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中年少女マルメン  作者: 立川好哉
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2箱目・奴隷っ子再生計画

 結城は驚愕した。ルルシュはタバコという名詞すら知らない。立派に働く成人が知らないということは、きっとこの世には存在しないのだろう。それだけで結城の身体は重く鉛のように机に垂れた。

「吸いたい…なぁ、ホントにないのか?葉っぱを巻いたやつ咥えてる奴なんて見たことない?」

「ないなぁ。それは咥えて吸うものなのか?」

「そうだよ…はぁ、わかった。俺に正気がある限り頑張ろう。夕方になったら戻る」

 そう言って家を出た結城にルルシュは忠告できなかった。結城がモンスターの毛皮を剥ぐことでしか生きられないと悟ったからだ。その過程で死ぬのならば、悔やみようのないことだ。彼がもし帰らずとも、自分は自分の日常を送るべきなのだ。それほどはっきりと踏ん切りを付けられたのならどれだけよかっただろう。


 再び山に入った結城は鉄剣一振りでモンスターと戦っていた。タバコで肺をやられているとは思えないくらい呼吸が快い。身体も思い通りに動く。転移の仕組みによって治癒したのかもしれない。

「うおおおァ!」

 力任せな戦いでも案外勝てるもので、結城は背中に背負いきれないほどの毛皮を剥いだ。それを身体に纏うようにくっつけて持ち帰ると、服にべっとりと付着した血は乾いていた。

「おぉ!?おお、お前か…血まみれだから命からがら逃れてきたのかと思ったぞ」

 ルルシュは結城の背から毛皮を降ろして毛に絡まった砂利を払った。

「これだけあれば奴隷商のいる隣の街で数日過ごせる。しかし奴隷を買うならもう少し欲しいところだな」

「…泊まるのはダメか」

「ここでいいなら構わん。二階は狭いんだ」

 もともと物置だったのを無理に寝室として使っているのだそう。日本で長く生きてきた結城からすると夏と冬は苦しそうだ。

「あそこのソファが嫌ならミヨンのベッドを使ってもいい」

「俺がソファで寝るよ」

 ミヨンのベッドを見た結城はそう決めた。泊まれるなら大金が貯まるまでここで毛皮を売り続けることができる。そうすれば次の街で奴隷を救うことができるだろう。自分の手伝いをしてくれる人がいるならば活動は捗り、思い通りに生きやすくなる。短期的な目標を据えた結城は夕飯の手伝いもした。

「ユーゴ、俺は客人を先に風呂に入れるようにしている。だがミヨンはまだ自分で身体を上手く洗えないんだ。よかったら洗ってやってくれないか?」

「いいぞ。ミヨンさえいいのなら」

「お願いしますっ」

 ぺこりと丁寧に頭を下げたミヨンは中年男性と一緒に風呂に入ることに一切の抵抗を示さずについてきた。最初からこうだと教わったのだろう。

「痣だらけじゃないか」

「はい…ここに引き取られるまではまともに仕事ができないと鞭で打たれたり刃物で傷をつけられたりするんです」

「ひでぇな…辛いことを思い出させてすまん。俺はお前の味方だ。お前のように辛い思いをする人を一人でも救うためにこの世界に来た」

「ユーゴさん…」

 まるで奴隷を代表するかのようにミヨンは結城に身体を預けた。軽く抱きしめた結城は柔らかい肌に触れた瞬間、強い使命感を萌芽させた。

「これがお前らのあるべき姿なんだ。誰もそれを妨害してはならない」

 しばらくこの小さな温もりを感じていたかった。なんだか恥ずかしくなってきたミヨンが石鹸を泡立てて身体につけたので、結城は背中に泡をつけてやった。

「次は髪だ。なかなか綺麗じゃん」

「えへへ」

「息止めろ。できるだけ下向いて」

「んっ」

 ササッと泡を洗い流すと、肩に軽く手を置いてシャワーに耐えたことを褒めてやった。

「ユーゴさんは強そうなのに優しいですね」

「人ってのは子供の頃が一番幸せなんだ。それを邪魔したくないだろ」

「そうなんだぁ…大人になると幸せじゃなくなるの?」

「…それは今考えるな。ほら、パンツ穿け」

 使命感以上に強い感情が訴えていることに気付いた結城はどのような奴隷を買うか決めた。即戦力にならないぶん、安く買えるだろう、そう願った。




 翌日、結城はひたすらにモンスターを狩り殺して毛皮を売った。この日もミヨンと風呂に入って今日あったことを話す。次の日も、その次の日も…そうしているうちに結城は確信に至った。タバコを吸わなくても不満を抱かなくなったと。その理由は明らかだった。

「俺はお前から元気を得ていたんだ」

「私からですか?これといって何かお手伝いをしたわけではありませんし、むしろ私のほうがいろいろと助けていただいてます」

「でもそのたびにお前は笑顔をくれるだろ?俺に決定的に足りてなかったのはそれだったんだよ。人っていうのは励みとなるものを常に求めてる。俺にとって励みはタバコじゃなくてお前のような子供の笑顔だったんだ」

「…そっか。それじゃあ私はこれからも笑顔でいますね」

「ああ」

 結城はすっかり子供好きになったと自嘲した。しかしそれは後悔や恥のない、爽やかな嘲りだった。

「明日俺はここを発つ。目的の第一歩だ」

「寂しくなります」

「俺はここから消えてもこの世界のどっかにはいるんだ。再会を楽しみにしておくんだな。新しい仲間を連れて必ず戻る」

「はい!」

 柄にもないことを言ったから赤面を禁じ得なかった。


 旅立ちの日、食事を終えた後もう一度ミヨンとハグをした結城は手を振って三人と別れ、ルーシュヴリッヒの街へ移動を始めた。そこには奴隷商がいる。そこでまず宿をとり、子供を買う。邪魔が入らなければ予定通りにいくはずだ。

 道には二つの街を行き来する商人が荷車を馬に曳かせている。奇抜な見た目の鳥とか力持ちの亜人なんかはいないようだ。

「あの塔か…」

 微かに見えてきた塔が街の目印だ。青い帽子を被った美しい建物はきっと貴族の屋敷だ。奴隷は彼のために売られるのだろう。門を抜けて街に入った結城はまず宿をとり、その後で使役されている奴隷を探した。注意しなくてもすぐに見つかった。

「おら、まだ仕事は残ってんだよ。キビキビ働け!」

 男が手に木の棒を持って奴隷をこき使っている。奴隷の少年は痩せ細っても主人のために力を振るっている。過酷だ、結城はそう思った。これを見た後に日本の中に過酷な状況を見ることはできそうにない。

「こんなんになる前に俺が…!」

 結城は広場の地図を便りに奴隷商の店を探し出して扉を開け放った。

「邪魔するぞ!」

 内装は至って普通の木造家屋といった様子だが、奴隷たちは悲しんでいるだろうと勝手に同情してしまったので陰鬱としてきた。細目の黒服の男性が結城をソファに座らせて希望を尋ねた。

「安い子供がいい」

「性別は?」

「…女のほうがいいか」

「性奴隷をお求めですか。はじめは骨張っていて抱き心地は悪いですが、ふくよかにするのもお客様次第…いいでしょう。年齢はどれくらいで?」

「年齢は問わん。安い子供だ」

 結城が値段にこだわるのは、軽んじられている子ほど救いたいからだ。底辺職やら人としての価値が低いやら散々に言われてきた結城だからこそ、同じような人を求めた。

「珍しいですねぇ。価値の高い者ほど使えると他のお客様は仰る。通常は高い者から売れてゆくんですよ…お客様の希望に合う者が一人だけおります。しかし覚悟してください。思っている以上に使えないでしょう…」

「なんで奴隷にしたのやら…まあいい。見せてくれ。それから決める」

「フフフ…」

 妖しい笑みを浮かべた男性が個室を開けると、細く骨張った妖精族の少女が振り向いた。薄い布一枚だけを纏っていて寒そうだ。髪は乱れ、肌も荒れている。ところどころ痣もある。年齢はミヨンと同じくらいだろう。

「どうです?」

 少女は怯えて身を縮めた。そこへ結城はいつもより優しい声をかけた。

「顔を見せてくれ」

 少女がゆっくり顔を向けると、結城はその目を覗き込んだ。特別な感じはしなかった。

「…いくらだ?」

「12000ギリス」

「それは安いのか?」

「ええ。平均は13万ギリスですから」

「1割もない…わかった。引き取ろう」

 結城は小さな袋から紙幣を取り出して男性に渡した。すると男性はドアを開けて結城たちを外へ案内した。

「特別な契約みたいなのはないんだな」

「ええ。買われた時点で我々の管理から外れたのです。お客様がしたければすればいいのです」

「そうか。じゃあもう手続きは終わりってことだな。よし、行くぞ」

「はい」


 奴隷の少女の手を掴んだ結城は彼女を連れ出して宿に戻った。受付の男性は連れられた奴隷を見て少し顔を引きつらせたが、結城が追加料金を払うと頷いた。

「頼む、今日だけでも泊めさせてくれ」

「分かりました。この料金は今日の分として受け取ります。特別に許可しますが、くれぐれも他のお客様に見られないように。この宿の評価を下げかねません」

「善処する。そうだ、耳を隠せばいいんだ」

 すぐに上着を脱いで少女の頭に被せると、さっさと部屋に入った。少女を座らせた結城は惑っている彼女に説明を始めた。

「突然のことで戸惑うよな。俺はユーゴ。君、名前は?」

「ご主人様につけていただくことになっています」

「奴隷として産まれたのなら名前を与えられないのか…主人によって好きにつけられると…じゃあ、ルーシアだな。爽やかな子になってほしいからルーシアだ」

 結城は知っているタバコからそう名付けた。シトラスフレーバーが爽やかな一品だ。

「ルーシア…はい、私はルーシアです」

「その耳、妖精族…で合ってるんだよな。多くは知らないけど、不遇な種族だと聞いている」

「はい…妖精族は森に住んでいましたが、人が開拓のために立ち入ったときに出会いました。最初は友好的でしたが、妖精族が人とともに暮らすようになってから災害が頻発したりモンスターが大量発生するようになりました」

「それを人が妖精族のせいだと決めつけたわけか」

「はい。妖精族は森へ逃げ込みましたが、妖精族を滅亡させたい人間は森を焼き払っては逃げ惑う妖精を捕まえて殺したり、女性を犯したりしました。その子供が私たちのような奴隷です」

 結城は滅ぼすという目的と犯して子を孕ませるという行為が相対していると気付いた。

「人は妖精族を滅ぼしたいんじゃない。攻撃を受ける的を常に用意しているだけだ。嗜虐して満足したり、自分が誰かの攻撃から逃れるスケープゴートにしたんだろう。いずれにせよ碌なもんじゃない」

「はい。力で押さえつけることで使役させ、面倒で汚れる労働を代わりにさせることにしました。そのような仕事は専ら奴隷の役目です」

「…クソだな。これまでの動きで分かってもらえたなら嬉しいんだけど、俺は君を虐めるつもりはない。金を払ったんだから損をさせないでくれればいい。まあ元々金を払って買うってのが不当なんだけどさ…」

「あなたに買われてよかったです。本当に…」

 辛い過去を思い出して涙したルーシアの頭を撫でた結城は慣れない言葉を並べて彼女を安心させようとした。

「俺には目的があるんだ。苦しんでいる奴隷を救うことと、モンスター増殖の原因を探ることと、タバコを入手すること。その手伝いをしてくれ」

「その、ユーゴ様…私、力も弱ければ頭も悪いのでお手伝いできるか不安…あ、いえ、全力でお手伝いします」

「無理を言うつもりはない。ついてきてくれるだけでいい。俺は子供の笑顔が励みになることを知った。だから価値がないだの使えないだの言われてた君を選んだ」

「そうだったんですか…」

 結城の動機が明確なことはルーシアにとって好ましい。彼は自分を笑顔にすることで元気になろうとしていると考えれば、自分のこれからの役割と境遇を想像できる。

「宿屋との約束を考えると風呂には入れないな…俺があがり際にタオルを湯につけて持ってくるか。あ、いやまだ昼前だ。メシ行かなきゃいけないから風呂の前に…」

「私、汚いですよね…ごめんなさい。ユーゴ様のお召し物を…」

「いいさ、安モンだ。メシ食いに行くにしても君のその格好じゃ拒まれる。身体を拭いてからだな」

「はい」

 結城はさっさとこの少女の身体を綺麗に拭いてやりたかった。蛇口を捻って水を出すと布を濡らして少し水を含んだ状態で戻ってきた。

「ごめん、恥ずかしいかもしれないけど脱いで。背中は俺が拭く」

「はい。ユーゴ様に拭いていただけるなんて…」

「そういうことはナシだ。身分のことは忘れろ」

 そう言って骨の浮き出た背を力強く拭いてやると、固まって貼り付いていた垢が剥がれて布についた。

「うおぁ」

「すみません、碌にお風呂にも入れていなかったので…」

「そうなのか…混浴でもいいから入りたかったな」

「はい…お風呂に入れるにもお金がかかりますし、掛け流しではないので感染症の危険や衛生的な問題があって…」

「そっか。俺の知る事情のままにはいかないか。洗ってくる」

 そうして全身を拭き取ると、微かに感じていた酸っぱい臭いが取れた。

「髪どうしよっか。頭隠せばメシ食いに行けると思うけど、お腹空いてないなら洗面器買ってくる」

「お隣にいるユーゴ様があらぬ風評を受けないように私は清潔でいるべきでしょう。朝食は私にとって十分だったので、お腹はまだ大丈夫です」

「よし、じゃあちょっと出てくる。誰も部屋に入れるなよ」

「はい」

 結城は商店街の中に雑貨屋を見つけて風呂桶か洗面器を探した。幸いにも店頭に積まれていたので迷わず買って持ち帰った。ルーシアは短い間でも不安だったようで、結城が戻るとすぐに抱きついてきた。これは忠誠の証ではない。

「あぁよかった…」

「んな危険なことじゃないよ。さて、水汲んでくる。石鹸も買ってくればよかったかな」

「ああいえ、そんなお手間になることを私のために…」

「綺麗なのがいいじゃん。俺は君の身なりに金を惜しむ気はないよ?メシ食ったら服買いに行くし。その耳、俺にとっちゃ珍しくて可愛いから出してて欲しいけど、この世界でそうはいかないならしょうがない。日本だったら子供服にウサギとかクマの耳がついたフーディーとか売ってるんだけど、こっちの事情は知らんから…」

 目の前のルーシアに意識を向けていたのでこれまで彼を助けてきた立谷のことを忘れていた。結城は彼が服について何かを言っていたのを思い出した。


『そういうのは売ってないんだけど主人公が作ってやるんすよ。不器用でもやるんです』


 これで結城はもしそのような可愛い服が売っていなかったとしてもルーシアのための試みができるようになった。髪を水に浸して丁寧に櫛を通す。汚れが水のほうに移ると黒い毛がまとまった。

「枝毛が酷いからこれから直していこう。あと肌荒れだな…あまり触らないように。俺みたいになるよ」

 結城の肌はお世辞にも綺麗とは言いがたいほど荒れていて、思春期の頃はもっと酷かったらしい。この先ルーシアが苦しまないようにするのが結城の使命なので、彼女のためになることは忘れずに言う。

「髪が乾いたらメシ食って石鹸と服を買いに行く。それで今日は終わりだな。睡眠は足りてる?」

「はい。動けなくなると奴隷としての価値が下がるので健康には配慮しているみたいです。だから食事を抜いたり寝かせなかったりすることはありませんでした。ただ、お風呂は数日なら問題ないとされたようです」

「なるほどね…でも痩せてる。ミヨン…前に会った子と君を見て思ったのは、日本の10歳児と比べて小さいってことだ。成長に必要な栄養が不足したせいだね。でもまだ間に合うはず。俺は太らせるつもりで食わせるからな」

 宣言通り、結城はレストランで料理を大量に注文した。

「好きなものを食え。俺もそうする」

「いいんですか…?」

「そんなガリガリだと不安になるんだよ。ほら、食え」

 スプーンを差し出されたルーシアはそれを受け取ると炊き込みご飯を口いっぱいに入れてゆっくり噛んだ。白米とスープ、刻み野菜炒め以外のものを久々に食べたと涙をこぼした。

「好きなときに好きなもん食えるのが一番の幸せだろ。俺はそれに金を惜しむことはない」 実を言うと金に余裕がない。またモンスターを倒して皮を剥ぐ生活になるだろう。そのときルーシアがいるいないで難度は異なる。彼女を宿に置いておけないのなら護衛戦を学ばねばならなくなる。それについて結城は憂鬱にならなかった。


『師匠キャラが現れて主人公に必殺技とかいろいろ伝授してくれますよ。クッソ疲れる特訓するけどメッチャ強くなります』


 という立谷の教えがあるからだ。モンスターについては気を抜かなければ大丈夫だと信じ切り、どれだけ出費を切り詰めながらルーシアを満足させられるかに焦点を置く。自分の満足はルーシアが果たしてくれるが、欲を言えばタバコがあるほうがよい。たった一つの紙巻きを得るのにどれくらいの時間がかかるだろうか。それは立谷でも分からないのだった。

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