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[03]NANAKAちゃんと陽気な先輩

「まあ確かに。そもそも、私達が新卒扱いというのも、かなり無理目なところもあるわな」


 結はそう言うと、わざとらしく肩をすくめてみせる。我が意を得たと勘違いしたのか、七夏は意気揚々と言い放つ。


「今日の式も、室長は『そんなに嫌なら、無理して出席しなくていいんじゃない? 査定に影響するなんてことは別に無いからさ』って言ってくれてたよ」

「いやいや、それを真に受けるかい。そもそも、その時に『いえ出ます』と答えたのは何処の誰だったけ」


 他ならぬ七夏自身である。


 実際のところ、七夏と結は、まるっきりのど新人という訳では無かった。月面開発公社の〈居住モジュール研究プロジェクトチーム〉と関わり始めてから足かけ五年。今日を境に自身の肩書が多少変わるというだけで、実質的な変化は無いに等しい。


 遡ると大学からのインターン先としてここを選んだのが始まりだった。産学協同プロジェクトである月面居住モジュール概念の要素研究に、彼女の所属する研究室が大きく絡んでいた。


 院に進んでからは出向という形に変わったが、彼女の日常は実質的に変わらなかった。殆どの時間を、月面開発公社の敷地にあるいつものラボで過ごすうち、この頃にはプロジェクトチームの一員として認知されていたと言っても過言ではない。


 次の変化は二年後のことだったが、これもあって無いようなものだった。大学に残り研究者となることを諦めた七夏は、研究室の先輩が立ち上げたベンチャーに相乗りすることを決める。この先輩こそ、結だった。


 結も七夏と同じようにここで共同研究をしていたが、卒業後もこの関係を続けていきたいと考えていた。月面開発公社の研究所は居心地が良かった。しかし、研究員として採用されるにはコネと学歴が必要と言われていた独立行政法人。そのハードルは高かった。


 そこで彼女は一計を案じる。実質的に社員二人のみという会社を立ち上げ、月面開発公社からの受託研究開発並びに開発者の人材派遣という形を取り、居座ることに決めたのだ。就職活動も、新たな人間関係を構築するのも面倒くさかった七夏にとって、この策に飛び付かない筈もない。


 しかしこれは、一歩間違えば業者との癒着として内部監査のやり玉に上がってしまう恐れもある危ういやり方でもあった。


 幸いなことに、プロジェクトチームのリーダーと研究室の教授が理解を示してくれたこともあり、あまり大っぴらにしないという条件のもと、何とか所長の許可を取り付ける事が出来た。


 もちろん、各方面と掛けあったのは七夏ではなくもっぱら結の方だった。それにちゃっかりと乗っかるあたり、七夏も案外としたたかだった。むしろ彼女の生き方を如実に表していると言ってもいいだろう。


 そして去年の夏。公社にとって初めての大がかりな組織改編が決定し、七夏が所属していたプロジェクトも発展的解消を遂げることとなった。新たに創設される<月面拠点基地構築プログラムグループ>へ吸収合併されることが決まったのだ。


 このプログラムは、月面開発公社が満を期して立ち上げた、公社としての最終目標とも言える大がかりなものだった。アメリカ・中国から遅れること五年、世論にも後押しされ、ようやく『日の丸』月面基地が現実味を帯びてきた。プログラムへの参画企業は二百数十社、末端まで含めると動員人数は延べ三万人を超えるという壮大な計画である。


 予算不足という言い訳を中心に回っている、と揶揄されていた月面開発公社だったが、この国家的プロジェクトを下支えするため、異例とも言える職員の大量増員を決めた。


 その中に、七夏と結の二人も含まれていた。


 プロジェクトリーダーからこの件について打診があったのはお盆過ぎの頃だった。上級研究員としての採用ではないが、業務内容は今まで通り。是非、正職員として働いて欲しい――。公社側としては、社員二名の怪しげな会社と、このような関係を持ち続けることに懸念があったのだろう。


 同時に、七夏と結が携わっていた技術内容はかなり込み入ったもので、組織改編だからといって簡単に引き継ぎできる物では無かった。ある意味虫の良い提案ではあるが、二人にとってはまさに願ったり叶ったりだった。経験者待遇ではなく、準新卒待遇での採用にも拘わらず、二つ言葉でその提案を呑んだことは言うまでもない。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 そんな棚ボタ娘約二名を乗せたエレベータは、軽い減速感と共に目的のフロアへと到着する。開く扉に身構える七夏だったが、その先に人はいない。


「丁度、会議室に移動しているタイミングだったみたいね。急ごう」


 結の言うとおりだった。幾つかの黒い背中が向こうを向き、会議室の扉に吸い込まれていくのが見える。足を速める二人。やがて開け放たれた会議室のドアからは、来場者達が交わしているであろう会話が聞こえてくる。てんでバラバラないくつもの話声が合わさったザワザワという雑音。


 不意に七夏は、その中に『天使』という言葉の欠片を聞いた。彼女はこの単語に敏感だった。しかも、この忌まわしい単語は幾つも散らばっているようだった。無意識のうちに足を止める七夏。隣を歩いていた結は彼女の変化に気が付き、腕を掴む。


「ねえ、七夏?」

「もう――噂は広まっているんだ」泣きそうな顔で俯く七夏。


 自分のことが話題になっている。彼女はそう感じた。でも、天使というアイデンティティは個人情報のはずだ。それなのに、なんで皆知っているのだろう。そんなの理不尽だ。彼女は、そう思った。


 ――いや。話題になっていてもおかしくは無いのかもしれない。数百人が働いている月面開発公社本部だったが、七夏の他に天使はいない。彼女がここにいる唯一人の天使。珍しければ珍しい程、人の興味をそそればそそる程、情報というのは漏れるものだ。


 同期五十三名。そう、彼女にとって最大の問題は、初対面の人間が五十人以上もいることだった。七夏は溜息をつく。声には出さない後悔の言葉。


(ああ……こんなことなら一度くらい、顔合わせをしておけばよかった)


 本採用が決まった後に何回か集まりがあったはず。それらを全て辞退した自分の馬鹿さ加減を悔やんだ。もちろん、今となっては後の祭りだったけれど。


 それだけじゃない。


 よりによって、今日は各方面から様々な関係者がお呼ばれされているという。


 なにしろ今年、公社は特別な節目を迎えるのだ。彼女を含め54名もの大量増員が行われたのもそのせい。公社のお偉方はもちろん、文部科学省からも人が来るとの噂だ。彼等の目に届かないようにする手段は無いだろうか。七夏は考える。しかし、数十回繰り返した同じ命題の答えは、今度も見つからなかった。


(どんなことを噂しているのだろう――)


 想像はできた。いつものことだ。


 ――美人かな、

 ――当然だろう、

 ――そりゃ天使だもんな、

 ――俺達パンピーとは別の存在ってこと?

 ――穢れ無き乙女?

 ――上位の存在?

 ――神だな、

 ――というより女神だな、

 ――天使降臨ってやつ?

 ――口説いてみる?

 ――無理、相手にしてくれないだろ、

 ――いや、分からねえぞ、


 男共がそんな下心を抱いている、そんなところに、こんなちんちくりんが姿を現わす。


 彼等はさっきまでの会話を無かったことにする。どうせ目の前に出現した自分のことも見えなかったことにするんだ。きっとそうに違いない。勝手に期待して、勝手に幻滅する。いつもそうだった。


 漠然と皆が思い描く、半ばファンタジー化された天使と、ここにいる間戸七夏という人間。そのギャップに、彼らはさぞがっかりすることだろう。それが嫌だった。


 背中の翼を根元から外してしまいたかった。大きなスポーツバッグにでも突っ込んでおければいいのに。いっそのこと見知らぬ誰かに預けてしまっても良かった。そうすれば、自分は天使などではなく、ただの人間になれる。それも、地味で可愛げがなくって要領が悪くて陰気で口下手で鬱陶しい、どうしようもない人間だ。


 それとも、大きな袋でもかぶっていようか。衛星用バッテリーの保護に使う、断熱材入りのアルミ蒸着シートなんて丁度いい。この忌々しい翼ごと、すっぽりと覆い隠せる。変な人と思われても構わない。皆から天使と思われなければ、それで構わない。


 踵を返して、逃げ出したかった。注目を浴びるのが嫌だった。あそこの人達は、私のことを待ちかまえている。


 こんな思いをするならいっそ、ここで立ち止まってしまおう。そしてこのまま、目も耳も塞いでしまおう――そう心に決めた時だった。


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