第九話 魔素酔い
夏バテなう(ゆえに短文)
「うわぁ……レベルアップってそれまでの努力が否定されてる気分になるな」
冒険者としての二日目。
思わずそう呟いてしまうほどに優也の動きは昨日と比べて格段に良くなっていた。
レベル上昇値は三。
けれども前日との差が激しく自分自身の動きに対応する事で精一杯になりそうなほどステータスは上がっている。
「ああ、初めはそう感じるだろうな」
大木の上に立ってニヤニヤと優也の苦い表情を見るだけで一切戦いに干渉しない――むしろ邪獣を誘き寄せる効果のある道具を使って優也をより苦しめている分質が悪いアリサは、過去の自分と今の優也を重ねるように遠い目で見つめていた。
「ああ? 『初めは』ってことはレベル上がると自主トレのステータス上昇率が上がるもんなのか? やっぱ」
レベルの上昇以外にもステータスの上昇要因があると知った時、優也はいくつかの仮説を立てた。
その中でも可能性が高いと思った仮説。
それがレベル、もしくは各ステータスの数値によってレベル上昇時以外ステータス上昇の数値が決まっているのではないか、というもの。
単純に固定数値での上昇という線も考えたがそれを否定するようにその時点での数値順に上昇量が違っていた。
「いや、レベルが上がった時以外ステータスを見ないからそれは分からんが……長く冒険者を続ければその上昇の恩恵は大きい」
「ああ……塵積理論ね、そっちね」
単なる『努力=結果』というステータス世界ならではの考え方に少し落胆しながらも自身の仮説が否定されたワケではないためあまり気に留めない優也。
「ん? その『チリツモ理論』というのは何だ?」
この世界ではその諺がないのかアリサは理解出来ないように表情に微妙感を漂わせる。
「ああ、極とぅ……じゃねえや、俺の故郷に『塵も積もれば山となる』って言葉があるんだよ」
一瞬ラノベ的言い訳として『極東』という表現を用いそうになったもののこの世界では一般的にはここが極東に位置するかもしれないと考え、『故郷』という表現に優也は咄嗟に変えた。
「そうか、似たようなのなら私も知っているぞ」
元の世界同様、日本で言う『塵も積もれば山となる』が英語では『Many drops make a shower』 直訳すると『水滴が集まるとシャワーになる』となっているようにこの世界でもそれに類する言葉はあるようである。
「確か『一金貨の買い物に九九の銀貨と九九の銅貨では無意味』とか『砂漠は一粒の砂の集まり』『一を侮る事なかれ、一の集まりが世界である』とかだな」
「最後ぇ……『一は全、全は一』ってか?」
少し昔の漫画を思い出し苦笑する優也は少なくとも伝わりはしたことに安堵しつつ目の前の狼を短剣で両断した。
「なあアリサ! なんかだんだん気持ち悪くなってきたんだが!?」
僅かな息切れと吐き気を覚えていることに気付いた優也は一度激しい動きをしているからかと考えたが、前日のアリサとの組手の方が激しかったことを思い出しすぐに否定、休憩を所望するように叫ぶ。
「そりゃそうだ。邪獣を殺したらどうなる?」
「魔素になって消える! それがどうした!」
気持ち悪いと訴えたのにもかかわらず休憩を貰えず、苦しさから歯を食いしばり僅かに唾液を零し始める優也は苛立ちをぶつけるかのように声を荒げた。
「お前、今までそこで何匹邪獣を殺した?」
「二〇〇超えた辺りで数えんの止めたわ!!」
約一時間の間優也はアリサの助けを借りられないまま多くの邪獣を屠っていた。
油断すればドロップアイテムに足を取られ転びそうなほど足元にはドロップアイテムが転がっており、優也の足と狼たちの足によって弾かれたドロップアイテム同士が衝突し咆哮と剣の音の間に忙しなくカチャカチャと鳴り響いている。
「んじゃ最後に。……魔素の濃い所に長時間いるとどうなる?」
「嘔吐感、眩暈、思考力低下、魔力暴走の危険……って、それが狙いかこの野郎! じゃねえこの女郎!」
魔素濃度の高い場所にいる事で引き起こる症状を列挙してようやくアリサの目的に気付くほど思考力を低下させている優也は煩わしそうに顔を歪め、木に向かって血と影を纏わせ硬化させた短剣を横に投擲した。
短剣を避けるようにして分かれた狼の群れを押し通り、優也はそれを足場にしてアリサを上回る高さまで飛び上がる。
「【黒の……圧砕ぃぃぃぃ!】」
このままでは様々な状態異常によって負けると判断した優也は見た目があまりカッコ良くないから使いたくなかった圧殺技を行使した。
純粋な優也と血の重さに加えて魔法で操作された重みによって魔石ごと潰れる狼たち。
その時に出た血もしっかりと回収しながら優也はその場で嘔吐した。
「一気に殺したらそりゃそうなるわ。ちったあ考えろ」
「脳筋にッ考えろ言われたかッねぇよッ!」
元々戦闘による疲労と魔素酔いによって優也の身体は弱っていた。
そんな状態で更なる魔素濃度の上昇に晒され耐え切れなくなった肉体はこうして悲鳴を上げている。
魔法で体調を整えてなおこの状況、使っていなければ気絶している可能性もあった。
「にしても……弱すぎねえか? まだ吐くような濃度じゃねえだろ」
「こちとら疲れてんだよ、吐くわ」
とはいうものの事実優也は弱い。
優也――というよりかは異世界人が、だ。
世界を移動する時の適応処置で上方修正されたものの魔素への耐性というものは完全なる環境によって身に付くモノ。
病気などの免疫は遺伝によるものもあり生物として当然の為適応処置の一つに含まれていたが、生まれ持たない環境による耐性は幼い頃からの積み重ね。
二週間程度しかこの世界で生きていない優也たち異世界人は現状魔素への耐性はこの世界の子どもよりも低く、そんな状態で魔素濃度の高い場所にいるというのは正しく自殺行為だ。
「今後強い敵と戦うってんならこの特訓は避けらんねえぞ。やらずにいざ実戦で潰れられんのは御免だからな」
「……ッち、しゃーねぇ、やってやんよ!」
今安全に出来ることを今やらずに後回しにして痛い目を見る気は優也にはない。
ならば今この時の苦痛は耐えるしかないだろう。
「えー確か……生物は皆等しく体表に僅かな魔力の保護膜を作っていて大気中の魔素は呼吸によって主に摂取される。魔素濃度の高い場所にいると肺を通じて大量の魔素が血中に入り心臓にある魔石がその負荷に耐え切れず体調を崩す。っていう仮説が確かあったな……提唱者が確か『チェーロ・ガット』だったか。ってそれは関係ないな」
素早く高濃度の魔素に対応するべく記憶を総動員してその文献を検索し、今は余計なことを考える時間はないと思考を振り払った。
「魔石は魔素を魔力に変換する器官、それが負荷に耐え切れないのがこの現状。単純な負荷と再生っていう筋肉みたいな話なら回復すればそのうちイケるか? いや、そのまえに魔石に治癒魔法が効くかどうか。まあ効かんだろ、全身治癒してんのに駄目だし」
少ない情報から仮説を積み重ねる優也。
そもそもとして高濃度の魔素への耐性というものが優也どころかこの世界ですら未解明、肝心な部分が分からないのに適応方法を見つけるのは困難だ。
「第一なんで魔素酔いが起こる。負荷が掛かるだけなら激痛で良いだろ、なぜ状態異常まで引き起こる。……あ゛あ゛~! 思考がハッキリしないせいでなんも思い浮かばん!」
長く続いている思考が晴れないモヤモヤ感に苛まれる優也は八つ当たりのように第二波として訪れた狼の群れに向かって普通の風や水、岩などといった魔法を手当たり次第に乱発する。
度重なる激しい動きによって優也は全身を温め赤くし、状態異常の一つである眩暈は優也の足元を揺らがせ、それはまるで酩酊しているようだ。
「ちったあ考える時間を寄こしやがれ下さい!」
壊れたように「うがー!」と叫ぶ優也は普通の魔法だけで狼を五〇ほど倒した辺りでふと状態異常が軽くなっていることに気付く。
「あまり近づかせてないからか?」
思考力の低下から一度はそう片付けてしまうものの矛盾するようにすぐに考えることを再開した。
「そーいや症状の一つに魔力暴走の危険があったな。……ああ、そういうことか」
自分で口にして気付いた優也は考えてみればとても簡単なことに苦笑する。
その簡単なこと、というのは単純に魔力が本来の量を上回っているということ。
前提として魔力暴走というのは誰でも引き起こるものではない。
魔力暴走とは一部の、上位の人間のみに可能性が出る。
その人間とは『魔力値の高い者』だ。
高い魔力を有した者が魔力の制御を誤って魔法術行使の為に圧縮していた魔力を一瞬で開放するという一種の爆発。
簡単に例えるのならば風船のようなモノ。
小さな風船ならば押し潰しても大した破裂にはならない。
けれど大きな風船ならばその威力は高い。
魔力値の低い者が魔力制御を誤ったところでそよ風程度の影響しかないのだ。
普通魔力というものは上限で回復が止まるのだが、恐らく血中の魔素濃度が異常に高くなっているせいでそれを消費しようと魔力上限を超過して回復している。
つまり魔素酔いの症状とは魔素が直接的な要因ではなく、高い魔力が要因。
「なら魔法を使えば良いという単純な話だ!」
憑き物が取れたように清々しくも恍惚の表情で魔力が使った側から回復するのを良いことに燃費を考えずに乱射する優也。
一時的に魔力にブーストが掛かった状態の優也の魔法は元の世界で鍛えられた想像力と知識によって尋常でない威力を発揮する。
長期の戦闘で高揚しているのも相まって繰り出される魔法は瞬時のものであるにもかかわらず具体的な形を保っており、打ち出された物質の槍は金属のように硬い、打ち出された風の刃は断面をなだらかにする程に鋭い。
「あ~! 吐きそ~!」
打てども打てども超過して魔力は回復する。
心臓の魔石の悲鳴を幻覚してしまうほどに優也は弾幕のような魔法の嵐を繰り出していた。
「ユーヤ……頭大丈夫か?」
「多分大丈夫じゃない! なんていうか……徹夜三日目ってこんな気分なんだろーなーって感じ!」
「お、おう」
流石に壊れてるんじゃないかと思ってしまう優也のテンションを心配したアリサは声を掛けるが優也から返された言葉にやり過ぎたかもしれないと冷や汗を掻く。
「流石にそろそろ体力の限界が近いんだけどぉ!?」
「そ、そうだな、そろそろ終わろうか」
辛さをアピールするワリにはその表情は笑みを浮かべているという少し恐怖してしまうような表情にアリサは対応に困るように戦闘を終了させることにした。
――――――――――
「今日は戦ってみてどうだった?」
茜色の空の下、忙しなく頻りに大剣を触るアリサは突然そう問いかけた。
「色々あるけど……昨日言っていた急激なレベル上昇の悪影響ってのが怖い、かな?」
レベルの上昇を抑えた状態ですら力の変化に初めは振り回されていた。
それがさらに大きくなるということは最悪の場合自分の力で自分を殺してしまう可能性があるということ。
そのことに優也は僅かではあるが恐怖を抱く。
「今日は……多分大丈夫だ。ある程度レベルが上がった状態だったからな」
「多分って怖ぇよ。てかどういうことか教えてちょ」
曖昧な返答をされた優也は恐怖を余計に煽られながら何故昨日はダメで今日は大丈夫なのかと問いかける。
「人間ってのは力を数値ではなく割合でコントロールしてるだろ?」
「そうだな、数値でコントロール出来るのなんて達人レベルじゃねえか」
「つまりステータスが上がった時の力加減で気を付けるのは上がった数値ではなく上がった割合ってことだ」
「ああ、なるほど。……ステータス版ジャネーの法則か」
疲労で思考が面倒になり考えることなくアリサに答えを尋ねていたが考えてみればそうだ。
ほぼ初期値のステータスをいきなり上げたらロクなことは起きない。
仮にステータスが一〇倍になっていたら軽い握手のつもりで相手の手を握り砕く可能性もある。
「だから昨日は控えめにしておいたワケだ」
「じゃあこれからは気にせず戦えるってことだな?」
それなりに戦ってステータスも上がった今戦いを躊躇する必要はないと期待する優也は心を躍らせ新たな技の思考を広げていた。
「問題なし。ただし明日はステータスと肉体の感覚を合わせるために組手だ」
「お手柔らかにお願いするぜ」
明日、今日の成果も合わせて昨日に比べどれほどアリサの動きに対応出来るのか。
そんなことばかりが気になる優也は宿には戻らず必要なモノを買うために街を歩く。
必要なモノといっても特別なモノではなく耐久性と収納量に優れた鞄や着替え、予備の武器などだ。
「お。アレ食おうアレ」
「晩飯宿で食うのに今から食うのか? 俺は構わんが」
「食わんと動けんぞ?」
案内されるまま商業区を歩いているとアリサが串焼き屋台を指さして垂れた涎を拭う。
この世界の女性の知り合いが皆無ゆえに何とも言えないが少なくとも元の世界の女よりかは身長が高く筋肉質なアリサはその見た目通り食べることが好きで、今朝も街を出る前に『少し待ってろ』と言った数分後に大量の屋台名(主に肉)を抱えてやって来ていた。
もっともそれはほとんど自分の為のものだったらしく一戦交える頃にはほとんどなくなっていたが。
「んじゃあヒモった金の還元も兼ねて俺が奢って進ぜよう」
「お、マジで? 別に金には困ってないがなら串焼きタレ五塩五ずつ頼む」
「……宿のも考えるとバケモンだな」
この世界の串焼きは元の世界の物に比べると一つ一つの大きさが大きい。
体積で言えば二倍ほどは最低でもあるだろう。
「燃費がワリィんだよ。食ってもすぐ消費するからすぐ腹が減る。ってか冒険者長いこと続けりゃ自然とそうなる」
「エンゲル係数真っ赤っ赤だぜ」
それは良く動く冒険者ゆえなのか高レベル特有の症状なのかは分からないが長い間冒険者をやっている者は総じてそうなのである。
自分もやがてそうなるのかと少し不安になりながら優也は屋台に向かって歩く。
「ホレ、肉と……ついでに冷たくて甘い飲みもん」
「お、あんがとよ」
串焼き屋台の隣にあった飲料屋台で二人分の飲み物を買った優也は串焼きの入った袋と共に差し出した。
渡した優也は左右にそれぞれ持って左手の肉を食み、飲み物でそれを流すようにして五本の串焼きを素早く食す。
「案外、普通の生活ってのも悪くはないな」
普通かはさておき。
桃子の言葉を思い出した優也は黄昏るようにそう溢した。
表記ゆれはあるだろうけど読めなくはないでしょうから許してください
今回のスパルタによって優也の魔力量が結構上がりました、まる