第三話 守護者たちの会談
改行と空白含めて10000オーバー
……はじめはもっと少ない予定でした
具体的には3000~4000くらい(本当)
「あ、そうだ涼花、これ返すわ。あんがとさん」
「どういたしまして。ところで何で借りたかったの?」
部屋の扉が閉まるのを尻目にながらエチケットブラシを返す優也。
それを受け取った涼花はポケットに戻しながら結局帰ってくるまで明かされることのなかった借りる目的を訊ねる。
「ま、簡単に言えば状況把握のため、とだけ言っておこう」
誤魔化すようにそう言うと優也は一度部屋を見回す。
部屋には扉と窓が一か所ずつ、ベッドが二台に机二台に椅子二脚。
そして部屋の中には優也、悠生、周也、航亘、桃子、涼花、夏美の七人がいて、割り当てられた部屋の主である優也と悠生は椅子に座り残りのメンバーは左右で男女に別れてベッドに腰をかけていた。
左右が他のメンバーの部屋ということを思い出した優也は一度窓を開け、怪しい物がないかを確認してから窓を閉め今度は扉の下まで無音で歩き扉に耳を当てる。
一応扉の向こうから物音が聞こえないことを確認した上で扉の前で大きく手を打ち鳴らす。
至近距離からの破裂音にも一切反応しなかったことを確認した優也はそのまま椅子に戻った。
「さて、俺たちの命運を決める、かもしれない重要な話し合いをしようか」
小さく、けれども部屋にいる者たちには聞こえる声に部屋内の全員に緊張が走る。
「まず第一にこの世界の者、少なくともこの王城関係者はよほどのことがない限り信じるな」
「な、なんで?」
「そうですよ、流石に警戒しすぎですッ」
突然の不信宣言に六人全員が驚愕を露わにし、隣にいる悠生と桃子が疑問と声を荒げた。
けれども優也は主張を変える気がないのか、一切表情を変えることなくそのワケを説明する。
「まあ一番の証拠で言えば最後、立ち去り際だ」
「立ち去り際?」
「ああ、俺はあの瞬間そのまま立ち去ると見せかけてギリギリで止まった。向こうにとっては勇者たち異世界人との対面から解放される、そう思って油断した瞬間の出来事でほぼほぼ完全に素が出る状態。俺が振り向いていたのならともかく俺は完全に背を向けた状態だったから気の緩みも強い」
優也がそう言うと六人はその瞬間のことを想起し、あの時の優也の行動に納得した。
「そしてあの瞬間俺は『王よ』と呼びかけた。だが当の本人は一瞬誰のことを言っているのかが分からなかったかのように返事が遅れ、動揺を隠せていなかった」
「え? それって……」
「お、先生は分かったか。ていうか全員ちゃんと理解したみたいだな」
誰のことを言っているのかが分からなかった。それはつまり普段自分はそう言われていないということの証明だ。
そしてそれは同時にこの城全体での嘘を意味する。
少なくとも王と呼ばれた時に否定すれば代役ということで納得したかもしれない。もちろんそれも世界の命運を賭けた勇者召喚という場にいないのはまた別の問題があるのだが今はそういう話ではない。
王の衣を纏った老人は優也に『王』と呼ばれても否定せず、周囲の物たちは全て訂正しなかった。
またその演技は城全体に知らされるほどに大規模なものであり事前に知らされていた、ということだ。
「け、けれどそれならただ気を緩めていた、というだけかもしれませんよね? 流石に考え過ぎではありませんか?」
手掛かりにはなりうるかもしれないが決定的な証拠足り得はしない、桃子は言外にそう発し、周囲の五名もそれは一理あるといった表情を取る。
「おバカ。先生も皆もおバカッ。建物や鎧の雰囲気から言って文明レベルは少なくとも俺たちの世界未満、明らかな武装状態なことも考えて戦いは珍しくない世界、てか俺たちを戦わせる時点で戦うは当然の世界だ。んでそんな文明未発達な国で王を勤める存在がちょっとやそっとで表情出すわけねえだろうが、為政者が一々あからさまなリアクション取ってたら即効で国が滅ぶわ」
世界が変わろうと知的生命体の集団である以上リーダーの条件というのは限られてくる。
若ければまだ周囲の者が補佐を務めている可能性が限りなく低くあるが相手は老人、あの歳まで一国の長を勤めていたというのであれば必然的にあの歳相応の老獪さというものがあるものだ。
「すぐ動揺する、感情が分かりやすい、アドリブが利かない。一般高校生でも分かる要素、そんな奴が王であってたまるか」
『……』
愚痴を零しそうな雰囲気を漂わせる優也に五人はその言葉には納得しながらもなんとも言えず、桃子は居酒屋での同僚の愚痴の姿を想起して優也のメンタルケアへの使命感に密かに燃える。
「とにかく、これらの理由からこの城の人間は極力信じるな。ただ全員に話せば厄介ごとは必至だからクラスの中で付き合いがあり信用も出来るお前らとクラス全員にそれとなく干渉出来る立場である先生に話したというワケだ」
優也がそう言うと今更ながらに事の重大さを理解した六人が僅かに顔を蒼褪めさせた。
その中でも年長者であり現状生徒全員の保護者という立場である桃子はその重責と恐怖から他の者たちよりも強く顔色を変える。
私がしっかりしなくては。けれども一般人でしかなかった自分が生徒たちをちゃんと守ることが出来るのか。頼れるものは誰もいない。この世界の者は信用出来ず、生徒に弱音を吐くワケにもいかない。経験のないプレッシャーと心細さが桃子の精神をあっという間に侵食していた。
「先生、少なくとも俺たちは状況を理解している。……なんのためにまとめて説明したと思ってんだ、アンタには六人も相談出来る人間がいる、面倒を見なきゃいけない人間が三七人から三一人に減った上で頼れる人間が〇から六に増えたんだ。教師であるアンタにしか出来ない事もあるが生徒である俺たちにしか出来ない事もある、だからこうして二つの立場を一か所に集めてるんだぜ? それにそもそもの発言者は俺だ、荷を負わせる以上は重い方を持ってやるさ」
暗く沈ませ心を氷結した桃子の頭に、目の高さを合わせるように身を屈めた優也が手を優しく乗せる。
大きく力強い青年の手の温もりに桃子の心はゆっくりと氷解する。
「ふふっ、私は身軽なのでいっぱい動けるのです。重見くん一人には背負わせませんよっ」
「それはどうだろうな? 小さいから頼りなくて全部俺一人で背負っちまうかもしれねえな」
「むっ、先生の偉大さを見せつけてやるのですよ」
そんな軽口に二人は耐え切れなくなったかのように吹き出した。
「……話は戻るが、第二に先生とお前たちの二面から皆のメンタルケアを頼みたい」
「やっぱりそれって必要なんだぁ」
さっきまでの周囲の表情からその必要性をなんとなく悟っていたのか、夏美は必要性ではなく具体的な方針を聴きた気に気の抜けた理解を返しをする。
「玉座の間で、国王代理の爺が言ってただろ? 異世界の人間はこの世界に来る時に『様々な』適応処置が施される、って」
「そうだねぇ、だからこそその処置目当てに私たちが召喚されたんだもんねぇ」
その時のことを思い出して少し苦々しい表情で召喚目的の反復確認をする夏美。
そして改めてその利用目的を思い出した他の面々も思わず同じような苦々しい表情を浮かべてしまう。
「その『様々な』処置ってのが少し気になった。まだステータスの付与だけなら良い。だけどそうじゃないなら? 俺たちの世界とこの世界とでは進化の環境が違う、空気中の病原体にだって俺たちは抗体を持っていない。けれど過去の召喚ではそうじゃなかった、つまり俺たちは体内の環境すら弄られているということ。血液の抗体やら免疫細胞やらの変化が起きている、それは実はかなり危険視するべき事実なんだよ」
重い雰囲気と暗い表情で現実味を帯びた仮説を広げる優也に対し全員が理解出来ないように、なにが危険視するべきなのかとの疑問符を頭上に浮かべていた。
「まず、この仮説があっていれば俺たちのホルモンバランスがこれまでのものとは異なる可能性がある。……そもそも体内のホルモンすら元の世界のモノとは違う可能性もあるが今はどうでもいい」
「ホルモンバランスが崩れると何かあんのか?」
いまいち実感が湧かない航亘はなんてこと無さ気に尋ねる。
そんな様子に優也は「大有りだ」と大袈裟なほど大きくため息を吐いた。
「良いか? ホルモンは分かりやすく言や『生理活性物質』だ。生理ってのは生命全てが有する行動や欲求のことだ、それが崩れるってことは体調も崩れるってこと」
言わんとしていることが分かったのか疑問符を浮かべていた面々は納得気な表情でそれぞれ風邪をひいて体調を崩した時の様子を思い浮かべる。
だがそんな軽い受け止め方をしていることをなんとなく悟った優也は説明が面倒くさそうに頭を乱雑に掻きむしった。
「なあ重見。過去にも勇者召喚があったって言うんなら問題ないんじゃないのか?」
「確かにそうですね。きっと重見くんの考え過ぎですよ」
過去の例を思い出して大丈夫だ、と一蹴し笑い飛ばす周也たち。
だがそうじゃない、とばかりに口を開く優也。
「そっちの文献はまだ分からんから話さんが……俺が危惧しているのは精神面だ」
「それがさっき言ってたメンタルケアの話に繋がるっての? 私はてっきり過ぎた力を急に得たから調子にのらないように、っていう話だと思ってたんだけど」
自分の考えていたメンタルケアの方向性と違ったことに口を入れた涼花に桃子たちもそうではなかったのか、とばかりに頻りに頷く。
それに対して優也は「それもある」と言ってメンタルケアの追加要素を説明する。
「良いか? ホルモンは精神にも作用する。例えば男性ホルモンが多い女は闘争心が強い、なんて話をたまに聞くだろう。他にも表面には現れなくても体内の調子が狂うのは確実。俺たちが普段食っていた肉はアナンダマイドっつう至福物質を作ってくれる。アナンダマイドは快楽や幸福感をもたらすって言われているからそういう意味でも心の安定に一役買っているとされている。そんなホルモンバランスが崩れりゃ心の弱い奴は即効でアウトだ」
精神はやがて思考にも影響を及ぼす。
同じ光景や現象でも受け取る側の精神状況によって及ぼされる影響というのは大きく異なるもの。
例えば独り身歴の長い者にカップルを見せたら『リア充爆発しろ』と言うだろうが、同じ歳でも恋人のいる者にその光景を見せてもそんな感情は抱かない。
暑いと思っている時の風と寒いと思っている時の風は感想が真逆だ。
同じ自転車に取っている時に向かい風が吹いたとして、落ち着いている時は『少し速度が落ちるな』程度だろうがストレスの溜まっている時は『鬱陶しい!』と思うハズだ。
つまり前の世界と同じようななんてことないシチュエーションであってもこの世界においても同じ感想を抱くかが分からないということである。
「精神ってのは思いの他弱い。俺らが一七だからなんだと言っても結局経験不足で弱いことには変わりない。だからこそ頼れる大人という立場から先生が動き、心を打ち明けられる友としてお前たちに動いて欲しい。俺は裏で動き、そしてお前たちのメンタルケアをする」
桃子も悠生たちも、どこぞのアンパンヒーローのようには出来ない。
誰かに分け与えたモノは戻らないのだ。
だから他人の手によって、優也の手によって治そうということ。
力強い人間として他の皆の前では振る舞い、裏で傷の舐め合いをする。
弱さは恥ではなく、弱さは相互理解の架け橋だ。
弱さを持つが故に優也たちは分かり合える。愚痴を吐ける人間を作ることは重要なのだ。
「なるほど。なら重見くんのメンタルケアは先生の仕事ですね?」
生徒の面倒を見るのは大人の役目、そう言わんばかりに慎ましい胸を張る桃子はついさっきの使命感を再燃させる。
「……ああ、その時にゃ遠慮なく甘えさせて貰おうかねぇ」
サポートに徹するものだと思っていた優也は、まさか自分もメンタルケアを受けることになるとは思わず呆気にとられたような表情の後冗談めかしくそう笑った。
「手が掛かりすぎるのも面倒だから全員に心構えを命じておく。……『我思う、ゆえに我あり』の精神を忘れるな、肉体に精神を委ねるな、常に己を戒め続け自己確認することで己を維持しろ」
心を壊すということは己を見失うということだ。
ならば見失う余地が無いほど常に『自分』を確認し続ければ良い。
昔、鏡に向かって『お前は誰だ?』と言わせるという実験があったという。
その話によるとその者はやがて自分が分からなくなり、発狂してしまったらしい。
だとすると言い換えれば常に自分を確認することで自分を維持出来るということだ。
「何かあればこの中の誰でも良いから相談しろ。俺たちは全員の安全を確保するために動く一つの集団だ、報連相を心掛けろ。いいな?」
「社会人です、抜かりありません」
「私も分かったわ」
「私は私ぃ~」
「うん、僕も僕だ」
「俺はむしろ重見が一人で背負わないか心配だな」
「それに関しては身軽で偉大な先生が一緒に背負ってくれるからダイジョブじゃねえか?」
途中までは良い感じに団結を見せていたものの周也と航亘の言葉で一気に気が抜けて笑みが零れる。
優也もなんてことないように「困ったら先生のお胸を借りるから心配するな」とこれに関しては自覚ありのセクハラをぶちかまし、三人揃っての笑いに悠生及び女性陣からの冷たい視線が突き刺された。
「んんッ! 次の話だが――」
視線に気付き、いたたまれなくなった優也は分かりやすく露骨に大きく咳払いをして誤魔化す。
「そんで、第三にこの世界に関する情報の入手をこの部屋全員にして貰う。一応さっきのステータスプレートを見せる時に話は通してあるから恐らく食事の後にでも申し出れば案内してくれるはずだ。本当は全部先生の手柄に仕立て上げたかったんだが最低でも後ろにいた奴らは聞いてただろうから食事終了時に先生が申し出る、という形にしておいてくれ」
この指示に関しては皆情報社会に生きてきたから容易に受け入れる事が出来る。
流石に生死に関わる情報のやり取りをしたことはないだろうがそれでも情報の重要性はある程度理解している。
流行りに乗りたがる現代人ならばより理解しやすいだろうが、真新しく受け入れられやすい情報を持つのと持たないのとでは生活に変化が出、簡単な例えで言えばファッションやグルメ、ゴシップといったところだ。
その程度のこと、と思うかもしれないが現代を生きる上では間接的にではあるが重要なモノを失うことになる。
ファッションやグルメなどといった『話題』を持たぬということは他とのコミュニケーションが出来ないということ。
コミュニケーションが取れなければ人脈は生まれない。
他との交流が一切ないということは優也たちの世界における現代社会では圧倒的なハンディキャップと化す。
つまりはそういうことであり、ミクロをマクロにマクロをミクロに、そういう視点の切り替えが重要ということを優也は授業における特別活動でのスピーチで説いて来たため少なくとも付き合いがあり優也のスピーチを真面目に聞いていたこの面々は理解していた。
「真っ先に調べるのはやっぱり……この世界の歴史か?」
「ザッツライッ。正解だ松戸。こと戦いにおいては嫌でも教えられるだろうが歴史に関しては必要ないと判断される……いや、むしろ俺たちを操る上での障害だと考えて排除しかねない」
「操る……ああ、そうだな、俺たちを騙すということはその可能性は十分あるな」
操る、という単語に周也は一瞬考え過ぎではないか、と判断したがついさっき一見ただの金属板にしか見えないものに文字が刻まれ、その上で明かしていない名前が年齢に関しても表示されるという超常を目の当たりにしたばかり。
自身たちも授かった『能力』の中に洗脳に関するモノが含まれていても何ら不思議ではないのだ。
「んで、余裕があれば宗教とかに関しても、だな」
「宗教? まさかこの世界には神がいるっていうことかね?」
正気か? と言わんばかりの馬鹿にしたような表情で航亘は大げさに肩を竦める。
「チガウッ。宗教は言い換えれば一種の『思考』だ、その宗教に属する者にとってその宗教の『思想』とはその者の『思考』足り得る。俺たちの他意なき言動がこの世界にとっては逆鱗の可能性もあるんだ」
「なるほど、な。確かに俺たちの世界でも宗教戦争があったんだ、当然っちゃ当然だし、ましてや俺たちはこの世界にとっての異物、何かありゃ真っ先に排除対象ってか」
「おう。……ちなみに蛇足だが俺は『二次元教』な? 二次元をこよなく愛し周囲にそれを布教し、異世界の存在を心から信じる。いや待てよ、こうして異世界は実際にあったんだ……これは!? 二次元教がワンチャン……ハヤル(*´ω`*)」
「流行らないし流行らせない。……てかその表情器用だなオイ」
蛇足の名に違わぬ蛇足に真剣な表情をしていた全員が心底呆れたように深々とため息を吐く。
その様子に優也はなぜか誇らしげに鼻を鳴らしながらフフン、と胸を張った。
「それから……さっきの話の流れから分かっただろうけど俺たちはこの世界で戦う。これは絶対だ」
戦う。
そう発した瞬間の真剣な眼差し、確かな信念を持った気迫にその場の全員が気圧される。
威圧されているワケではなく、冷たい眼差しというワケでもない。
ただの「戦う」という言葉に込められた優也の覚悟に全員が圧倒されているのだ。
「ど、どうして……ですか?! 先生はそんなこと、認めませんッ」
教育者としての矜持だろう。
一人の教育者として、子どもを正しい道へ導く者として、クラスの者たちを危険に晒すことも魔『人』族を殺させることも看過出来ないのだ。
「俺たちはこの世界で異物だ。異世界人である以上俺たちは国民じゃない、この国が戦わない俺たちを守る義理はない。俺たちが戦いを放棄する以上王にとって俺たちは生産性のないゴミ屑、覚えがあるだろう? ニートを生産性がないから、勤めず努めないからと卑下し蔑視する俺たちの世界の人間と何ら変わらない。なんせ向こうには俺たちを殺せる理由がある。それは異物ゆえの『侵略者』の『排除』という大義名分だ」
淡々と、一切変わることのない表情で述べられる言葉に桃子たちは憤りを覚えていた。
だがこの世界の人間の対応が間違っていないのもまた道理。
勝手に召喚したという責はあるものの、この世界の者からすれば逼迫していたのもまた事実。
彼らに様々な責があれど無駄なモノを排除するのは逼迫状態での道理であり、殺すは過剰であってもある程度の手切れ金を渡され放り出されるのが目に見えている。
むしろ思想の違いという火種を燻ぶらせている存在を消す、というのは国を守る上では為政者として当然の行為とも言えるのだ。
余裕のある幻想とは違う。
この世界は紛れもない現実であり、多少を天秤に掛けるのが現実だ。
「ですが……それでもッ!」
「ああ、分かっている」
道理があろうと感情論で動くのが人間という生き物。
承知出来ないとばかりに握りしめた拳を震わせる桃子を諫めるように、優也は低く落ち着いた覚悟の籠る芯の通った声で静かに語り掛ける。
「だから先生には皆の枷になって欲しい。皆が人を殺し、心を痛めないように、不殺を貫く枷に。そうしてくれたら俺が必ず皆を元の世界に返す。その手立てを見つけて全てを解決して、皆を元の世界に返す。だから皆をその手で守ってくれ」
どれだけ正当化しようと、どれだけ美化しようと、勇者が望まれるのは『人殺し』。
今は理解せずとも魔人族と相対した時には嫌でも気付く真理だ。
だからこそ真理に辿り着き、心を壊してしまう前に守らなくてはいけない。
殺意を前に脚を竦ませるだけではなく、確固たる不殺の信念を持って戦える強い心の人間に。
「……教えてください。どうして……そこまで一人で抱え込もうとするのですか? 教師である私は『教師』だから皆を守ります。けれども貴方は! 重見くんは違うでしょう!? どうしてですか!」
小さく、けれども確かに哀しみと僅かな怒気を孕んだ荒い声が部屋に静寂をもたらす。
「………………なあ、先生。『三つ子の魂百まで』とはよく言ったもんだよな」
「えっ……?」
長い、長い長い沈黙を破って、囁くように優也が懐古するように語り始めた。
「大人は……親も教師も全て含めた『教育者』は子どもにこういうだろ? 『人を傷つけるな』『過ちを犯すな』『間違いを許すな』って風に」
「……それを守る人は、大人も子供も、悲しいことに殆どいないです」
「ああ、けれども口を揃えて『正しい』教育者はそういう。そして『正しく』教育された子供は……『正しく』道を踏み外すんだよ」
それはかつて実在した幼い少年の、苦い苦い過去の記憶。
善を命じられ、他を疑わず、悪であろうと善を解けば善になると信じていたあまりにも純粋で愚かな少年の話。
理想に沈められ、人間という汚い生き物を『正しく』見ることの出来なかった少年。
善を押し付けられ、善を押し付けるように屈折した善でしか全てを見ることが出来なかった少年。
小学校に入る前には殆どの子供が当然のように悟る人間性を、悟れなかったがゆえに少年は腐敗した。
建前しか言わない教育者の建前しか矮小な身では見ることが出来ず、悪を知らぬ無知な少年は理想と現実に挟まれて圧死したのだ。
「善は尊く、そして酷く愚かだ。人間の悪意というものを身を以て理解してなお全てを救いたいと願ってしまうほどに愚かで、人を殺す」
『重見くん……』
『重見……』
酷くやつれたように目に映るその姿は桃子たちの同情を誘ってしまう。
「俺はね、痛みには慣れているんだよ……。心も、身体も……痛みに晒され続けて慣れてしまった。だからこそ傷つくのは俺だけで良い、俺があのままあの世界に居たらきっと近いうちに壊れていた。気付かなかったかもしれないが狂気とはそういうモノ、破損とはそういうもの、手遅れになって初めて気付く。だから俺はこの世界に来たその瞬間から、あそこには戻る気がなかったんだよ」
こんなやり方しか優也は知らない。
善を説こうとして、出来なかったから。
自分にそれを出来る力がないことを嫌というほど理解してしまったから。
自分も他人も全てを守ることが出来るやり方が出来なかったから、自分を傷付けるやり方しか優也は知らないのだ。
「教育とは呪いだ。少なくとも現代社会の教育とは大人の敷いたレールを強いることだ。レールを走る子供はその道しか知れない。教育とは……人を愚かにする、人から思考を奪う。教育は人間を人間たらしめる知性を殺す」
公式を教えられた学生が公式しか使わないように、公式から外れたものを思考出来なくなるように、正しいと断言されるものは人から考えるという行為を奪う。
「だから先生に頼みがある」
「……なんでも言ってください。絶対にその頼みを実現します」
皆悟っていた。
優也のその眼差しに、表情に、気迫に、説得は不可能だということを。
だから桃子は優也からの『頼み』を、内容を聞くことなく聞き届けると確約した。
「向こうの世界に帰ったら……良い先生であってくれ」
「はい」
「子供に何も強いることなく、全てに常に思考を巡らせるような教えを説いて欲しい」
「はい」
「善も悪も押し付けず、善じゃなくて良いからなにが正しいかを自分で考えられるように」
「……はい」
「自立出来るような、聖人じゃなくていいから人を思える人間を育てて欲しい」
「…………はい」
「それが俺から、先生への呪いだ」
「はいッ……。重見くんからの教え確かに叶えてみせますッ」
教師から思いを託された生徒は心で涙し、触れれば壊れそうな満面の笑みで思いを受け取る。
そして直接は言われていない悠生も、周也も、航亘も、涼花も、夏美も、秘かにその思いを受け継いだ。
「……あ~ッ、らしくないことしたにゃ~」
自身がきっかけとなった重々しい雰囲気を責任を持って吹き飛ばそうと言わんばかりの普段通りの軽いテンションでお茶らける。
「ああ、あんなのお前の『キャラ』じゃないだろぉ?」
「黙れぃ、俺は森上ほど頭おかしくないわっ」
「ええ~、似たり寄ったりだろ」
さっきまでとは打って変わってくだらない事で言い争いを繰り広げる優也と航亘。
同一人物かと疑いたくなるような豹変ぶりに周囲は呆れかえり、周也の「どんぐりの背比べ」という呟きに二人を置いて部屋に笑いが木霊した。
全体的に桃子とのセリフの掛け合いが多いですがヒロインではありませんヨ
ただ現状三話現在ではまだ初日です、オタクな優也と教師としてしっかりしなくてはという思いのある桃子以外では正常な思考を発揮出来ないという状況、リアリティの追求上しゃーない
再度言いますが初日の為シリアスはもう少し続きます(読者さんゴメンネ)
キッチリやるつもりなのでもうしばしのご辛抱(次でシリアスを終わらせたい)