわ。一週間後に来れば用意できてる」
結城とルーシアは新たな地との出会いに期待した。一応医者のところに完治したことを伝えてからカレーを食べに行き、特盛甘口カレーを二人で仲良く食べた。
「なんか一瞬絶望してたけどすっきりしたわ」
「よかったぁ。不機嫌なユーゴ様すごく怖かったです」
「ごめんな、イケメンなら爽やかにむくれることだってできたんだろうけど…」
立谷の容姿を思い出して見た目だけは彼のようになりたかったと思った。ただ、身長はこれでよかった。畢竟、凡人にいいとこ取りはできないということだ。
「いえいえ、ユーゴ様だって渋くてカッコいいですよ!大人の色気があって…」
「そんなんお前知らんだろ?俺は普通寄りのブサイクくらいでいいんだよ。お前もそう認識してくれればいい」
「とんでもない。ユーゴ様の笑顔を見るだけでドキドキします。これって恋…?」
「ませてんな!」
ガハハと笑った二人はパフェまで食べて大満足のまま西の街セールエに向かった。従属することではなく仲良くすることが吉だと学んでいたルーシアは子供らしく甘えて肩車を要求した。
「スカート捲れちゃうからズボンに着替えな。そしたらいいよ」
ここで結城は気付いた。新しい服でズボンを買っていないことに…激しい後悔があったがルーシアはどうしても肩車をしてもらいたいらしく、奴隷の頃の服に着替えて結城の首に跨がった。
「おぉ」
「たかーい!」
この姿を立谷が見たらハンカチを引きちぎって血涙を流すだろう。結城は彼の台詞を想像してみた。
『フヌゥゥゥゥゥ!羨ましい!裏山死ぬ!俺の爆発に巻き込まれてくたばってしまえ!ドーン!ほら、爆風ズオオオオ!ブシャブシャブシャ…!』
結城はルーシアのつるつるの脚を持って歩き出した。背中に大金を入れた袋を背負って。荷車を曳かせる商人とすれ違ったとき、ルーシアがあるものを見つけた。
「きれいな剣!」
「お?ホントだ」
結城が商人を呼び止めて剣について尋ねると、商人は購買意欲を察してこう返した。
「これはガルディのオッサンに売るから君には売れねぇよ」
「あいつか…ってことは高価なもんなんだな。見えるとこに置いていいのか?」
「ここにはたまに盗賊が湧くんだ。普通の商人は襲われるけど、こうしてガルディが買いそうな高級品を運んでいると襲われないんだ。盗賊でもガルディには逆らえねぇからな」
結城の考えは高級品を運ぶ商人を襲って物資を奪えば大儲けできるから晒すのは極めて危険だが、この世界ではその考えがむしろ危険だという。
「ガルディは傭兵を持ってる。奴が本気で怒ればすぐにそいつらが飛んできて一瞬でぶっ殺されるぞ。お前、そういうのに詳しくなさそうだから気をつけろよ」
剣を買うことはできなかったが貴重な情報を得た結城は商人にもう一つ質問をした。
「その剣はどこで仕入れた?」
「ポルト・レギアスで最も名の知れたヴィクセン商会から買ったんだ。230万ギリスもした。俺はこれを1000万ギリスで売ってやるつもりさ。そうしたらこの先100年楽して生きられるぜ」
「夢のある話だな。無事を祈るよ」
「どうも。ああ、セールエに行くならロイズインという宿だけはやめとけ」
「なんで?」
「犯罪者に親身だからだ。宿泊客は全員犯罪者で、警察ともズブズブだ。禁止薬物やら盗品やらを取引してるって話だ」
「うへぇ…」
異世界にもそのような犯罪があることを学んだ。これについて立谷はコメントをしていただろうか。
『これ異世界関係ないっすけど、格差が激しければ既にある巨大組織とタイマン張れる組織をゼロから起こすのってクソ難しいでしょ?ってことは誰もがそこに吸収されることを望むから、一個の組織がバカでかくなるんすよ』
それが遍く言える正しい知識であるならば、目を付けられることは苦しい日々の始まりを意味する。タバコについて希望を置けそうだったのに敵対するリスクを無視できないので準備をしてから実行したい。
「…カネだな。明確に味方であることを示すにはそれがいい。あるいはミッションを手伝う。具体的には人の殺害と密輸だな。それさえすれば受け入れられる…が、対抗勢力がないわけじゃない。そうじゃなかったら堂々と青空の下で取引してもいいわけだからな」
「確かに…情報をありがとう。気をつけるよ」
「ああ、上手くやれよ。娘さんのためにもな」
商人と別れた結城にルーシアが楽しげな声色で言う。
「娘さんだって!親子に見えたんですね」
「俺みたいなブスからお前みたいな美少女が産まれるかいな。どんだけ嫁さん美人なんだよ」
「また謙遜してぇ。私のことはいいですよ。その集団について調べているうちにタバコのことを知れたらいいですね」
「ああ。たぶん奴らは知ってるはずだ。だがこれまで以上に慎重にならなきゃいけない。お前のためにも、俺のためにも…」
街に入るとまずそこに近い宿をとった。ルーシアはワンピースに着替えて結城とともに街の探索に出た。この街でも金持ちそうな人が奴隷を連れている。やはり幸せそうではない。それをできるだけルーシアに見せないようにしながら図書館に入った。この世界の技術のことや魔法のこと、禁止薬物のことを調べるためだ。二階の奥にあるテーブルに大量の本を積むと、片っ端から読み始めた。日本の図書館とは違って持ち出しができないのが不満だ。
「ユーゴ様の世界のことを詳しく聞いていませんでしたね。いろいろ教えてくれますか?」
「宿に戻ったら好きなだけ教えるよ」
「楽しみにしてます」
その後は黙々と本を読んで知識を吸収しただけだ。しかしここで特筆すべきことが起きていた。
「タバコはある…!」
禁止薬物について記述した本によると、『タバコ』ではない名称の植物の葉を細かく刻んだものを熱して煙を吸引する嗜好品があるとのこと。これで一つの目的が完結に向けて急進した。
宿に戻ってきた結城はルーシアに日本のことを教えた。どのような技術があり、どのような土地があり、どのような生活を送っているのかかいつまんで伝えると、ルーシアは良いところだけを取り上げてこう言った。
「行ってみたいです」
「狩猟するにも剣を持ってたら捕まるし、違法薬物なんてやってもすぐに捕まるし、カネ稼ぎと言えば偉い奴に従って長い時間働いて少ない報酬を得るだけだ。クソだぞ」
「えー…」
「どこに産まれたかですべてが決まる。俺はダメだったな。金持ちの家に産まれた人なら幸せなまま過ごせるだろうな」
それはボトム層特有の考えなのだろうが、結城はそれこそが真実で日本における教義だと思っている。だからそれから逃れたことは幸せなのだ。
この宿に入ったときの店番の対応を見る限りは奴隷が入ることに抵抗がないようで、風呂について尋ねると構わないと返ってきたので結城は歓喜した。初めてルーシアを湯に浸けられるし、彼女を洗うために面倒なことをしなくてよくなった。
「他の客がいないタイミングで一緒に入ろうか」
「やっとだぁー!」
無邪気な子供が大喜びで結城に抱きついた。仄かに汗の匂いがして結城はドキドキしてしまう。タオルと着替えを持って脱衣所に入ると、ルーシアはバンザイして結城に服を脱がせろと強請った。子供らしさに萌えた結城がすぽっと脱がすと、ルーシアは腰に手を当てて仁王立ちした。
「どぉです?セクシーでしょ?」
「何言ってんだか…ほら、早く入るぞ」
服を脱いだ結城の反応にムスッと膨れたルーシアは彼に続いて風呂場に入り、頭から湯を被ってはしゃいだ。
「きもちいー!」
「ハハハ、久しぶりだし混んでないからいいだろう…あ、結構浴槽が深いな…」
座高の高い結城なら胸のあたりまでしか浸からないが、小柄なルーシアでは鼻まで浸かってしまうだろう。
「底上げ…椅子沈めたら怒られるかな。しゃーない、ルーシア、俺の膝に乗れ」
非常にリスキーな行為だが致し方ないと言うことで決断すると、ルーシアの柔らかい尻がゴツゴツした結城の太腿に触れた。
「色即是空空即是色…」
平常心を保とうとぶつくさ呟いていたのにあえなく失敗したのでルーシアに獣を警戒されてしまった。
「気にすんな。風呂に入って心地良くなるとこうなっちゃうもんだから」
「へー。でも確かに心地良いです。こんなに脚を広げてもいいなんて…」
「これで薬効のある湯だったら最高だったな。温泉郷ってのはこの世界にあるんだろうか」
「さあ?」
それを探すことも目的にしたくなった。のびのびと浸かって疲れを取ると、洗い場に出て身体を洗い始めた。ルーシアの髪に泡をつけて軽い力で頭皮を刺激しながら長い髪の汚れを落とすと、黒髪に艶が蘇った。次に身体に泡をつけると、脇の辺りに触れたときにルーシアが身体をよじった。
「くすぐったぃ」
「ほれぇ、コチョコチョコチョ…!」
「うひひひひ!」
結城は久々に他人とじゃれた。その瞬間、失われていた大切な気持ち―遊び心が彼の中に舞い戻った。元々彼は人を楽しませることを得意としていたのだ。それが長い社会人生活で失われてしまっていた。仕事をする前のことを思い出した結城はルーシアと同じようにはしゃぎ、泡まみれになった。
「ユーゴ様の背中洗います!」
「頼むわ。身体硬くてね…」
「すごくゴツゴツしてます」
「男だからね。ありがと」
懸命に背中を擦ったルーシアにシャワーをかけて泡を落としてやると、お返しにルーシアが結城の泡を流した。脱衣所に出てもルーシアは裸のままバンザイして結城に服を着せるように強請った。すっかり甘えん坊になった娘の頭を小突いた結城はすかさず撫でて愛でるとパンツを穿かせた。こんな甘えん坊には似合わない黒パンツだから結城は笑ってしまった。
「ルーシア、もう敬語使わんでいいわ」
「ユーゴ様も気になっていたんですね。私はユーゴ様のおかげでかなり奴隷の感覚を抜けたと思います。そうなるともっと精神的にも近い距離でいたいと思うもので、もっとベタベタ遠慮なくしたいなーと思っていた次第です」
奴隷精神が抜けたことは結城にとって歓迎すべきことで、彼はルーシアを娘のようにするために常体を使うように求めた。それはルーシアの望みとも合致していたため、彼女はすぐに態度を改めた。
「やったぁ!これでユーゴ様ともっと近いところにいられるよ!」
「俺らすっかり最高のコンビだな。こうなったら俺だって容赦なくいくぞ」
「望むところだい!」
「ハハハ!」
二人は仲良く抱き合ってくるくる回ったり謎の踊りをしたりした。そうしているうちに他の客が扉を開けたので、正気に戻った二人は廊下にある水道の近くで歯を磨いてから眠った。
翌日も二人は図書館に行ってポルト・レギアスのことを調べた。今日は曇りで、気分まで沈みがちだった。だから落ち着いたことをするのがよいと思って本を読むのだ。その間は心の平穏が保たれる。タバコ欠乏症に襲われている結城はどのような場所で育てられいているかの目処を立ててその周辺の情報を集めた。喫煙者はただタバコを吸う者と知識まで網羅している者とに分かれる。前者である結城に多くの知識はないので、こうして調べる必要があったのだ。
どうやらタバコは熱帯でよく育つらしい。地球でなら中国、インド、ブラジルでよく栽培されている。結城はそのような条件を持つこの世界の場所を探した。ここでも後輩の言葉が役に立つ。
『異世界もほとんど地球っすよ。似たような条件の場所は必ずあります。だってそういう住みやすい場所じゃないと人が住めないっすからね』
立谷の言うことは正しかった。地理の本にはこのポルト・レギアスが温帯とあり、海を隔てた南の大陸は熱帯だ。そこならタバコが流通しているかもしれないし、この地域に密輸されているかもしれない。
それを踏まえて考えねばならないのはミント栽培についてだ。結城の大好物であるマルメンを完成させるために必須なのがメンソールで、それはミントから作られる。ミント栽培のあるなしも結城にとって非常に重要なことなのだ。
「いい感じだ…!」
「じゃあ次の目的地は南の大陸になるのかな?」
「いや、ポルト・レギアス中心地ならあらゆるものが流通していて、違法薬物とされているタバコもあるかもしれない。ここで犯罪者に接触するより、より盤石にしてからいきたい」
ポルト・レギアスを目指す方針は変わらない。そこに到着したときにタバコに関する期待を持てるかどうかで次の目的地が決まる。それまでに他の目的の助けになる情報を得られるかどうかがこの旅の肝となるだろう。
「マルメンがあれば俺は最強になる。ルーシアを危険に晒すこともなくなる。俺らの行動はポルト・レギアスに行ったら急進するだろう…!」
「ワクワクするね。でも一つ一つ着実に行かないとダメだよ」
「わかってるさ。俺は大人だぜ?盲目になることがどれだけ危ないかは知ってるつもりだ」
「頼れるなぁ!」
ルーシア同様に結城も高揚している。この先、より楽しいことが起きるに違いないと信じられるのは、ルーシアとともに既に楽しいことをしているからだろう。彼女が結城の生活を大きく変えたのは間違いない。
手を繋いでレストランへ向かう二人の背中は、以前よりピンとしていた。