序・マルメンとともに地獄を生きてきた
フィクションです。サブタイトルのマルメンは『マールボロ・メンソール』とは関係ありません。
結城雄悟、34歳。22歳のときに東京の企業に就職するも、上司からのパワハラを理由に退職、以来ずっとコンビニ夜勤を週5でやっている。今となっては苦労して入社した会社をすぐに辞める人間で溢れているが、当時は珍しいことだった。何度『勿体ない』と言われたことか…その一つでも思い出せば、周りの人間の薄情への憤りが蘇る。誰もが自分の成功を希求していなかったことに気付いてから、彼はこれまでの人間関係の殆どを断ち切って生まれ変わった気で生きてきた。一度も吸ったことのないタバコを吸い始めたのがその象徴だ。
そうして12年生きたことを誰かに褒めて欲しいわけではなかった。寧ろ多くの人から蔑まれるとすら思っていた。底辺のレッテルを貼られがちなこの職種への称賛の言葉は少なく、癒やしと言えばたまに来る子供の笑顔と声くらいだった。年々身体は衰え、将来への不安から精神的にも参っていた。しかし去年の暮れに入った新人バイトに言われたことが彼をこの仕事に留まらせた。
『俺からしたらうるせぇ!って感じですよ。他人の評価なんてクソっすわ。俺も就活しないことをいろいろ言われましたよ。うるせぇって言いましたもん。マジで』
一般論に揺れ動かされることなどなくてよいのだと気付いてから、彼はより自由を感じられるようになっていた。まさか11個も年下の若者に言われたことが教義になるとは思わなかった…それを知っただけでも、生きた報酬には十分だ。
「…タバコ吸ってきていい?」
「どうぞ」
相方は23歳の立谷正助という男だ。剽軽な性格で、聞き上手だから、歳の離れた結城とは合う。タバコを吸うことにも理解があるため、結城は頻繁にタバコ休憩に出られる。
結城が好んでいるのがマルメンだ。不思議とこれ以外吸う気にならなかったため、12年ずっとこれだ。何本吸ったかは憶えていない。
「ふー…」
煙の中に明るい未来は見えない。それでいい。暗い未来が見えないのならそれでいい。自分の役割は、ここで働いて自分を生かしながらマルメンを吸うことだ。箱が空になったので新しいのを買う。いつもより早く戻ったのを見た立谷が新しいボックスを用意しておいてくれた。
「マルメン好きっすね」
「なんでか知んないけどしっくりくるんだよね」
「ふーん…俺はバラエティ・シーカーなのでいろんなの吸ったなぁ」
「どれがよかった?」
「結城サンが連れてってくれたとこで買ったデビルっすかね。あれのカカオ」
「ほー」
立谷とはよく車や旅行の話をする。彼はもともと車には興味がなかったが、結城と話すために勉強しているらしい。相方が彼だからこそ、楽して働けている。気まぐれに辞めて欲しくない。
ずっとこうならば問題はなかった。しかし立谷が去る前に、自分が去ることになってしまった。
彼が車に乗っていたときのことだ。突然に角から飛び出してきた軽自動車と衝突してしまったのだ。外車に乗っていた彼は最も強い衝撃に襲われ、死亡してしまった。それ以降の日本のことを彼は知らない。