4箱目・戦いを知る男
ルーシアと過ごす初めての夜は緊張した。結城が風呂に入っている間、ルーシアは布団を敷いて待っていた。暇つぶしの道具を持っていないのだから、布団を敷くことくらいしかやることがなかったのだろう。ただ、布団は一枚しか敷かれていなかった。
「寝ている間は寒いことを身体が認識できないから、私が温めます」
それが布団のせいだということを想像できない結城ではなかった。あの部屋の隅に置かれていた布団と呼ばれるものは結城の布団とは大きく異なっていた。シーツとバスタオルだけの寝床でどうやって安眠しようというのか。長い時間を与えられたとしても、あれではしっかりと身体を休めることができないだろう。複数の奴隷のいる部屋では身を寄せ合って温まったに違いない。
「…こんだけ分厚い布団に入ってれば寒くないだろうけど、まあ…折角一人じゃなくなったんだから、同じ布団で寝るのもいいのかな。俺だって人の温もりがあるほうがよく寝られることくらい知ってるし」
おそらくこの奴隷少女は親の温もりを知らない。対照的に親と一緒の布団に入って寝る幼少期を過ごした結城は知っている。それを教えたくなった。
「邪魔ですか…?」
「いいや、俺と一緒が気持ち悪いかと思って遠慮してただけ」
「気持ち悪いなんてことはありません。ユーゴ様の傍で寝られるのなら安心して眠れそうです」
歯磨きを終えた結城は湯冷めする前に布団に入ってルーシアを誘った。
「へへっ」
「なんか恥ずかしいな…」
「ユーゴ様は違う世界から来たのなら、奥様やお子様が取り残されてしまっているのでは?」
この世界の一般常識によると、結城くらいの年齢の男女は既に結婚して子供を産んでいるという。そうではない結城はそのことを利用してルーシアの安心を導いた。
「俺は結婚してないんだ。日本じゃ珍しいことじゃない」
「そうなんですか」
「だから子供の扱いにも慣れてないんだよ。俺のことヘンだと思った?」
「いえ。乱暴だと思っていたのに優しくて、気を遣うようなことをしているので驚きました。ですがそのおかげで安心できます」
奴隷とは等しく暴虐の犠牲になるのだと学んでいたため自分も買われた後にそうなるのだろうという予想があったという。この世界からしたら奴隷に優しくしている結城は極めて珍しい主というわけだ。
「ユーゴ様、あったかい」
「俺は体温高いんよ。寝るぞ、おやすみ」
「おやすみなさい」
久しぶりに心までもを休めることができた結城の翌朝は極めて爽快なものだった。
精神的な癒やしを得たことで肉体にも影響が現れていた。これまで長く結城を苦しめていた原因不明の身体の重さや倦怠感がすっかり抜け去り、まるで翼が生えたかのような軽さを感じている。布団を抜けて大きく伸びをした結城はランニングに行きたくなった。
布団の中では小さなルーシアが眠っている。だらしなく口を半開きにして涎を垂らしていても、子供だからと許す気にしかならない。腹が減っているのを堪えてでももう少し寝させてやりたかった。
「ん…」
しかし彼の抜けたところに通った空気に起こされたのか、ルーシアは目を開いた。大きな顔が覗き込むと、彼女はゆっくり上体を起こした。
「おはようございます…あっ、涎が」
「おはよう。よく眠れたかい?」
「ええ、そりゃもうぐっすり…良い夢を見られました」
「メシ食いに行くから支度して。トイレは行っとけよ」
戦いに臨むとは思えないほどの軽やかな動きを見せる主人をルーシアはどう思っただろうか。彼女は洗面器の水を顔につけて軽く潤すと、結城に続いてレストランに向かった。
「俺が狩りに出ている間お前が暇をするよな。何か退屈凌ぎを買ってからにしようと思う」
「私はどんなに暇でも構いません。ずっとユーゴ様の帰りを待ちます」
「暇ってのは心を蝕むんだよ。奴隷の頃は仕事があったんだろ?それで暇ができなかった。お前はまだ知らないんだ、暇の恐ろしさを」
誰かが言った―私は暇が怖いのです、と。辛い仕事から逃れたいと思うのなら、暇に襲われることを覚悟しろというわけだ。そのことを結城は身をもって学んでいた。
「俺はお前に新しい知識を得ろだとか何かを学べだとか言うつもりはない。暇つぶしをしろとだけ言う。小説があればそれを読むのがいいかな…絵本は短いからね。あ、寝てても全然かまわないよ?」
「そんな、主様が頑張っているときに寝るだなんて!」
「別によくねぇ?俺だって国のお偉いが頑張って政治のこと考えてる間寝るよ?そういうことじゃないか」
ニヤニヤした結城につられて笑ったルーシアは主の気持ちを汲んで言葉に甘えることにした。
ルーシアは知識の本ばかりを読んでいたので小説というものを読んだことがない。どのようなものか尋ねられた結城もまたあまり日本文学に濃厚な知識を持ってはいないので、あの男の受け売りをしてみた。
「主人公がいて、事件に巻き込まれたり旅をしたりする。そこでステキな出会いをして、敵に立ち向かいながら成長していくのが多いかな」
「ほう、それは長いんですか?」
「長いのも短いのもある。暇つぶしとしてはかなり優秀だと思うよ」
概要を把握したルーシアはふとした気付きに顔を上げ、結城を見つめて言った。
「ユーゴ様がこの世界に来たのも事件に巻き込まれたって感じですね」
「事件に巻き込まれて死に際にここに来たみたいなんだよね。確かに小説みたいな体験だね」
本はこの世界ではさほど貴重なものではないようだ。印刷技術が確立しているということなのだろう。安価で買えることは二人にとって好ましいことで、結城は分厚い小説の一巻を買ってやった。それを大事そうに抱えたルーシアは文学少女となった。
「これで暇じゃなくなるはずだ」
「はい。熱中しすぎてユーゴ様の帰りに気付かないかもしれません、なんて」
「ありえるな。でもそれなら小説としては最高だろ」
宿に戻った結城は支度を済ませて街の外れに出た。そこはかつて戦場となった城で、半壊した状態で残っているところにモンスターが住み着いたという。おそらく死体がそのままにされていたのでそれに引きつけられたのだろう。独特の悲壮感に心が締め付けられていると、城壁の中に生物の動きを感じた。警戒しながら進むと、大きなモンスターがうろついているのが見えたので、それ以外の個体を確かめる。一体だと思って突っ込んだらたくさんいたという状況を避けたいなら慎重にならねばならない。息を殺して観察していると、予想外の展開になった。
「人が…!」
城壁の欠けている部分から見た内部に人がいるのだ。長身の男性は腰の剣を抜いて目にも留まらぬ速度で敵を次々に切り裂き、あっという間に全滅させた。圧倒的な強者の雰囲気に結城が近寄ると、剣豪は一瞬で姿を消してしまった。
「えっ…?」
人にできる術ではない。ただ幻想だったとは思わない。まるで魔法みたいだと思ったとき、異世界マニアの声がした。
『異世界にはだいたい魔法があるんすよ。どういう仕組みで発生してどうやって使えるようになるかは作品によって違うけど、あらゆることと密接に関係してるから重要な単語ですわ』
あれは魔法だと仮定して、あのような術を自分が得ることを想像した。あれほどの動きができるなら、ルーシアを守りながら敵を全滅させることすらできるだろう。癒やしをくれる美少女を守る力は必要だと思えるから、魔法についても目的にしようと決めた。
「やることが増えたな…だがあいつのおかげで何もせずして大量の皮が手に入ったぞ!」
大量の死体から皮を剥いだ結城は可能な限りを背負ってゆっくり街に戻ってきた。業者にそれを見せると、とても驚いた顔をされた。
「これは極めて危険なモンスター…あなた、あの城跡に行ったの?」
「ええ。なんかスゲェ人が一瞬で倒してくれましたよ」
「それってヴェルティア様じゃない?そんなことできるのは彼しかいないわ」
「ヴェルティア様?なんか魔法みたいなの使ってましたけど」
「ヴェルティア様を知らないの?稀代の魔法使いで並ぶ者のない剣豪として知られてるわよ。どこからともなく現れて人を救っていなくなるの」
かなりの有名人らしい。この先の旅でも彼の名前を聞くことがありそうなので憶えておいた。
「ってわけでこの毛皮はとても高価なのよ。これを使った服は富豪が好むくらいの高級品となる。ガルディが着ているのを見たわ」
「山を買うほどの富豪に相応しいもんってことか」
「私なんかが手にできるとは思わなかった!これを売ればこの店は安泰だ。対価を持って行ってよ!」
業者は60万ギリスを結城に渡して毛皮を引き取った。驚愕した結城は札束を袋に入れると走って宿に戻ってきた。勢いよく扉が開いたのでルーシアは緊急事態と勘違いして放り込まれた札束に仰天した。
「うわぁぁ!?」
「ヴェルティア様っていうヤベェ奴が強そうなクマを倒してくれたんだ。俺はそれをハイエナして売ったらこうなった。向こう半年くらいは安泰じゃないか?よかったぜ、計画を進められる」
「やったぁ!」
主人が自分のために大金を使ったことを申し訳なく思っていたルーシアは歓喜した。彼の次の計画は都会に行って情報を集めることである。都会に行くほど情報量が多くなることが理由だ。
「ってわけでここより発展してて規模のでかい場所を探す。これだけ文明が進んでれば他の都市のこともわかるだろ」
というわけでまた商店街に行くのだが、昼食が優先された。昨日とは違うレストランに入ってメニューを開くとカレーがオススメだというので結城はそれを注文した。
「ルーシアは辛いのいける?」
「わかりません。無難な味付けのものしか食べてこなかったので」
「じゃあ甘口にしてダメっぽかったら別のにしようか」
「そうですね」
二つのカレーがテーブルに置かれ、それぞれ食べ始めた。結城は中辛を『普通だな』と評価したのに対し、ルーシアは甘口を含んで震えた。
「こんなに美味しいものがあるとは…!」
「あ、そっちか。アレルギー出たのかと思ってビビったわ」
「これはすごいです!止まらなくなっちゃう!」
あっという間に甘口カレーを完食したルーシアは満面の笑みで喜びを表現したので結城は揺れた心を手で押さえた。
「いつか俺がこれより美味いカレー作ってやるよ」
「ほんと!?」
「俺は長いこと一人で暮らしてたから料理には慣れてるんだ。カレーだって百回以上作ったさ」
「すごい!」
幼女に褒められて照れた結城はすっかりその気になって家を買うための資金も集めようと思った。順序を考えると、魔法を使えるようになってからレアな敵を倒して毛皮を剥いで金を稼ぎ、家を買ってタバコと奴隷の居住地を探し、それから奴隷を解放する。これをどれだけ時間をかけずにやれるかというのが課題だ。
「そもそも魔法を使えるようになるより先に金が貯まりそうな気もする…都会に行けばきっと敵が減るから毛皮を剥げなくなる。60万で十分なのか考えてから進むべきだ」
「現実的な話をするならそうですね。魔法が使えるようになったとしてもいざという時の身のこなしや剣術の腕は必要ですから、しばらくここで鍛えて十分な強さになってから出発するのも良いかと思います」
賢い幼女が好きな結城はルーシアの頭を撫でてそれに従った。折角美味しいカレーを出すレストランがあるのだから、ここに留まるのがよいだろう。
決定を下しても将来のことは見ていないといけないため、商店街でこの街の周辺と広域の地図を買った。この街の西の隣には海に面した技術特区のグイラドがあり、海岸に沿って北に行くと大都市ポルト・レギアスがある。
「…この街はレギアス経済圏っていうところにあるのか。別の経済圏もあるんだろうなぁ」
国家が非常に広大ということが想像できる。結城はとりあえずレギアス経済圏で暮らしを盤石にして目的への準備を整えることにした。
というわけで結城は午後もモンスター狩りに出た。城跡にヴェルティアの姿はなく、代わりに倒されたモンスターの仲間がいた。毛皮を剥かれた状態で倒れている仲間の死骸をどこかへ運んでいるのが見えた。ここにいる数が減ったのを確認した結城はそっと近づいて小さな個体の背後にまわった。これなら囲まれることなく一対一で戦える。結城は剣を構えて突撃した。剣は見事にモンスターの背中に突き刺さり、モンスターは悲鳴とともに痙攣したのち動かなくなった。狩りは成功したのだ。この一体分だけでも数万ギリスは貰える。仲間が戻ってくる前にさっさと去ろうと慣れた動きで剥ぎ取ると、別のところからモンスターが出てきた。これは予想外だ。
「そこにいたのか…!」
結城は複数のモンスターを前にしても臆さない胆力を持っていた。毛皮をそっと降ろして剣を両手で持つと、向かってきたものを確実に殺すために目を凝らした。しかし考えておかねばならないことがあった。
モンスターが集団で行動することだ。一対一の状況は滅多にないことだし、連携して敵を狩ることを得意としているため一体ずつ襲いかかってくることはない。注意を分散させたら中途半端にやられると思った結城は一体に狙いを絞って剣を突き出した。それは確かに喉元に突き刺さったが、背後からの攻撃に対応できるほど簡単に抜けてくれなかった。身を守るためには剣を手放さねばならない状況で、結城は咄嗟の行動をとった。
「ぐっ…!」
モンスターと位置を入れ替えることで直接攻撃を避けたが、体当たりの衝撃は盾使いに十分な攻撃となった。下敷きになった結城がモンスターを引き剥がそうともがいても力ずくで抑えられているため身体を自由に動かせない。もう一体も被さってさらに強い圧力に襲われた。ここから抜け出せなければ確実に死ぬ。この状況を打開する方法はない。
「離れろ…!」
必死の抵抗は体力を削ぐだけで、重なるモンスターを動かすことすらできない。離れることを祈っていると、最悪の事態とモンスターとがさらに重なった。仲間がやってきて脚に噛みついたのだ。薄い布にしか守られていない結城の皮膚は簡単に食い破られた。声にならない悲鳴が出るも、やってくるのは敵のみ。希望が絶たれんとしていた。命脈尽きるその直前の走馬灯はよくある話で彼にも訪れた。
その走馬灯が逆転勝利を引き寄せるために決定的に必要なものだった。
『ピンチになるとだいたい覚醒するか誰かが助けてくれますよ。死んじゃったら終わっちゃうもの』
その言葉を思い出した直後、結城を押さえつけていたものも、脚を噛みちぎらんとしていたものも等しく光の柱に貫かれた。上体を起こした結城が辺りを見回すと、驚くべき事実があった。
「ルーシア…!?」
間違いなくルーシアだ。可愛らしいワンピースを着た耳の長い少女で黒髪ロングはルーシアしかいない。結城が呆けていると、ルーシアは不思議な力の発現を訴えた。
「突然凄まじい悪寒に襲われたと思ったらユーゴ様の前にいて、助かることを祈ったらモンスターが死にました」
感知、転移、攻撃を極めて短い時間に遂行したというのだ。驚く結城は思い出したように脚の痛みを訴え、苦痛に顔を歪めた。ルーシアは被っていた結城の上着の袖を結城の脚にきつく巻き付けて応急処置を済ませると、彼の肩を支えて街に連れて行った。片脚で長い距離を歩いた結城は診療所に着くとすぐに椅子に腰を落とした。周囲の患者が奴隷の進入に嫌そうな顔を見せたので結城は汗まみれのシャツを脱いでルーシアに被せた。
「ユーゴ様…」
「別に上は裸でもいいだろ…俺を助けてくれたお前が冷ややかな目で見られるのが嫌なんだよ」
しばらく待っていると結城が呼ばれて治療室に入った。傷口が荒れているので邪魔な皮膚を取り除いて治療を施す。詳しいことは結城にもルーシアにも分からないが、無事に処置が終わったようだ。
「元通りにはならないだろうけどある程度は回復して痛みも引く。この先膿むだろうから毎日来てもらうよ」
「わかりました」
午後の活動では金を稼ぐことができないどころか減るイベントを起こしてしまったので結城は不満だった。それを察したルーシアは静かに彼の調子が戻るのを見守った。
夜になっても結城が凹んだままだったのでルーシアは不安のあまり泣き出してしまった。流石の結城もこれには気を乱し、彼女を抱きしめて安心させようとした。
「辛いけど頑張ろう…ごめんな、俺が弱気になってたせいで不安になっちゃったんだよね」
「うぇ~ん…」
「お前のおかげで俺は生きてる。お前は素晴らしい貢献をしたんだ。何かお礼をしないとね…」
ルーシアの頭を撫でた結城はそのまま後ろに倒れて眠った。のしかかったルーシアは結城の隣に下りて彼にくっついたまま目を閉じ、早く回復するように祈りながら眠りについた。