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[04]NANAKAちゃんは出会ってしまった

「言い忘れていたっけ。七夏、そのことなんだけどさ。ちょっと、来なよ――」


 結は七夏を勇気づけるかのようにこちらを覗き込むと、掴んだ手に力を入れて、ぐいぐいと引っ張る。この人好きのする先輩は全てお見通しだった。


「――全く。そのコンプレックスはどこから湧き上がってくるかね」


 引きずられるようにして俯いたままの七夏は歩きだす。いつの間にか二人は会議室の中にいた。


 会議室に入ってすぐのところ。そこに人だかりができていた。受付の順番待ちだった。


 幾重にも連なる背中に隠れて見えないが、向こうにあるのは折り畳み式の机と、その上に置かれた名簿、そしてバッジの入った箱のはずだ。受付を終えた一人が人だかりの脇を潜り抜けてくる。真新しいスーツの胸ポケットにバッジの安全ピンを通そうとしながら、席の方へと歩いていった。


 結と七夏も最後尾に並ぶ。並ぶというより、人だかりの外周部に何となく取りつく感じだ。整然と並ぶにはここは狭過ぎた。


 気が付くと結は、誰かを探すかのようにキョロキョロと辺りを見回していた。その時だった。結のすぐ前にいた二人が左右に動く。また一人、受付を終えて出てきたのだ。慌てて振り返り、自分も道を開けようとする結。しかし、その姿を見たっきり、彼女は動けななくなった。


「「あ」」


 結の声と、もう一つの声が重なった。目の前に現れた人物が発したものだった。ハープが奏でる音色(ねいろ)のように澄んだ声。しかし、その中には驚きの響きも含まれていた。二人は固まったままだった。


 何やらただならぬ雰囲気を感じた七夏は顔を上げた。碧い瞳が、じっとこちらを見つめている。目の前に出現した突然の出来事に七夏は混乱し、無意識のうちに呟いていた。


「天使……?」


 そこにいたのは紛れもなく天使だった。七夏と、もう一人の天使。彼女はじっと七夏のことを見ていた。七夏もまた、目の前にいる天使を見つめ続ける。


 会場にいる人達がこの異変に気付くのに、そう時間はかからなかった。二人のことを見つめる目は連鎖的に増えていく。順番待ちの人だかりは皆、じっとこちらを見ている。それだけではない。いつの間にか席に座っている人々さえも振り返り、興味深そうにひそひそと話しあっていた。


『――おい見ろよ。もう一人、天使』

『え、嘘だろ?』

『同期に天使がいるってだけで驚きなのに、二人もかよ』


 いったい何が起きたのか俄かには理解できなかった七夏だったが、あちこちから聞こえる会話を耳にしてようやく、目の前で起こっていることを知ることができた。我に返った七夏。しかし彼女が口を開くより一寸早く、もう一人の天使が話しかけてきた。


「はじめまして」

「……あ、どうも……」

「ごめんなさいね、じっと見つめたりして」

「あ、いえ。こちらこそ……」

「新人の方……よね?」

「え、ええ」

「私も同じ。ちょっとびっくりしちゃった。でも、良かったわ。少し心細かったの。天使が私だけじゃないって、不思議な感じ」

「そ、そうですね」

「そうだ、自己紹介しないと。安家(あっか) 梨乃(りの)よ。よろしくね」

「あ、はい……。えっと、間戸七夏です」

「まど、ななかさんね。ええっと……このまま、もう少しお話したいけど――」


 梨乃と名乗った天使は辺りを見回し、小さく肩をすくめた。二人は、この場にいる人達全ての注目を集めているみたいだった。天使達が何を話して、次に何をするのか。固唾を飲んでその一挙一投足を見守っているようにも思えた。


「――そんな雰囲気では無いわね。後でゆっくりお話ししましょう。それじゃあ」


 そう言うと、彼女はゆっくりと歩み去っていった。


 その後ろ姿をずっと目で追いかけたまま、呆けていた七夏だったが、背中を叩かれて我に返る。翼の付け根の辺りに手を添えたままの結が、耳元に口を寄せて話しかけてきた。


「という訳。驚いたでしょ。さ、私達も受付を済ましちゃいましょ」


 その後、七夏はずっと上の空だった。気が付いたらいつの間にか式は終わっていた。そこらじゅうで注目を浴びていたのは感じていたが、まるで気にならなかった。もう一人天使がいたという衝撃の方が上回り、人の目を気にする余裕も無かったのだ。


 この日、梨乃と名乗ったあの天使と会話する機会は訪れなかった。彼女のところには代わる代わる、引っ切り無しに誰かがやって来ていた。昼食の時間なんて二重三重に囲まれ質問攻めにあっていた。お昼を食べる余裕なんてないんじゃないかと、見ているこっちが心配するくらいだった。それでも、彼女は嫌な顔一つせず笑顔を振りまいていた。


 人気者は大変だな――、などと思いながら横目で見ていた七夏だったが、その一方で違う感情も抱いていた。まだ慣れ親しんでいない人達と楽しそうに談笑する梨乃が、ちょっと羨ましかった。彼女はきっと、とても話し上手で、付き合い上手なのだろう。


 もちろん、七夏のところにも次々と来訪者がやっては来ていたのだが、時に『容易く私に関わってくるんじゃねえ』ビームを目から発し、時にまるで要領の得ない切り返しで応戦し、彼らの攻撃をかわしていた。いちいち付き合っていられない。


 そして、予想通り早速同期の間で飲み会もあちこちで企画されていた。七夏自身もその幾つかに誘われたがすべてお断りしていた。面倒くさい、それが理由だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 結局、予定されていた午後の説明会と、飛びきり面倒くさかったオリエンテーションも終わり、この日のミッションはひとまず終了。ほっと一息を突いた七夏は、自分の所属部署である――いや、所属部署となるはずの『基幹構造体構築チーム』の研究室に顔を出し、今日一日、何事も起きていないことを確認してから帰宅した。


 アパートに戻った後、玄関とダイニングキッチンを軽く掃いてから、早めにシャワーを浴びることにした七夏。普段はこんなに早く湯浴みなんてしないのだけれども、何故かそうしたい気分だった。緊張と、自分以外の天使に出会うという思いがけない出来事。それに、一日中慣れないスーツでえらく肩が凝った気もする。さっさと今日一日の埃を洗い流したかった。


(これは明日、クリーニングだ)


 脱ぎ捨てたスーツをぞんざいに丸め、カゴに放り込む。それにしても、天使仕様の背広は何でこんな面倒くさいのだろう。翼を出すための大きなスリットが背中に二つ。これのせいで、着たり脱いだりする度に、手探りで背中のボタンを留めたり外したりしなければならない。面倒くさいったら、ありゃしない。


 しかも、いちいちオーダーメイドだ。


(大手メーカーが既製品で作ってくれれば、もう少し気の利いた作りにしてくれるはずなんだけど――)


 そんなことをぶつくさ文句言っていた七夏だったが、大手メーカーが天使専用のビジネススーツなぞ絶対に作ってくれないだろうことは、十分承知していた。千人に一人もいない自分達は、文句なしのマイノリティだ。採算ラインの遥か下だろう。


 シャツの方は、もっとちょっとだけましだ。翼を通せるように背中が三分割している造りは同じだったが、真ん中の布地が山型に広がっていて、背中から前の方に回した後、胸の下からお腹の辺りでボタンを留められるようになっている。


 これは、天使用の服でいくつかあるパターンの一つだった。さすがにフォーマルなスーツの上着とは違って多少は数が出るものだから、天使向けの市場が確立している。


 そう――人口当たりニ千八百人に一人という天使の数は、多いようで少なく、少ないようで多い。


 例えば、この上着を作った紳士服店は手慣れたものだった。職場に出入りしている店を紹介してもらった時は、どんな面倒くさいやり取りが必要かと七夏は心配したが、まるで拍子抜けだった。


 生地を選んだ。ボタンを選んだ。襟の大きさとか、ポケットのフラップをどんな形にするかとか、あれこれと要望を聞かれて――そんなの、特に考えて無かったし、一着目は無難なものにしようと決めていたので――全部お任せした。そして、体の寸法を計った。立ったり、座ったりしながら、いろんなポーズで。付け加えるように、肩から翼の付け根までの長さと、翼と翼の間の間隔も採寸した。それでおしまい。


(というか、たったこれだけ? こんなことなら、前もって雑誌とかで色々調べてから頼めば良かった。そうすればオーダーメイドらしく、もっと凝った作りを頼めたのに……)


 七夏は考えなしの自分を責めたが、今更後悔しても仕方がない、次があるさ――と、心の片隅へと追いやった。顔にシャワーを当てながら、別のことに思いを馳せ始める。紳士服屋の作業は、既にルーチンワーク化されていた。天使向けに服を仕立てると言う作業は、彼等にとって珍しくはあったが、特別なことでは無かった。その程度には、同類は存在する。まさに今日、出会ったように。


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